見出し画像

鶏と暮らすと、人は地面とひとつながりになる

はじめてnoteを使います。

ブログで記事を書くか、それとも最近よく見かけるnoteにしてみるか、しばらく悩んで保留にしたまま何も始まらなかったので、とにかく文字を打とうかと。
後から追記もできるようですし。

お布団にもぐってから記事を書き始めてしまったので、手短に。

鶏を飼い始めてあらためて新鮮に感じるのは、人類はきちんと地球のサイクルの中で生きてるんだなあ、ということ。

アクアリウムに片足を突っ込んだ頃、水槽の立ち上げ(濾過装置を回し、微生物たちを濾過装置内に住み着かせ、目に見えない生態系バランスが整うのを待つこと)の重要性に驚かされたものですが、人類を熱帯魚だとすると、鶏は微生物のポジションにあたるのでしょうか。

人の出した残飯もせっせと食べ、庭や畑に生い茂った雑草を蹴散らしては食べ、栄養満点な卵という贈り物をくれて、肥料となる鶏糞を落としていき、自らもまた食料になる。

高度経済成長を遂げた現代社会では、ありとあらゆるものが大量生産・大量消費され、地面はコンクリートで覆われ、貨幣と交換すれば必要な時に必要な食べ物を得られ、ゴミはまとめて焼却……。
大規模な集団生活の利便性を上げようとすると、通らざるを得ないルートなのでしょう。

そうして利便性を上げてきた結果、人間社会はいつの間にか地球上の生態系サイクルに収まりきらなくなり、地球温暖化を始めとする環境破壊が叫ばれるようになってから、さて、一体どれだけ経ったでしょうか。

アクアリウムでは水槽内の微生物バランスが崩れると、熱帯魚たちのフンや食べ残した餌を分解しきれなくなり、毒素として蓄積していき、そのうち魚たちは死んでしまいます。

そうです、このままでは人類は滅んでしまいます。
アクアリウムに例えなくても分かりきっていますね。

そこで鶏です。コッコです。

えっ何を唐突にって?

いえいえ、さっきからずっと鶏の話をしていますよ…!

つまり、1人1コッコ計画です。
1コッコじゃ足りない人は2コッコでも10コッコでもいいです。

自分の目と手の届く範囲で、自分で選んだ鶏を世話し愛でながら、卵とお肉をいただくのです。

何もご自宅でとは言いません。
それを叶える施設があればいいのです。


…もう眠いので、続きはまた今度。

気が向いた時に、世の中がこんな風になったらおもしろいな、という妄想を綴っていこうと思います。

ではでは。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?