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[短編小説]La Fete des Meres(ラ・フェット・デ・メール)


 
「ノラさん、おはようございます!」

楽屋口近くでタクシーを降りると半年前からバックバンドでキーボードを担当してくれるようになったミキちゃんがドアの近くで煙草を吸っていた。

細身の体形にスリムのブラックデニムと白シャツがよく似合う。肩まである黒髪は無造作なシニョンにまとめられている。まだ二十歳そこそこの彼女はバンドの中でも最年少だが妙に老成した雰囲気のある女性だ。

クラシックピアノを幼少期から叩き込まれ、周りの大人たちは才能があると見込み数々のコンクールに挑戦させたが思うように結果が出せなかったらしい。いい加減なもので、そもそも彼女にピアノを強いていた大人たちもやがて興味を失い、本人もクラシックピアノの世界から遠ざかったらしい。そこからどういう経緯で私のバックバンドのリーダーである元さんに拾われたのかについてはまだ詳しい話を聞いたことがない。

「ミキちゃん、おはよう。今日もよろしく。今日はミキちゃんのお母様はいらっしゃるのかしら?」
「母は来ませんが祖母が来ます。以前からノラさんのファンだったんです。その祖母の影響で私も小さい頃からノラさんの歌が好きでした。私がノラさんのバックバンドのメンバーになって一番喜んでくれたのはその祖母なんです。ステージの後に紹介させてもらってもいいですか?」
「もちろん。お会いするの楽しみだわ。」

ついつい忘れてしまうが、私は既にこのぐらいの年齢の孫娘がいてもおかしくない年齢なのだ。

今日のコンサートは母の日にちなんだもので題名もフランス語で母の日を意味する『ラ・フェット・デ・メール』。チケットの価格設定から演奏する曲目まで『母』というテーマに則ったものだ。

ひょんなきっかけでシャンソン歌手としてデビューしてから既に55年。私の音楽を聴いてくれているのは主に私と同年代の人たちだったのだが、2年ほど前に最近のヒット曲をカヴァーしたアルバムを発表し、その中の1曲が去年公開されたある映画の挿入歌に起用され、若いファンが増えた。

事務所はこの機会を逃すまいと様々な企画を打ち出し、本日のコンサートもその一環だ。母親や祖母同伴という形でペアチケットを購入した場合一枚分は通常価格の3割引きとし、母の日の贈り物として提案することで若い世代をより多く集客しようという作戦だ。

楽屋入りしてすぐにステージ上に呼ばれ音合わせなど最終打ち合わせを済ませてしまうと本番までかなりの時間が空く。楽屋の片隅にある簡易ソファに腰かけ読みかけの本を開いた。何ページか読み進めるうちにうつらうつらとしてきた。

「お母さん、私は波乱万丈な人生を送りたいの。」
娘はキッパリと言い放った。
「平凡な人生が一番よ」
と答える私。
「そんなことないと思う。私は絶対波乱万丈の方がいいの。」
と間髪入れずに娘は言い切った。

そこでハッと目覚めて夢を見ていたのだと気づいた。夢の中で自分はまだ若く、12歳くらいの娘がいた。実際の私には子供はいない。結婚もしたことがない。歌い続けるためにそれら『女の幸せ』を犠牲にしたみたいに言われたり書かれたりすることがあるが、何を根拠にそんな風に見られるのかわからない。すべて人生の流れに身を任せて来ただけだ。何かを犠牲にしたなんて思った事は一度もない。よく歌の歌詞に『尽くしても、尽くしても、捨てられた』とか『あなたのために身を引くわ』とか自己犠牲を美化したようなものがあるが、実際のところ身をもってそんな体験をしたことは無い。無論、プロの歌手なので演者としてそういった女性になりきるが。

夢の中の『私』は平凡な人生が一番だと言っていた。『娘』は波乱万丈がいいと言っていた。果たして自分の今までの人生はどちらだろう。夢の中の『私』は私ではなく、『娘』の方が私だったのかもしれない。どちらでもあるようでどちらでもない。平凡とか波乱万丈といった形容詞で簡単にくくれるほど人生は単純ではない。

高校を卒業して間もない頃、ある企業でOLとして働いていた時期があった。その時に所属していた部署に出入りのあった取引先の社員に見初められ、求婚されたことがあった。真面目でおとなしい男性だった。間に入って紹介してくれた会社の上司も人物を保証してくれた。何回かデートを重ね、その男性はいよいよ結婚を迫って来た。言葉少ない中に相手にノーとは言わせまいという執拗な決意を感じた。特に断る理由は見つからなかったが、気乗りもしなかった。

母親に相談したところ彼女はこう言った。
「男の人は多かれ少なかれ皆同じよ。ちゃんとした会社で定職に就いている真面目な男性なんだから申し分ないじゃない。この話、お受けなさい。」

母は商家の長男で生粋の遊び人である父に振り回され、苦労の多い人生を強いられてきていた。娘には自分と同じ苦労はさせたくないと思って当然だ。夫とは何もかも異なる条件を備えた男性なら大丈夫だろうといういささか短絡的な考えに至ったのもわからなくもない。父の自分勝手な生き方に20年間付き合わせられてきたのは私も同じだった。そんな不安定な環境から早く逃げ出したいという思いも強かったし、安定したサラリーマンとの家庭という未来像も魅力的ではあった。

それでもなかなか決断を下せず悶々としていた時、友達にシャンソンでも聞きに行こうと誘われた。そのお店では毎ステージの名物として一曲分だけオープンマイクのコーナーが用意されており、客席にいる誰でもステージに上がって自分の歌声を披露することができた。

「今宵どなたか歌声をお聞かせいただけるお客様はいらっしゃいますか?」
と舞台上のMCが客席に向けて問いかけた瞬間、気が付いたら私は手を挙げていた。

慣れないお酒を口にして少し酔っぱらっていた事もいいように作用していたのだろうが、何より結婚の申し込みを受けるか受けないかの決断がつかず、ほんの一瞬でもこの肝試しで気を紛らわせたかったのかもしれない。結婚の申し込みを受けるのも怖かったが、断るのも怖かった。そんな意気地なしの自分に檄を飛ばしたかったのかもしれない。あとになってみれば何とでもいえるが、あの時自分が何に衝き動かされてそんな行動をとったのかはっきり覚えてはいない。なにはともあれ、私はあの日ステージに上がって思いっきり歌ったのだ。

歌いだしこそ声が震えたが、一度メロディに乗ってしまうと後は自然に声が出た。眩しいライトに照らされ、生まれて初めてマイクを通して聞く自分の声を不思議に思いながら、今まで生きてきて感じたことなかったような興奮を覚えた。歌い終わった瞬間、沈黙の後に割れるような拍手に包まれた。夢見心地で席に戻る途中、多くの人が直接声をかけてくれた。その時の観客の中に今も所属する事務所の先代の社長がいたのだ。プロになってみないかと声を掛けられ名刺を渡された。

その後の一連の出来事も、今となってはあまりよく憶えていない。反対する親の説得、結婚を望んでいた男性へのお断り等々精神的にしんどい作業が多々あったはずだがその時の記憶はほとんどない。

昔から私は自分にとって好ましくない思い出を意識から抹消してしまう傾向があるようだ。特に子供の頃の思い出があまり無く、妹が懐かしそうに幼かった頃の話を口にした時など全く記憶にないことが多く、
「お姉さん憶えていないの?」
と驚かれることがよくある。

再び読みかけの本のページを開いて数行読むか読まない内に楽屋のドアを誰かがノックした。

「ノラさん、ミキです。お話したいことがあるのですが、少しお時間いいですか?」
と若い女性にしてはトーンの低いミキちゃんの声がした。今まで1対1で会話をしたことも数えるほどしかなく、それも世間話程度だった。

一体何の話だろうと不思議に思いながらドアを開けて彼女を部屋の中に招き入れた。今まで自分が座っていたソファに座らせ私はドレッサーの前に設えてあった椅子に腰かけ彼女が話し始めるのを待った。

「ノラさんにこんな相談というか話を聞いてもらうのはお門違いかもしれませんが、この数か月ノラさんと一緒にお仕事をしてきてノラさんにこそ話を聞いてもらいたいと思うようになったんです。」

やけに真剣な調子でミキが話し始めたので少し面食らった。

「自慢じゃないけど人の話を聞くのは得意よ。下手したらステージで歌を歌うより人の話を聞くカウンセラーかなにかの仕事の方が自分に向いているんじゃないかと思う事があるぐらいよ。」

とその場の空気を和らげるつもりで軽口をたたいたが、ミキは全く意に介さず同じテンションで話を続けた。

「この仕事を辞めようか迷っているんです。」
彼女は単刀直入に切り出した。

「あら、そう。ミキちゃんは腕がいいから他のバンドから引き抜きの話でもあったのかな?」

「いや、そういうことじゃなくて。音楽の仕事を辞めようかと思っているんです。音楽を続けるのであれば引き続きノラさんのバックを務めさせてもらいたいです。他のメンバーの方々にも良くしていただいているし全く不満はありません。」
「それじゃあ何故辞めようか迷うの?」
「私は物心ついた時からずっと鍵盤の前で過ごしてきました。一流の先生の指導を受け、どんなに難しい曲も弾けるだけの技術を身に付けました。上手だと褒められれば嬉しくてもっと褒められようと頑張りました。コンクールでは期待されていたような結果が出せず周りの人々に申し訳ないという思いの余り一時期ピアノを弾けなくなりました。そんな中知り合いのつてでバンマスの元さんを紹介されました。元さんは私があまりプレッシャーを感じないように、リハビリと思って全く違うジャンルの音楽を演奏するバックバンドでキーボードを叩いてみないかと誘ってくれました。さっきも言った通りバンドの皆さんはとても優しくて今のポジションはとても居心地いいです。だからこそ色々考える余裕も出てきて、このまま漠然とこのお仕事を続けていくことに疑問を抱くようになったんです。自分が自分の意思で音楽を演奏しているのか、周りの人に言われたから演奏しているのかわからなくなることがあるんです。すごく贅沢な悩みだということもわかっているので余計迷うんです。」

言いたいことを言い終えてミキは静かに私を見つめていた。

「あなたがやりたいようにやればいいじゃない。しばらく迷い続けるもよし、音楽をすっぱりやめるもよし、他の世界を見てみるもよし。大事なのは自分が本当はどうしたいのかをしっかり見極めて自分で決めること。いざ決めたらその決断に反対する人がいてもひるまず突き進むこと。運不運はあるけれど、結果がどうであれ自分で考えて決めたことならば後悔はしないと思う。なんだか突き放すようだけど私から言えるのはそれくらいかな。」

「ありがとうございます。ノラさんならそんな風な答えが返ってくるだろうと予想していました。それなら相談するまでもなかっただろうと思われるかもしれませんが、実際に口に出して言ってもらいたかったんです。子供の頃から大人にこうしなさい、ああしなさいと言われ、敷かれたレールの上を進んで来ましたから。」

「ミキちゃん、自分で決めて行動したら自己責任だからね。結果がどうであれ、『あの時ノラさんがああ言ったから』なんて恨み節は嫌だからね!」
と苦笑した。

「もちろんです!」
彼女は笑顔で答え、
「ステージ前の貴重なお時間ありがとうございました。」
とペコリと頭を下げて部屋を出ていった。

開演時間が近づきつつあったので、私服からステージ衣装に着替えた。今日の衣装はピンクのシルクサテンのロングドレス。ライトを浴びた時キラキラ光るように胸元にクリスタルビーズが縫い付けてある。体の線が出るデザインなので、すっきり着こなすためにこのところ甘いものを控えてきた。ドレス姿を鏡に映してみると我ながらゴージャス。化粧品でドレスを汚さないように手製の上っ張りを着てヘアメイクに取り掛かった。もう何百回、何千回と繰り返してきた手順なので手が勝手に動く。

若者の初々しい悩み相談に乗ったせいか、意識は時を遡り、すっかり記憶の外にうっちゃってしまったはずの出来事を手繰り寄せた。

土曜の午後の会社帰り、新宿の喫茶店で男性の到着を待っていた。これから彼に伝えなくてはいけない内容を思うと気が重かった。一刻も早く話を終えてその場を離れたかった。

「やぁ、待たせてすまない。君から呼び出されるなんて初めてだなぁ。」
何も知らない男性は陽気に向かいの席に腰をおろした。すかさず近づいてきたウェイトレスにコーヒーを注文し、再び視線を私に戻した。

いよいよ話を切り出さねばならないと思うと頭がくらくらした。口の中がカラカラなのでお冷を一口啜った。グラスの中で氷がぶつかり合う音が私を急かした。
「あなたとは結婚できません。ごめんなさい」
単刀直入に言い切って頭を下げた。

それを言うためだけに男性を呼び出したのでそれ以上の言葉は用意していなかった。これだけで相手が『はい、そうですか。わかりました』と引き下がるとは思っていなかったが、とりあえずこれらの言葉を発すれば事は足りるだろうと高を括っていた。

なんという世間知らずだったのだろう。今でも自分がどこまで世間を知り得たと言えるのかはわからないが、当時の自分を思い返すと呆れてしまう。

私の言葉に男性はさして動揺している表情はみせずにこう切り返してきた。

「僕と結婚できない理由を教えてください。」

こんな冷静な反応を期待していなかったので拍子抜けした。結婚できない本当の理由は自分でもはっきりわからなかった。ただなんとなく気が向かなかったのだがそんなことを相手に言うわけにはいかない。表向きはもちろん歌の世界に進むからということになるが、この話が降ってわく前から自分の心は本当は決まっていたのだ。

「私は歌手になることに決めました。ですから、結婚はできません。」

この発言にはさすがに男性も驚きの表情を見せた。
「いきなりどういうこと?歌手なんかになりたいとは初耳だなぁ。」

『歌手なんか』という蔑んだ表現がひっかかったが、仕方なく私はスカウトされたいきさつをかいつまんで説明した。

「騙されているんじゃないの?何ていう芸能事務所?僕が調べてあげよう。」
会話がどんどん別の方向に逸れていくのを阻止する目的でこう言い切った。
「事務所についてはきちんと自分で調べました。しっかりしたところなのは確認済みです。もう私の決意は固いのです。どうかこの縁談はなかったことにしてください。」

「君はそうやってすぐ感情的になるくせがあるなぁ。もっと落ち着いて話をしようじゃないか。」
こちらを感情的になっていると非難しつつ彼の声の方が段々ヒステリックな響きを帯びてきていた。

「私は落ち着いています。どうか私の決断を受け入れてください。」
できるだけ心を込めて頭を下げた。

その言葉を全く聞いていなかったかのように彼は続けた。
「でもなんでまた急に歌手なんかに?ちゃんと理解できるように論理立てて説明してくれないかな?」

「なんで急に歌手『なんか』になりたくなったかに論理もへったくれもありません。ただ、なりたくなったからとしか言えません。」
私もだんだんやけっぱちになってきた。

「ほら、また感情的になってる。これも血筋かなぁ。」

この期に及んで血筋という言葉を持ち出す男性の品性を疑った。この縁談は断って正解だと確信を得た。
「もうこれ以上話しても無駄だと思います。今回の事は本当に申し訳ありません。どうか私のことは忘れてください。」
そう言い切って私は席を立ち男性を一人残し、その喫茶店を離れた。

しばらく男性からの電話や手紙は続いた。無視していたら直接家まで押しかけて来た。その時ばかりは日頃ふらふらしていた父も父親然とした態度で丁重にお引き取り願ってくれた。父は私の芸能界入りを好ましく思ってもいなかったが、その男性のことも虫が好かなかったのだろう。

それから6、7年ほど経った頃、銀座和光の前で信号待ちしているタクシーの車窓からその男性を見かけた。

彼の横には優しい雰囲気の妻らしき女性とまだ幼いおかっぱ頭の女の子が寄り添っていた。家族3人は寛いだ穏やかな雰囲気に包まれていた。彼が幸せな家庭を築いたことを目撃してホッとした。

それと同時に自分のその時の状況に対する焦りも感じた。デビューしたての頃は若さと目新しさが手伝って人気もうなぎ上りだったが、5年目を過ぎてくるとさすがにフレッシュさで勝負を続けるわけにはいかなくなってきていた。もっと歌の勉強をして実力で勝負できるように頑張ろうとその時自分に誓ったのを憶えている。

昔のことをあれこれ思い出している内にメイクも一通り仕上がり、いよいよステージに上がる時間となった。舞台に上がる前は今でも緊張する。これだけは何年続けても慣れることはない。とはいっても、この緊張感は、舞台で自分が歌の物語の中にぴったりハマった時に感じる快感と同じくらい私をこの仕事に惹きつけて止まない理由の一つだ。お化け屋敷やスリラー映画はあまり好きではないが、私には違った意味でのスリルを欲する性質がある。これぞ、誰かが言っていた『血筋』なのかもしれない。

母の日のステージということでこの日の演目は明るく軽快な曲中心で組んであった。魂を注ぎ込んで歌い上げるようなヘビーな曲は入れてなかったので、いざ歌い始めてしまえばリラックスして進行できた。曲の合間のトークでは自分の母についての当たり障りのない微笑ましい幾つかのエピソードを語った。

あの時の『男の人は多かれ少なかれ皆同じ』という母の発言はある意味正しかったのかもしれない。結婚には至らなかったがあれから何人かの男性との恋愛を経験し、若かりし頃に結婚を申し込んできたあの男性を過剰に厳しい目で見ていたかもしれないと思えるようになった。自分の中にいずれの男性からも同じようなネガティブな反応を引き出してしまう要素があるのかもしれない。だからといってあの結婚話を受けるべきだったと思うわけではないが。

母は自分の子供たちに平凡な幸せをつかんで欲しかっただけなのだろう。

ある時、2歳違いの弟が水商売の女性とつきあい始めたことがあった。それを気に病んだ母は何を思ったか姓名判断をする易者に相談して弟の名前を画数の良い別の名前に変えてしまった。それが功を奏したわけではないだろうが、弟は件の女性とは別れた。だが、その後平凡な幸せをつかめたとも言い難い。

姉弟そろって母の願いに報いることはできなかったようだ。

母にとっての救いは父に愛されていたということ。そして彼女が父を愛していたということだろう。若い頃は父の好き勝手な生き方に翻弄されていたが晩年の二人は仲睦まじく暮らしていた。母は父より先に亡くなったのだが、妻に先立たれた後に記された父の日記が死後に出てきた。中には母への思いが連綿と綴られていて痛ましいほどだった。


コンサートの最後は私の最近の十八番でもある『ケ・セラ・セラ』で締めくくることになっていた。

  私の小さい時   
  ママに聞きました
  
  美しい娘に    
  なれるでしょうか
  
  ケ・セラ・セラ
  なるようになるわ 
  
  先のことなど
  判らない     
  判らない

温かい拍手に包まれながらカーテンは降りた。
心地よい疲労感と共に楽屋に戻った。
メイク落としにとりかかるべく鏡の前に座ろうとした時にドアをノックする音がした。

「ノラさん、ミキです。祖母を紹介したいのでちょっとだけお時間いいですか?」

「どうぞ、どうぞ。」
と二人を楽屋の中に案内した。

ミキの隣に立っている婦人を見てどこかで会ったことがあるような気がした。

「〇〇と申します。いつもミキがお世話になっております。」

〇〇という苗字を聞いてピンときた。この婦人こそ銀座の街角で彼の隣にひっそりと寄り添っていた女性だ。

ということは、ミキが彼の孫でもあるということだ。

なんという愉快なめぐり合わせ。

先のことなど判らない、ケ・セラ・セラ。

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