台灣珍遊備忘録2023
まえがき
「酔生夢死」という四字熟語がある。
意味は「何も価値のある事をせず、ただ生きていたというだけの一生を終えること。くだらない一生。」と、辞書を引くと出てくる。
1000年近く前の漢詩が由来となっている。
言葉の意味や、使い方は時代ともに変わっていくものだけど、この言葉は良い意味だとはじめは思っていた。酔っ払いながら生き、夢見心地で死んでいく。ロックンロールバンドようだと。
「厚顔無恥」という四字熟語もある。
俺にぴったりの言葉です。
以下は個人的な備忘録として書いておいたものです。
誰かのほんの暇つぶしになればと思い、このような形で残しておきます。
ある種の認知療法のようなものでもあります。
雑記乱文、失礼します。
『臺灣珍遊備忘録2023』
「世界のフェス出演を懸けたオーディション」と銘打たれ、東京都内で開催されたオーディションがあった。それに応募し、ライヴ審査を受けたところ、此度台湾は台中で開催される「Roving Nation Festival2023」なる野外音楽フェスに出演できる事になった。
Glimpse Groupは都内で活動する4人組のロックバンド。
そんで私はそこのギターです。
そしてこれはコロナ禍をはさみ、4年ぶりの台湾遠征の記録。
12/8
羽田空港集合。
今回の遠征はメンバー4人に加え、スタッフとして革職人のモモエ、カメラマンのSADZ、メンタルケア(士気鼓舞)のチナツ、そして統括エグゼクティブツアーマネージャーのミウミウの計8人で旅を共にする。後から現地でもう一名、アメリカからの刺客も合流する予定だ。こんな大所帯初めてだ!
(と思っていたが、フェスに出るメジャーアーティスト連中のこれから合戦に行くかのような同行スタッフの多さに我々は最小限であることを知る。)
(そういえば前回台湾に来た時も、マルヤマリュウ(Bambi Club)とヨーコも来てくれたし、あの時も俺たちは8人だったなと思い出す。)
まずは早々に羽田空港内の店でビールとハイボールを補充し、
岳が最近ハマって常に携帯しているけん玉に勤しみながら、
ジョン・レノン先生の命日であることを想う。
ロビーで岳のけん玉を怪訝そうな表情で見守る子供が可愛かった。
【この時の慎平の状況:無口、眠い】
12:30頃 羽田発台北行き搭乗
17時 台北松山空港着。
暑い。12月の夏。両替をしてホテルへ直行。
台湾語が完璧な現地フェススタッフの増田さんが案内役として合流してくれたので無敵感が増す。
道中の夕陽が印象的。
日本でみる夕陽とは違った。
真っ赤で大きな球体がゆらゆらと宙を漂っているよう。
脳内BGMはSANTANAでJust In Time to See The Sun。
ホテル到着。車から降りると台湾特有のハッカクらしき香料の効いた街の匂いでなんとも懐かしい気持ちになる。この匂いで台湾に到着したことを実感する。
チェックイン前にコンビニでタバコやビールを買い、初めて「謝謝」と言う。
しばらくビールを飲みながら、ホテルの表でたむろしていると、その日にフェスに出演していた「粗大BAND」に声をかけられる。お洒落にPOPに着飾った粗大のメンバーたち。
とても友好的で日本でもライヴをしたことがあることや、日本が好きだという事を伝えてくれた。彼らからのリクエストで一緒に写真を撮った。移動疲れと海外環境への緊張もあったのか、少しテンション低めに接してしまったかもと若干の後悔。ごめんなさい粗大BAND。またどこかで会えたらいいね。
19時頃 腹ごしらえと周辺の環境を探りに、夜市へ。夜市の名前失念。アーケードの装飾の「星がキラキラしててカワイイ」とか誰かが言ってた記憶がある。多分、岳。
夜市ではルーロー飯食べ放題店に入る。食べ放題だと知らずに入る。注文の仕方わからず、ひたすらそれっぽいものを頼んでみる。ちゃんと食べ放題できる。美味。
【この時の慎平の状態:無口。ルーロー飯お替りせず(元来小食)】
腹ごしらえ後、ふらふらと夜市を散歩して雰囲気だけ味わい、ホテルに戻る。
コンビニで台湾ビール等々さんざん買い込み、近くにあったタージーパイ屋(台湾のフライドチキン的なもの)でチキンも買う。
その後ホテルの1室に全員集合、決起集会を開催。今回サポートしてくれるチナツは初対面だったこともあり、親睦会みたいなもんで、会話内容はほんとに意味ない。とりあえずお互い緊張を解き放ち、ここから数日よろしくよろしくって話。もしかしたらこの数日で恋心とか生まれちゃったりして?いやーバンドマンはくそ無理っすわぁみたいなその程度のレベルの飲み会だったと思うけど、眠気と酔いで会話内容全失念。
部屋での飲酒が落ち着いたころ、いったん解散し、再びコンビニに行き、メンバー4人路上で〆の1杯を流し込む。
ここでも明日への士気を高めたり、お互いを鼓舞したり、ということは無く、普段と変わらない飲酒喫煙。横浜か、下北沢にいるのかと思う。
本当に、野外フェスに出るために、台湾まできたんだろうか?遠足で、飲みにきただけなんじゃなかろうか、とさえ思える。この4人でいると、いつもそんな感じだ。
周囲の読めそうで読めない台湾語の看板たちだけが知らない土地にいることを実感させる。夜は冷えると聞いていたが、真夏の夜のような肌感。月がどこにも見えないのが不思議。
〆の一本を飲み干し、ぼちぼち部屋に戻ろうかとなった時、塚田だけがコンビニへこそこそと入店する。あいつ、まだ部屋で飲む気だ。
【この時の慎平の状態:少し陽気】
深夜3時、就寝。
12/9
朝7時起床。泥のように寝れたおかげか二日酔いもなく、目覚めが良い。
早起きしてしまったので、朝から部屋の浴槽にお湯を張り、バキバキに入浴する。
外の空気を吸いに出ると、東京から駆け付けてくれたシンクレアと出くわす。
シンクレア合流成功。そもそもアメリカから太平洋を越えて日本に来ているってのに、さらに東シナ海を越えて台湾へ。大したやつだよほんとに。
深夜便に乗り、空港で一夜過ごしてから台中入りしたということで、見るからに疲れていたし、彼女が取った宿は俺たちの宿から少し離れていたので、俺が朝飯食べて散歩している間、俺の部屋で休んでていいよという優しさを発揮して、鍵を渡してとりあえず別れる。
朝メシは近くの朝食屋へ。焼きそばとダンピン。
4年前に台湾に来た時もそうだったけども、台湾は早朝から朝食が食べられる食堂みたいなお店が日本よりも多い。朝メシといってもなかなかガッツのあるボリューム。
ダンピン(漢字では「蛋餅」と書くらしい)は台湾の定番朝食メニューとのこと。
小麦粉の生地に、タマゴやハムや、チーズやらなんやらが包んである。
お惣菜系クレープみたいなもんですね。最高です。
台中は、台北に比べるとやはり田舎バイブスが高めだし、繁華街や夜市にいかなければ観光客ともあまりすれ違わない。欧米系の人たちもほとんどいない。
だから朝食が食べられるようなローカルな店に入ると英語メニューなんかないことが多い。
これまた読めそうで読めないメニュー表。中華文化圏で漢字を扱う言語を母国語として育っていながら、見事にわからない。予測は建てられる。ギャンブル。
ただそこは台湾の人たち特有の青天井の優しさというか、親切心に毎度助けられる。
前回の訪台も合わせて、言葉がわからないことを理由にお店で嫌な思いをしたことがない。
しかもなぜかめちゃめちゃ親切なのに押しつけがましさもなく、心地よい優しさ。
一体どうなってんだ。俺も優しい人間になりたい。
4年前にも飲み屋に入れば隣に座ったおっちゃんが「兄ちゃんたち日本人か?これ美味いから食え!俺は若い時TOSHIBA(MITSUBISHIって言ってたかもしれない)で働いてたんだ!」なんて声をかけてくれ、なんかご馳走してくれる、みたいなことが何回かあったし、言葉がわからずメニューとにらめっこしていると日本語が話せる若い学生さんが「何が食べたいですか?」って聞いてきて助けてくれることもあった。
そして、今回の旅でも、そんな台湾カインドネスにこれから大いに助けられることを、俺たちはまだ知らない…。
朝食を平らげ部屋に戻る。11時頃、機材をまとめ会場への車に乗り込む。
【この時の慎平の状況:無口、眠い】
心豊かな朝活のおかげもあり、フェス会場までの車中は深睡眠。ちょうどレム睡眠に切り替わりそうなところで会場到着。
基本的に体育会系中学生みたいなマインドを持った4人なので、準備片付けはなるべく早く済ませたいタイプの俺たちはそそくさと機材を所定の場所に運び、満を持して、フェスの空気を吸いに行く。
バックステージではビールとハイボールが飲み放題であることに感動し即座ビールを流し込み充電。ハイボールは、台湾特有のウイスキーを甘い紅茶で割ったもの。ベイリーズベースのカクテルみたいにデザート感覚で飲んでいるとあっというまにへべれけになってしまう。
4年前もコイツにやられて台北の地べたを這いつくばってたやつがいた。(その男はBambi Clubのベーシストだ)
明日出演のインナージャーニーにもバックステージで遭遇。乾杯に継ぐ、乾杯。
出番前、慎平は飲まない。他のメンバーは泥酔しない程度に飲む。
さじ加減は各々自分に課したルールがあるような無いような。
バンドマン談義じゃないけど、たまに議題に上がる「演奏前の飲酒およびその他酩酊感を伴うあれこれの摂取の是非について」だけれど、これはもう正解がないというのが正解としか言えないと思う。広い意味で「ロックバンド」を自負しているのならそこは自分で決めれば良い。演奏前は絶対に飲まない、なんなら数日前から自慰行為すら禁止にするなんていうストイックなアスリートみたいなことを自分に課してパフォーマンスの向上に努める人がいるのも知っている。ミックジャガーなんかはあの年齢で今でもステージ上で2時間走り回るためにトップアスリート並みの設備・サポートを駆使して肉体づくりをしているらしいし。かと思えば、パンクだ、ロックンロールだ、ということで世論、体裁、常識などFuck itってことで出番前から形振り構わずやりまくっている人たちも沢山いる。それがナシかアリかで言えばモハメド・アリ。エネルギーの高め方について人にどうこう突っ込まれて、それに従うぐらいならわざわざロックバンドなんてやっちゃいない。
客から金を取るプロフェッショナルとしてどうなのそれ、と言われれば確かに、「ロックバンド」はいつまでたってもアマチュアなのかもしれない。駄々をこねる子どもと大差ない。そんな時思い出す、大切なことは「他所はよそ、自分は自分」。云々、カンヌン。
Glimpseに関していえば個々が独立国家的で、不干渉平和条約を結びつつ、演奏する時に限ってのみユナイトするアライアンス。基本的には実生活や出番前の過ごし方について誰かが誰かに口を出すことは無い。ただこの「不干渉平和条約」というのは「第一条第一号(1):各々が各々のためにステージ上で悔いなく気持ちよくなれる演奏をすること。(2):またギタリスト、ベーシスト、ドラマーにおいてはフロントマンである藤本慎平の魅力を余すことなく発揮するための演奏をすること。(中略)それが成し遂げられて初めて4か国で織り成す音楽はまるで1つの生命が如く生き生きとしたエネルギーを発散することが叶う。」が大前提であるため、これが施行されなかった場合は条約不履行となり、4か国はたちまち同盟解除、第一次バンド活動イニシアチブ争奪大合戦、群雄割拠の戦国時代に突入することになる。些細なパワーバランスの変化で、あっちゅうまに解散してしまうバンドも数多と見てきた。諸行無常が世の理といえども、誠に惜しいことでござる。
ずいぶん脱線してしまったけど、要は俺たち、こんなに酔っ払っちゃあもうなんもでけねぇ、全部台無しだぞぇ、と、ならない程度に、その日その時間を楽しみながら出番を待つのが一番性に合っているみたい。それは、何度か大失敗も重ねて見えてきたものなので、経験則ですね。肝心なのは。
話しを戻して、Roving Nation Festival2023。
前述の通り、程よくビールで喉潤し、各々ステージを見に行ったり、会場をぐるりと散策してみたり、塚田は露店でマッドチェスターみたいなバケットハットを買って、ステージでもかぶっていた。昨今の円安の時勢、なんでもかんでも安い!とはならない。この時のレートで100TWDが460円程。こちとら筋金入りの文系。むしろ文系といえるほどのオツムですらない。カネの計算ができねぇのだ。どんぶり勘定で物販用のつり銭を作ろうと、街でみつけた両替機に札束突っ込んだら、桁を間違えて笑っちまうぐらい大量の硬貨が出てきた。
カジノでスロット大当たりしたらあんな感じなんだろう。エンドレスジャラジャラ。
一生懸命使おうとしたけれど、無事、我々と共に日本入国。いま家に大量の台湾ドル小銭があります。欲しい人いたら少しならあげます。
話しを戻して、Roving Nation Festival2023。
ステージは背中合わせに2つあり、交互にバンドが演奏していく。昼から夜まで、1日10組程度が出演する。
天気は快晴。気温は28℃。季節はクリスマスなので、灼熱の中にも関わらずクリスマスツリーもあるしサンタコスプレの女性もいる。
芝生の広がるだだっ広い公園という感じの会場には食べ物屋さんや、雑貨屋さん、古着屋さんがテントを出している。フジロックでいうとフィールドオブヘブンとその周辺という雰囲気。
旧車の単車と車が並んでいるコーナーもあった。
アート過ぎてなんだかわからないオブジェもなんだか分からなくて最高だった。
雲ひとつない晴天。肌を焼く日差し。
Summer Of Loveなんて古臭い言葉が思わず頭をよぎる程には、ちょっとお花畑。フラワーチルドレン。
グリンプス出番直前に反対側のステージで演奏していた「温室雑草」というバンドが良かった。温室で雑草という台湾語の意味は分からないけど、ガンジャのことか?と思った。音もサイケデリアを感じさせるいい演奏だった。
余談だけどもTHEティバというかっこいいバンドを日本で見つけた時も、「ザ・ティバ?サティバ?」と思った。しかもTHEティバのある曲で「Skin up hiding from the febs」というような歌詞もあってこれは確信犯!と思ったけど、バンド名の由来は別にあるらしかった。
温室雑草の演奏が終わり、グリンプスのリハーサル、サウンドチェックが始まる。強い日差しが直で額を刺す。目も開けていられないほどまぶしい。会場スタッフは細やかな気を使ってくださり、意思疎通も無問題、親身になってくれたおかげか、普段東京のライブハウスでやるのと同じか、下手したらいつも以上にすんなりとハマる音が作れた。気持ちいい。なんのストレスもない。ただただ気持ちいいぞこれは、と、4人とも感じていたはず。
【ここでの慎平の状態:無口。いつも通りのライヴ前の状態。】
―――――――演奏中はいつも通り、一瞬の幸福の中。大切な時間なのでバキバキに割愛。
その場にいた人たちとの、つかの間の蜜月ということでおなしゃす。観念的に結婚。祝福。
演奏終了後は、各々ひたすら飲む。露店でなんか買って食う。会場を散歩してみたり。
地べたに座り込んで酒飲んでみたり。やっぱり立ち上がってから酒飲んでみたり。
ほんとにすみませんねぇ、ただ酒かっくらってばかりの4人で。
もう海外だという事も忘れて「すいません、すいません」「もう一杯ください。すみません」とか言いながら、ドリンク置き場に足しげく通う日本人4名。サムライ。ニンジャ。ホンダ。カワサキ。
そうして良い感じの酩酊感が到来している最中、場内でトラブルがあり、フェスが中断される騒ぎが起きた。
演奏は中断され、救急車が場内に入り、観客は騒然、ステージの周りからも遠ざかるように指示と怒号が飛び交うが、言葉がわからないので詳細が掴めない。
細かな内容は割愛するが、とりあえず大事には至らず、幸せな時間が止まってしまった以外はなんの被害もなく、無事フェスティバルは再開された。体感だけど1時間弱ほどのカオスだった思う。
無事解決した喜びもあってか、その後の演奏と観客はより熱を帯びていたように感じた。
主催側は肝を冷やす、良くない形だったかもしれないけど、結果的に期せずして緊張と緩和、ポボスとエレオスが引き起こすカタルシス体験だった。
日本の「羊文学」の演奏を見てから、帰路についた。
【ここでの慎平の状態:けっこう陽気】
22時頃ホテル到着後、荷物を片して腹ごしらえへ。
ホテルから歩いて10分ほどのお店へ。薑母鴨という鍋料理が食べれる場所。
薑母鴨(ジャンムーヤー)は台湾の伝統料理で、中華料理よりもさらに現地オリジナルらしい(というのは帰国後知りました)。店に入るとインナージャーニーが既に店内にいて、店主から聞き取ったらしいオススメメニューを教えてくれて注文するのに助かった。ショウガの効いた鴨肉鍋。美味しく楽しく鍋をつつきあったが、ここでの会話も酒量影響大によりほぼ失念。店内は倉庫みたいに大きく広々とした空間で、コンロ付きのテーブルがぽつぽつと並べられている。おそらくだけど地元民に愛される昔ながらの大衆居酒屋みたいな場所なんだろう。地元の雰囲気を存分に楽しみ、さらに、さらに、酩酊。
【ここでの慎平の状態:けっこう陽気】
もうここから時間感覚もない。ホテルに戻ったのは2時頃だったか3時頃だったか。
ホテルから店までの往復路、街中の散策が楽しかった気がする。知らない土地を、知ってる仲間と闊歩する。街の匂いが違う。比喩的感覚の話だけでなく、物理的にも、ハッカクが強めに香る。湿度は高いが夜は風が抜ける。12月の真夏。星は綺麗だけど、やっぱり月は見つけられない。
解散してそれぞれ部屋に戻る。
もう一度、下のコンビニに行けば路上で塚田や岳が飲んでるかも、と思い部屋から出るが堪が外れる。だれもいないので、タバコを吸う、オリオン座は日本と同じように見える。やっぱりどうしても月が見つけられない。泥のように眠る。
12/10
朝9時起床
そそくさと荷物をまとめ、台北行きの車に10時に乗り込む。
岳が部屋に洋服を忘れたことにより、出発に手間取るゴタゴタが発生。
そういえばお前、4年前も財布を宿に忘れたまま空港に行ってゴタゴタしただろ。
このゴタゴタを機に、もうひと悶着発生。
なんと、カメラマンSADZの機材が車の中に積まれていないことが道中判明。
どうやら岳が洋服を部屋に忘れて、その連絡がホテル側からきて、片言の英語のやりとりでなんやかんやゴタゴタして時間を食ってしまい、急いで車に乗り再出発を図った時にカメラ機材の入ったバックパックを積み忘れてしまったらしい。
異国での紛失物を見つけ出し取り戻すのが厄介なのは一同承知だし、さすがに焦ったが、なんとここで、チナツのスーパープレーで、同じホテルに宿泊していた別のバンドのスタッフに連絡を取ってバックパックを見つけ出してくれた。
その上、その機材はフェススタッフの中に今日台北に帰る人がいるので、俺たちが今夜出演するライブハウスまで届けてくれるとのこと。そんなこんなで皆々様のお力添えのおかげで、なんとか解決。こんなトラブルがあると余計に思い出深くなるものです。
ありがとうの極み。
台中駅から台北駅までは新幹線で移動。
【ここでの慎平の状態:無口】
台北駅到着。台中よりさらに暑い気がする。そしてやはり都心。街並みも東京と変わらないぐらいだし、一気に国際色も豊かになる。そういえば台中ではホームレスの物乞いもあまり見なかったがこちらではサグい雰囲気も倍増。欧米系の観光客らしき人たちも増える。わりと旅慣れしている自分はセンサーがピピっと働き、鞄は体の前に掛けるようにした。意外とこんな些細なことでトラブルを免れたりする。田舎者の勘。
「都会の喧騒」がなんだか久しぶりに感じる。
【ここでの慎平の状態:無口】
駅からまずは台北での宿へ移動、荷物だけ預けて、この日のライヴ会場THE UU MOUTHを目指す。4年ぶりの台北。
前回出演したRevolverは今回の会場から6kmほど離れているようなので、街並みに見覚えはあまりなく新天地。
そもそもRoving Nation Fesには東京で開催された公募オーディションに参加し、出演枠をもらうことができたので、今回の旅に繋がったわけだったけど(正直俺の中では「絶対Wang Dang Doodleが確定!」って言っていたんだけど、どういうわけか彼女たちは落選。審査員どうかしてんぜマジでよ。(選んでもらっておきながら文句言う事も辞さないぐらいワンダンが好きだ))、この日のUU MOUTHに関しては、地元の知人との繋がりからブッキングにねじ込んでもらった流れでの出演だ。
4年前もそうだったのだけれど、台湾と縁が持てたのは地元藤沢のライブハウスで10代の時に出会った「美音さん」が台湾に移住したことがきっかけだった。
彼女は気合の入ったハードコアパンクのバンドマンでもあり、音響マンでもあり、レコーディングエンジニアでもあり、地元にいたころから散々お世話になっていたのだけれど、彼女がかねてからの夢だったという台湾移住に踏み切り、数年間台湾で過ごしていたタイミングで「グリンプスも台湾でライブやれば?」と声かけてくださったのに返す刀で「じゃあすぐ行きます。」と返事したのが始まり。
美音さんの繋がりの中で、ブッキングにねじ込んでもらえたのが4年前のrevolverだった。今回も流れは同じ。美音さんが紹介してくれ、すでに開催が決まっていたイベントに無理やりグリンプスを突っ込んでもらえた。ありがたい話です。
しかも主催のレオンさんとやり取りしてるうちにそのイベントはどうやら台湾の仲間たちで大事に育ててきたイベントの周年企画だという事がわかった。そんな日に文字通りどこの馬の骨かもわからない日本のクソ無名バンドを放り込むのはさすがに懐が広いなぁと。美音さんの人望もあるのでしょう。
とにかく、訪台に向けてお互い片言の英語でやり取りが続ける中で、向こうはとても気合い入れてイベント組んでることが伝わってきてとても楽しみだった。気持ちのあるイベントを肌で感じられることが嬉しくてたまらない。
話しを戻し、ホテルから会場へ徒歩移動。10分ぐらい歩いて、汗だくだく。何度も言うが12月の真冬。機材もあるし、そろそろ堪忍してくれぇというタイミングで到着。
思っていたよりも都会的なオフィスビルの、半地下にハコがある。地上の広場から階段を下ると、半地下にも吹き抜けの広場みたいな開けた屋外スペースがあり、なんとそこで既にDJスペースを作り結構な爆音でDJがサウンドチェックをしていた。
真昼間ビジネス街の真ん中で。こんなの東京でやったら速攻でお巡りが来るか、そのハコは営業停止になるだろう、という感じ。野外レイヴだこれはもう。すでに台湾に来て数日経っているけれど、もしかしたらこのタイミングが今回初めてのカルチャーショックというか、「海外だぁ」と思った瞬間だったかもしれない。当たり前だけど日本の常識の外。これが都心で成り立っていることへの、喜びみたいなものがこみ上げてきた。大らかだよこれは。
とかなんとかうひょうひょ言いながら、門を叩く。
ライブハウス自体の作りも、日本と違っていて、メインの扉を開けた瞬間もうフロアみたいな。これは演奏始まったら音は外にだだ漏れだろうなぁと。防音扉みたいな概念なくて最高だなぁって感じでした。もうね、この時点でこっちはテンション上がっちゃってるんで、というか、テンション上がっちゃってるんでってことにして早くビール飲みましょうってことにして、すぐにビール注文しました。すみませんでした。
主催のレオンさんともようやく会え、握手。LINEでやりとりしているよりさらにシャイというか、英語も苦手みたいだったから、言葉数少な目で、とにかく楽しみにしているよ、よろしくねって感じだった。でも目を見ればわかる、深い優しさを携えていて、初めて会った気がしない安心感をもらった。完璧だ。待ちわびていた日だ。楽しむだけだと、すべてが合致した気がしていた。
さて、では、対バンの皆さま、台湾ロックンローラーズの雰囲気はいかがなものだろうかと、リハ中のバンドや、待機中のバンドの様子を伺う。もちろん俺たちが完全によそ者なので、こちらから挨拶をするのが筋だろうと、軽く声をかけてみたりもするが、結構これについてはそっけない態度。あまりウエルカムな感じはしない。ってかみんなシャイなのかなぁと思った。台湾のバンド同士では仲良さそうに絡んでいたけれど。そりゃそうか、馴染みの大切にしてきたイベントの周年パーティーだ。急にお前ら誰やねんって話だ。でもこれぐらい多少はピリピリしていた方が、気合が乗りますって話ですからほんとありがたいっす。
自分たちのリハーサルの順番がくるまで、会場周りの雰囲気を楽しんでいた、救われたのがバーカンのお姉さんの笑顔が素敵だったこと。言葉のコミュニケーションはうまくいかないものの「お前らもうそんなに飲むの?」って言われている気しかしない感じが、そうです!僕たち飲みます!と成る。
なんやかんや遊んでいるうちにリハの順番がくる。
片言英語でのセッティングもさすがに慣れたものだし、精神衛生的にはこの上ないぐらい現場を楽しんでいるので、そういう時は音作りもわりとスパっと決まるもの。
ただ事前のやり取りがお互い片言の英語だったこともあり、俺はてっきりこれはリハーサル兼オーディションで、「リハの音出しの出来次第で出番がトップバッターになるのか、トリ前になるのか判断される」と事前に言われたつもりだったんだけど、すんなりリハが終わり、すんなり出番はトリ前で、となった。あれはオーディションをされていたのかどうか、その一点だけは不明だけど、まぁこっちもこっちでどんぶり勘定なバンドなので、Let it be。すんなり受け入れといたので全く問題無し。出番が早かろうが遅かろうが、俎板の鯉、美味しく召し上がってもらうのみです。
全てのバンドのリハーサルが終わる前に近くで少し腹ごしらえ。せっかく台湾まで来ているんだから、食えるタイミングで食えるものをいつもよりちょっと多めに食っとく。台湾のご飯なんでも美味しいよ。ありがてぇよ。
さくっと食事をすませ箱にもどる。いよいよオープンだ。巡業バンドマン必須の物販展開を整える。
自慢じゃないがGlimpse Groupの物販の売れ行きはどこにいっても最悪だ。商売下手にもほどがある。それでも流石に台湾だといつもよりちょっと売れる。ありがてぇよ。ただその売り上げは速攻で台湾ビールに等価交換される。我々の魂の鱗片は一瞬現金に替わり、間もなくアルコールを含んだ液体の入ったミドリ色の瓶に替えられる。何もまちがっちゃいない。小さな経済を回すのだ。そのついでに酔っ払おう。
イベントオープンの時間がやってきた。
前述の通り、屋外に設置されたDJブースがより一層爆音でプレイを始める。正直ジャンルはひっちゃかめっちゃかでUKロックだったりEDMだったり、ハードコアパンクだったりの曲がカオスにプレイされる。
お客さんもオープン直後から予想以上に集まってきた。その辺はさすが長年続けてきたイベントらしかった。観客は箱の中に入ればフロアはパンパンになるぐらいの人数が早くも集まっていた。バンド演奏が始まるまではみんな屋外でDJで踊り散らかす奴もいれば飲み散らかす奴もいれば、とにかくお祭り騒ぎだった。
秩序とかじゃない、カオスだけど、みんなすごい笑顔。楽しいなこれは。こんな大都会で、ここだけ解放的な海辺か、もしくは深いジャングルの中か、とにかく社会から独立したあそび場のように感じた。シンプルに警察こないのがすごい。そしてイベント開始早々に酔いつぶれている奴もいる飲酒のスピード感。たまんないすね。
いよいよバンド演奏も始まった。無骨なロックンロールバンド、SKAパンクのバンド、女性ボーカルのソウルフルなバンドもいた。どのバンドもなかなか暦の長いベテランの風格があり、フロアも熱気あふれ盛り上がっていた。客層の年齢は幅広い。パッと見20代前半~40代半ばぐらいがどの年代に偏ることもなく遊びに来ていた。これだけ幅広い年代に親しまれているってことはこのイベント、今後も軽く10年は続いていくんじゃないかなと感じた。長く続いていく良いイベントの一つの条件だと思う。
出演しているあるバンドを見ていたら、なんだかギタリストの背格好や服装、ギタープレイも使っているギターもテレキャスだし、アベフトシみたいだなぁと思ったんだけど、そのバンドは出番が終わったあとみんなThe BirthdayのTシャツに着替えていて、やっぱりと、納得した。
チバユウスケが亡くなったのは先月だった。
そのバンドの出番後にボーカリストに声をかけてみた。「Tシャツカッコイイね。俺も大好きだよ」と。そしたら「すごく悲しいニュースだった。10代のころからずっと、大人になってからも、辛いことがあっても彼の歌にいつもエネルギーを貰ってたんだ。」って。
海を越えても一緒だなと。
「俺はチバユウスケと同じ街の出身なんだよ」ってちょっと自慢して、その後よくわかんないけどガッチリ握手とハグをした。よくわかんないけど、俺らもまだまだやってこうぜ、ってな熱い空気が流れた。チバユウスケのおかげだと思う。
後からレオンさんに聞いたら、そのボーカリストは台湾ではかなりのベテランで、台中だったか台南だった忘れたけど自分のライブハウスも経営しているらしかった。
(この辺もちょっと片言英語過ぎて曖昧。もしかしたらライブハウス経営してるのは別の方かも)
なんだか気安く話しかけてすんませんでした。大先輩ですよねきっと。
フロアも屋外も、想像以上のお祭り騒ぎで、さてGlimpse Groupの出番が来ましたが、
どういう反応されるのかなぁ、まぁどうだったとしても、心の底からやりきるぞと、挑みましたが、始まって見たらそれはもう、くそくそ楽しかったです。ここはやはり自分らにとってはお客さんとの大切な時間なのでバキッと割愛させていただきます。
ただ、俺らのことを事前に知ってて来てくれているのか、たまたま今日は日本のバンドも出るじゃんて感じだったのか、結構そこは謎だった。どっちのテンションであんなに盛り上がってくれていたんだろう。でも、前日のフェスのライブを見て、今日も来たよ!って言ってくれる人もいたから、それは結構嬉しかった。
全てのバンドがパフォーマンスを終えた。お祭りだった。言葉がわからないので詳しい事情は把握できてないけれど、俺たちのこともその場にいる仲間として受け入れてくれているのがとても伝わってきて、ありがたかった。もうなんだか地元で遊んでいるのと同じような気分でいさせてくれた。
イベントがハネたあとは書いて字のごとく「自由時間」だった。ほとんどのお客さんがベロンベロンで、箱の外でナイトピクニック状態。沢山の人が話しかけてくれた。乾杯してくれた。よくわかんないけどやたら陽気な青年が「俺は台湾のチャックベリーだ」と言いながらテキーラを奢ってくれたり。めっちゃ陽気な良いやつだったけどチャックベリーというよりホワイトスネイクのバーニーマースデンみたいな見た目だった。そしてみんなの分のテキーラを持ってきてくれてガンガン飲めと煽ってくるのに、結局自分は飲まないというのが、面白かった。
フェスと合わせて、たった2本のステージだけどひどく充実した3日間だった。明日帰国するというのが名残惜しかったし、今日のこのイベントが閉幕するのも駄々こねて阻止していつまでもへらへらとビールを飲んでいたい気分だった。
ただ、なんだって始まったら終わりがつきもの、楽しい時間はあっという間に過ぎ、「宴もたけなわではございますが」って此れのことかぁとつくづく感じる瞬間がやってきて、お片付けタイムになる。
Glimpseは片付けが早いで定評がある。これは数々のライヴハウスで学んだ教訓からきていて、要は「酩酊する前に荷物をまとめろ!」ということ。
酔っ払うと絶対なんか忘れたり、失くしたり、落として壊したりする。苦い経験から心掛けるようになった、とっとと片付けて安心して酒飲む術。
そういうわけで既に荷物がまとまっている我々はギリギリまで飲み(これも片付けが早いと貰える特典)、会場を後にしていく皆と別れを惜しむ。今度は日本に見に来ると言ってくれた人もいた。
シンクレアはなんと今日の深夜の便で東京に帰るという。そして帰国してそのまま日本語学校に行き、漢字のテストを受けるという。ハード過ぎる。というわけでシンクレアはココで離脱。イベント閉幕と同時にタクシーに乗って台北空港に向かわなきゃならない。しかもちょっとフライトの時間ギリギリかもしれない。
なんてことを話していたら、今日の出演者の中からジェントルメンが2人、速攻でタクシーを呼んでくれ、ドライバーさんに事情を説明し、安全になおかつ迅速に空港まで送り届けるように頼んでくれた。台湾カインドネスをまた最後の最後で味わってしまった。
おかげさまでシンクレアも無事間に合い帰国していきました。ありがとう。
グズグズグズグズしてましたが、いよいよその場を離れなきゃいけない。最後にレオンさんに感謝を伝え、再会を約束し、帰路についた。
名残惜しくて仕方がなかったけれど、清々しさもあった。
汗ばんだ肌に、ようやく涼しさが出てきた夜風が気持ちよかった。
【酔い過ぎていて時間感覚ナシ:おそらく23時か24時頃】
【ここでの慎平の状態:めっちゃ陽気】
これで今回の旅の本編は終了。
我儘ばかりの我々を沢山助けてくれた人たち、演奏を楽しんでくれた人たちありがとう。
また遊んでください。
本編は終了しましたが、Glimpseの飲みたがりは止まらず、結局ホテルに機材を置いてからも飲みに出かけた。実はホテルの地下に夜中までやってるバーがあるというのは事前にリサーチ済みだったのでそこに入店しようと思ったら、今夜はお客が少ないから早めに閉めちゃったとのこと…悔しいが、そんなことで止まっていられない。
これだけ気温が高いんだ、外飲みするしかないだろうと、宿近くのコンビニへ買い出しに行き、気の済むであろう量の酒類・つまみ類を買い、次は空き地か公園の捜索を始める。
丁度近くに体のいい空き地を発見。神奈川県民特有かどうかは知らないが、我々にとっては割と身に沁みついている「外飲み」の開催だ。酒盛りをするなら芝生のある公園か砂浜というのが暮らしの中で生まれたクラシック。
街灯の灯りの下に、夜行性の生き物が腰を下ろす。バカばっかりだ。テーブルもイスもない。地べたに座わって酒盛りをするのは下品で迷惑で嫌う人が多いのも知っているけど、ロケーションさえ選べば、「膝を突き合わせる」感覚が体感できるいい機会だと思う。回し飲みなんて始めたら今度は「同じ釜の飯食った」なんてことも体感できる。
それはたぶん、屋外で身の回りがひらけているから、サバイバル的には安全じゃない環境だから、より身を寄せ合って集まっているもの同士の絆を強く感じるのかもしれない、なんていうのはただの酒クズの言い訳です。俺たちはただ、どこでもいつでも、機運が高まったら飲んでしまいたい。
今夜は少し特別。言葉の通じない街で、円になって酩酊する。
耳鳴りと疲れが心地いい。真夏の12月。
― 完 ―