note発の素敵なメディア

迷いながら、書き始めています。
もしかしたら、このエントリーを書き終わる頃に何かの気づきを得られているかもしれない。まったく変わらないかもしれない。

整理がつかないまま、でも、このままだと、ずっとnoteのことに思考のリソースを取られて過ごし続けることになるので、一度、言語化することを試みてみる。思いつくまま書くので、話題は色々と飛んでしまうと思う。それが今の心のありようではあるので、そのまま書きつける。

上記エントリーの中で、わたしはこう言っている。

わたし自身はとても小さい。それでもメールでのやり取りもしてもらえたし、その時の意見への回答が、きちんと代表を通して語られる。その態度は、とても素晴らしいと思う。もちろん、これからが大事なことだと思うけれど、それでも、わたし個人としては、長くnoteと付き合っていきたいと考えている。

IPアドレス漏洩の件の対応を追いかけた記事だ。完璧な解決に至ったわけではないけれど、noteの姿勢をとても評価している。

どんな人間、会社、サービスにも、間違いはあり、失敗は繰り返される。わたしのこの考えは、聖書に基づいており、それらの出来事に対して語られる御言葉は「ゆるしなさい」。

自分も、きっと大きなミスをするだろう。それも繰り返し。そのことは避けられない。それが人間の本性であり、罪の性質であること。

だからといって、行われた罪をなかったことにできるわけではない。その行いの刈り取りはあり、悔い改めは必ず必要なこと。
そこから改善がなされ、前に進むのなら、それは評価し、続けて見ていきたいと思う。

そう、思っていた。

その後に、cakesにおいて、2件の大きな炎上の騒動があった。
cakesのことではあるから、静観しようと思っていた。でも、気持ちのよいものではないから、購読はやめようかな、とそのくらいの感覚だった。

でも、2件目の記事はnoteに大きく関わっていたものだった。cakesクリエイターコンテストの受賞作ということ。自分の2020年の回は、よいコンテンツを企画できなかったので、結果もほとんど気にすることなく、記事も読まなかった。

今、この事態に至って、自分の浅はかさに、うんざりしているところだ。

ああ、自分も当事者だったんだって気づいて、すごく恥ずかしい気持ちになっている。そうか、noteってそういうメディアだったんだ。

cakesは編集があることを売りにしているし、noteにも編集部はある。

その媒体の編集姿勢に納得がいかないまま、その場所にエントリーするのは、心情に歪みを感じてしまう。ボイコットするのが妥当だと思う。

noteはプラットフォームであり、多様性を重んじるというのは、理解しようと思う。でも、そこに編集が介在するのなら、何らかの思想があり、確実に意図が見えてくる。

わたしに見えるのは、多様性を傘にした、SNSの俎上に上がる「スキャンダラス」な記事の放流。

そういう記事が、あっても仕方のないことだとは思う。時代に取り残された古い考えの自己中心的な記事としか思えないけれど。
それをピックアップするのが「編集」のある媒体であるということは、つまりそのメディアの姿勢ということになる。

とてもショックで、そこに、ただのユーザーであるとはいえ、属していることが辛いと思っている。

IPアドレスの件で、運営の方とメールのやりとりをしたことは、記事にした。そこには希望があり、応援しようという気になった。代表の宣言もとても好ましく聞いた。

いっそ、露悪的なものは、cakes、noteとは別の媒体を立ち上げて、そこでやってくれればいい、とも思う。出版社にいろいろな種類の雑誌があるように。

でも、それは本質ではない。
「おもしろい」と感じるから「おもしろい」、そういう考えがあるように思う。インスタントで、それは「欲情」のようなものにつながっていると思う。

良質なコンテンツだからおもしろいのであって、そういうものには配慮があり、抑制があり、知的で、人生を豊かにする興奮がある。

そればかりの世の中になればいいと思っているわけではない。それでも「編集」が入るのならば、インスタントなおもしろさはいらない。

cakesの購読はやめたし、noteプレミアムも解約した。

ただ、noteの記事をすべて下げることにはまだ抵抗感を持っている。
1500を超える記事が、単純な引き上げを拒んでいる。

有料ではない、創作、主に小説はnoteから引き上げようと思っている。でも、有料にしている童話は削除した方がいいかな。電車の中吊りに紛れている子どもみたいで、とてもかわいそうだ。
そう考えると、創作物はすべて下げた方がいいようにも思う。コラボレーション作品もあるから、簡単にはいかないけれど、その方向で検討したい。

じゃあ、記事を残す基準は何? と問われる。
ほとんどが、極論するなら、すべてが創作じゃない。

創作のところから、少し話題を別なことにフォーカスする。

わたしの肩書きは、現在〖haccaノベル デザイナー〗。そして、haccaノベルはnote上での活動を終了します。

11月作品の、hacca filmと八花設計室は、ひとまずnoteにエントリーしたいと考えています。そのあとで、公式サイトにその記事のアーカイブページを制作する予定です。急な事態でしたので、まだ何も手についていませんが、順序立てて進めていきたいと考えています。
ですので、haccaノベルの活動は、公式サイト、Twitter、Instagramに集約されます。また新しい動向をお伝えできる日が来ればと願っています。

ひとつ方向が見えてきた。

そうすると、小説も然るべきところに格納するのがよいように思う。お世話になっているエブリスタの方にこちらも順次、リエントリーということになるだろうと思う。他に、よい掲載場所があれば、それも探っていきたい。

では、noteでは何を発信するだろう。或いは、良質なコンテンツを求める読み手となればいいだろうか。

自分はnoteに何を期待していただろう。デザインも階層が複雑になりはじめ、あまり好ましくない。PCでのトップ画面の乱雑さがいただけない。あまりいい傾向には思えないけれど、これはデザイン変遷の過渡期だろうか。

デザインのよさに惹かれてnoteを始めた。上記の懸念はあるにせよ、まだまだnoteに代わるものは見つけられない。デザインについては消去法でnoteが残る。それなら、気になっていることは。

書きながら、ようやく言語化できてきた。
「編集」への期待だ。過度の期待と言ってもいい。ああ、この雑誌の編集は期待できる、と思いたいんだ。

今は、完全に裏切られている。そして、残念ながら期待もできない。軽薄でスキャンダラスな記事を取り除いたり、少なくともピックアップしない姿勢になることはないだろうと思う。そういう力関係で動いているのがはっきりと見えているから。

noteのミッション「だれもが創作をはじめ、続けられるようにする」。わたしは続けられないよー、と叫ぶ。小さい声だ。

創作ってなあに?
単純なブログサービスなら、それでいい。編集を置くなら、それにふさわしいメディアになってほしい。

cakesとは別の、note発の素敵な方のメディアができればいい。haccaノベルはそれになろうとしていたように、思う。
いつか、自分に力をつけて、また戻ってこよう。
noteに〖きゅん〗とする素敵な空間を作り、ピックアップできるようになって、戻ってこよう。




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