駆け抜ける狂騒と一条の郷愁 第11話

【前回の話】
第10話 https://note.com/teepei/n/n6f152c3670f0

怪人要素の絶妙な選択に舌を巻く暇もなく、二号と称された人影がこちらに跳躍する。跳躍、とは蛙にちなんだ便宜的な表現であって、怪力に裏付けされてしまえば殺人的なタックルでしかない。幸い受け止めたのは亀男だったが、衝突の具合から見て若干劣勢のきらいがある。そして亀男の併せ持つ知性的な静けさが、蛙男には微塵も見られない。
「いいじゃないか」
 蛙男の仕上がりにも満足したようで、ちょび髭は浮かれた声を上げる。力の衝突から衝撃を受ける錯覚を覚え、後退りする。力の拮抗はやぶられ、亀男が背後に吹っ飛んだ。
「さて、どこまで持つか見届けようじゃないか」
 お披露目会から高みの見物へと移行し、人垣を構成していた兵士、いや社員ではあるが、社員に護衛されながら安全圏への移動を目指す。確かに二人の衝突と同じ空間にいるのは得策ではない。そう思い、避難の手段を考えていた矢先、扉のある壁際まで辿り着いたちょび髭の前にはガラスが現れる。上から降り、重い音を立てて床と噛み合った。非難するからにはよほど衝撃に強い仕切りであり、万が一の場合は社長室への避難経路が確保されている。鮮やかな高みの見物ぶりは、敵ながら見事でもある。だが感心している暇はない。吹っ飛んだ亀男を蛙男が追撃し、そのまま諸共背後の壁にめり込んでいた。轟音と振動。めり込みを起点として壁には亀裂が入る。怯まず、亀男が頭突きを喰らわした。今度は蛙男が背後に吹っ飛ぶ。しかし立ち直りが亀男より早い。部屋の中央で堪え切り、そこで再び亀男と両手で組み合う形になった。筋肉の緊張と震え。振幅が次第に大きくなり、やはり亀男が屈する形で膝をつく。
「トキオ」
 力の緊張で食いしばる隙間から、そんな声が漏れた。おそらく亀男からで、力の差が食いしばらざるを得ない状況を強要しているのだろう。

トキオ?

そこでようやく、何らかの名前ともいうべきものが呼ばれたことに気付く。
「トキオなんだろう」
 力に抑圧され、それでも亀男は続ける。蛙男は、と言えば、例えそれが本人の名前だったとしても、まともに受け応えるほどの理性があるとは思えない。さきほどから洩れているのは声よりも鳴き声に近く、いままで言葉を話した痕跡は見られない。
「トキオ」
 力を跳ね返すように声を振り絞る。しかし仇となり、声に割いた分だけ腕の力が差し引かれたとでも言わんばかりに拮抗が崩れる。膝をついた位置からさらに押し込まれ、腕は既に伸び切ろうとしていた。このままでは腕をへし折られてしまう。つまり蛙男の意識を逸らす必要がある。脇に寄せてある椅子をひとつ掴む。背後に駆け寄り、後頭部めがけて振り上げたが、届かずに僧帽筋の辺りで弾かれた。もちろんダメージには至らない。しかし意識を割く程度には成功したようだった。こちらに向いた顔をまじまじと見る。そこに複雑な意思の力は読み取れず、なおさら呼びかけなど無駄であろうことを思い知る。
「トキオ」
 声にしっかりとした輪郭が帯び、今度は動作にも力強さを備えて亀男は生じた隙を逃さない。亀男の腕が持ち上がり、左右に開くと再び頭突きを蛙男に喰らわす。蛙男が均衡を崩し、後ろにひっくり返る。すかさず転がっていた椅子を掴み、亀男が頭を目がけて振り下ろす。椅子は砕け、しかし拳で引き続き頭を殴りつける。身体が衝撃を受け止めているものの、ダメージとして通っているのだろうか。未だに傷ひとつなく、蛙男の表情は痛みを表現するにも乏しいように見える。案の定、攻撃を食らいつつも徐々に立ち上がる。思ったほどダメージは通用していないのか、それでも渾身の一撃を振りかぶり、亀男は蛙男の頭めがけて拳を繰り出す。
 素直にすべての衝撃を受け止め、蛙男はそのまま吹っ飛んだ。今度は壁まで届き、大きな音を立てて壁が崩れる。その威力が、蛙男にとってどれほどの痛手になってくれるのか。粉塵の向こうで、その様子は見えない。
「知り合いか」
 横並びで様子を窺う亀男に、ようやく問い掛ける。
「同僚だ。同じ時期に世界征服事業部に移籍した」
「なんであんな馬鹿げた部署に」
「どうかしていたのだろう。あなたにも身に覚えがあるはずだ」
 確かに、しかし世界征服事業部を前にして正気に戻ったわけだが、今は取り立てて言う必要もない。
「なぜ頭を」
「正気に戻すため」
「戻るのか」
「分からない。ただ、私は転んで頭を打ったお陰で自我を取り戻した。試す価値はあるだろう」
 案外ドジな奴なんだな、と正気を取り戻す起因を吟味しながら多少は納得してみる。してみるが、頭への衝撃が正気を取り戻すきっかけとは安直すぎる。相変らずのひねりのなさに少し白けるも贅沢は言っていられず、現状の打開についてはその安直さがありがたいと素直に認めた。粉塵が薄れ、その向うで蛙男が尻を突いたまま、頭を振っている。

 効いているのか。

 蛙の鳴く声がする、しかしわずかな変性を見せ、意思とも取れる響きを垣間見る。亀男が右手で俺を制し、静観を促した。もちろん近づく気など毛頭ない。そして聞こえたのは、トキオ、という声にも思えた。
「何か喋ってるのか」
 亀男は制した右手を動かさず、しばし様子を見る間を空けてから応じた。
「名前を、口にしてる」
(続く)
【次の話】
第12話 https://note.com/teepei/n/n751d67be6ab2

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