駆け抜ける狂騒と一条の郷愁 第7話
【前回の話】
第6話 https://note.com/teepei/n/n454734821cc5
「いらっしゃいませ」
工場と聞いていたはずで、外観も伴い重く暗い内部を想像していたが、ここはどこなんだ。
真っすぐ続く幅の広い廊下、というよりも通りと言った方がよいだろうか、所々にテーブルと椅子がある。両脇にはおそらく何かしらの店だろう、それが立ち並び、さらには二階、三階、四階と重なる。人の賑わいがありながら不快なほどの密集はなく、吹き抜けた先の高い天井は閉塞感とは無縁の上に眩しすぎない明るさを提供し、すべてが快適さに向けて設計されているような、つまりは想像との差異に呆然と立ち尽くしてしまう。
「初めてですか」
再びかけられた声に目を向け、そこには赤い制服と制帽を着けた女性がいる。
「あの、ここは」
「初めてですね、ようこそいらっしゃいました。ここはショッピングモールです」
そう言われてみればそうなのだが、過度の裏切りが認識を狂わせる。
「このまま進んでいただくと、その先に住居施設、そして一番奥が弊社の工場です」
疑問を抱く余地も見せずにその女性が続ける。住む場所どころか街そのものを作り上げたのか。想像を上回り、施設の異様な巨大さは金属的でありながら有機的な営みを見せる巨大生物を想像させる。
「こちらが制服です」
女性は丁寧に畳まれた灰色の制服を渡してくる。
「それではお進み下さい」
左手で促され、明るい印象のなかを進み出す。背後では、お気をつけて、と女性の声が見送る。
ショッピングモールはかなり大きく、確かにこれなら何でも揃うしちょっとした嗜好品まで、いや、よく見ると高級志向の洋服や雑貨の店まであるな。この中ですべてを済ますとしたら、そんなものに意味があるのか疑問だが、とにかくあらゆるものが揃っている。
しばらく隣を歩いていた少女だが、ふと何かを見定め脇に逸れる。どこへ行くんだ、と尋ねることもせず、足を止めてその行く先を見守る。ソフトクリーム屋の前で、少女が赤い小銭入れを取り出す。がま口のちいさなやつで、タクシーの支払いの時にも見た。一体、いくら持たせているのだろう。そしてどうして俺には持たせなかった。何事もなかったかのように少女は戻り、再び歩き出す。
確かこの先に住居施設があると聞いていたが、存在を疑うほど一向に現れず、ショッピングモールはそれだけに巨大だ。ここに直接住んで働いている人々もいて、店の合間や店舗の上に住居らしきものが目に付き始める。
ショッピングモールの構造を取り、商店街のような機能をない交ぜにした、気付けばよく知るショッピングモールの様相ともまた違う。混交されたものの持つ強みが異様な存在感を滲ませ、その逞しさは居心地の悪いものではない。
そんな考えをこねくり回しているうちに、通りには設置されたゲートが現れた。
白いアーチ状で、鉄柵により構成されている。両脇に建物を望む構造は変わりなく、ただしそのゲートから先は居住施設のみが占めているようだった。つまり、ようやく辿り着いたわけだ。
工場はさらにその奥ということだが、と、遠い先でゆっくり右へと曲がる通りをうんざりしながら眺め、また声を掛けられていることに気づく。
「新入りさんかい」
灰色の制帽と制服で、小柄な初老の男性が人懐こそうな笑顔を見せている。
新入り、か。
長居する気はないんだけどな、と暫しの迷いを見せる。
「はい」
「そうかい、連絡は受けてるよ」
はい、これ、と手渡されたのは、透明な直方体で重みをつけた鍵だった。
「部屋は、ほら、それに書いてある番号だから」
と直方体の数字を指す。
「不便だったり困ったことがあったりしたら私に言って。私はそこにいるから」
ゲートをくぐってすぐ脇の一室を指し、そこが男性の部屋らしい。
「今日はゆっくり休んで。仕事は明日だから」
はあ、と気のない返事で応じ、取り敢えず割り振られた数字を追うことにしてみる。
奇妙なことになってきたな。
脳裏に過り、何を今さら、とも思う。思い出したように隣を見ると、少女はちゃんといて、全ての違和感を気持ちいいくらいに無視しきっていた。
翌朝、工場に出た。
住居施設は通りに対して横に広がりを見せていたため、通りの先の工場は思ったほど遠くない。そして工場は住居施設を凌ぐ規模で横に広がり、そもそも奥行も高さも規模が違う。遠くに施設の壁と見えていたものは、工場の入り口だったのだ。
巨大な施設の醸す不穏がここに凝集されている。いやむしろ、ここが発露なのかもしれない。と思いきや、中に入ると白を基調にした清潔なフロアがあった。
空調も換気も設備が十分に補っているようで、快適このうえない。
廊下を進み、二つほど扉をくぐり、そこでようやく呼び留められた。
「おはようございます」
と、同じ制服を着た若者がカードキーを渡してくる。
「これを、皆がしているように、扉のあの部分に当ててから入ってください。鍵でもあり、タイムカードでもあるから、ほかの人の後に続いて入ってしまわない様に。打刻忘れは、いくら働いても欠勤扱いになるので」
どうぞ、と促され、再び人の流れに加わる。
扉をくぐると、そこは既に工場の基幹部分だった。
衛生観念はここでも同程度に保たれるものの、先ほどまで目にしなかった機械類と周囲を這うコードの類が少なからず重苦しい空気を纏っていた。
隣りに付く先輩社員に面倒を見てもらい、与えられた仕事は綻びのチェックだった。
編み込みは機械が行い、その他にも各工程で人が関わる部分もあるけれど、少なからず熟練された感覚が必要なこともあり、すぐに回されることはないようだった。入ってすぐは検品作業で品質を見る目を養うか、機械設備の点検等で工程の全体を見て学ぶか、そのうち適正に応じて配置換えも行われる。
つまり、下積みというわけだ。
十二時から一時間休憩、十五時に十五分休憩。
そして十八時が定時。
お疲れ様、と先輩は肩を叩き、先に上がっていく。
初日だし、慣れない仕事で確かに疲れたな、適度な労働は心地よい緊張感を与えてくれ、同じ疲れでも受け入れるべきもののように思え、とここで誤りに気付く。
孫を探しに来たはずだ。
心地よい緊張感と疲れに酔っている場合ではない。何事もなかったかのように、工場の出口で少女が合流する。
廊下を行き、工場を出ると、居住施設へ戻る人混みでごった返していた。
とにかく道行く人の顔を見て、と通りを歩きながら、いや、立ち止まるべきだ。
もたついてるな。
勿論これはあいつに対して言っている。
つまらん設定に縛りこまれて、お前は何やってんんだ。俺に何させてんだ。
「お孫さんは、探すべき」
しおりと名乗った少女は立ち止まる俺にそう諭す。
「この子を使うな。そもそもお前の設定の弱さが俺をこんな無駄な行為に及ばせている」
「落ち着きなさい」
「だからこの子を使うな。出て来い。出てこないなら俺から行く」
「そうね。来れるものなら来てみたらいい。それが望みだから」
そして本当は音さえも鳴らない心の中の舌打ちを。打ったのか。誰がそれを証明できる。いや待て。そこを掘ると進まないからひとまず置いておこう。
まったく。
洗練などと言う言葉とは程遠いこの文塊は、果たして成立しているのか。
「あなたが気にすることじゃない。あなたは孫を探して」
「糞」
「口が悪いわね」
「あんたがそうさせてるんだろ」
そして少女はすべての会話を無視して、ただ前を見ているだけになった。
結局言われた通りに孫を探すしかなくなった俺は、本当に仕方なく孫の顔を追うしかない。
とは言え、これまでの描写で伝わって頂いた(であろうか)のように、人の数が多い。
そもそも孫の写真の記憶も曖昧に、いや曖昧さが進行してゆくと表現したほうが妥当だろうか。
つまり、名前を聞かなかったという最大の弱点はなにひとつ克服できないまま進むしかなかったわけだ。
また爺さんのもとに戻るか。それはご免被りたい。とっとと話を進めて物語を壊すべき足掛かりを見付けたらボタンを押してハイさようなら。面倒なことも御免も被りたい。
そして朝を迎える。
工場へ向かい、与えられた業務に向き合う。
検品なんてガラじゃない。
そんな風に思いながらもほつれを見つけては褒められ、なんとなくその気になる。
そもそも靴下には、気付かなかった気品がある。繊細に編み込まれ、足を包み込むように作られたそれは、全ての縫製品から独立した尊さがある。編み込まれるならセーターだって一緒じゃないか、なんて雑な意見は一蹴されてしかるべきだ。
セーター?
人目に付く事ばかり配慮された薄っぺらな、いや物はたっぷりとした毛糸がもとではあるが、そのうわべばかりを気にしているような意味で薄っぺらと言って過言ではなかろうか。
それに比べ、靴下。
彼らは人からどう見られるかなど関係なく、いやそもそも人目に触れないのだ。
複雑に編み込まれた自分が、踏み込み時に恐ろしい瞬時圧を披露するつま先や、常時理不尽な重心を任されている踵を、何も言わず抱擁するためだけに存在することに疑問さえ持たない。
それが然るべき、と。
その爽やかさを気品と呼ばずに何をそう呼ぶべきか。
そしてその気品に向けて魂を傾ける各工程の職人の品格よ。
先ほど変換エラーで皇帝としてしまったのを論理的に削除してしまったが、今改めて思えばそれを誤りとまで言い切る俺、俺という貴様は何を根拠にそんな愚行に至ったのだ。
貴様など土下座して謝っても謝り足りないどころかそもそも謝る以上の何か次元を超えた贖罪というべき何かを探して宇宙の涯を超え、それこそ多次元への際を発見すべきなのだ。
さて、収拾がつく内に我に戻っておこう。
「孫は見つけるべきか」
「探すべきといったわ」
「何か違いはあるのか」
少女はまた黙ったまま、前を見る。
不気味な暗示。暗示?馬鹿言え。設定を司る奴が彼女の口を借りてそう言ってんだ。
それ以上でも以下でもない。
おそらく孫は見つからない。
それでも物語の都合上、俺はとにかく孫を探す。
そうせざるを得ないと少女は、少女の向こうのあれは指し示す。
神様にでもなったつもりかよ。
そんな風に愚痴りながら、それもないな、と思う。
だって自分が神様になったくらい思い上がれるなら、自分を省みてもたつくことなど無いはずだろうから。
下らない同情だろうか。
おそらくそうなのだろう。
いいか。
もたつくなよ。
そして毎日が繰り返される中、七日目を越えたあたりから日にちの感覚も曖昧になってゆく。
それは、どうでも良くなっていくと同義であった。
(続く)
【次の話】
第8話 https://note.com/teepei/n/n8a703ed9546a
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