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越えたからこそ、書けたもの。

今日は森ノオトではなく、私自身が書き手として手がけた仕事を紹介します。

盟友・相澤毅さん(アイキャッチ画像の隣にいる人)の会社「plan-A」のホームページの原稿は、彼が独立後からほぼすべて手がけています。相澤さんって、なんなのか、よくわからない。不動産のコンサル? まちづくりのプロデューサー? 一言では言い表せない彼の仕事を、「関わった人に語ってもらう」。そんなことをブレーンストーミングの時に提案し、今のような形になりました。

相澤さんと私は同じ1977年生まれ。2013年ごろ、横浜で持続可能な建築・住宅についての勉強会で出会って、帰りの電車で「同世代じゃん!」で意気投合、その後、即、森ノオトにコミットしてくるフットワークと熱量に驚いたものです。
近い未来の風景が、近い。同じ時代を生きているから、共有する者があるんだと思います。森ノオトでも、さまざまなプロジェクトに関わってもらい、あるいはお仕事をいただきました。

https://morinooto.jp/2015/10/22/listgarden/

https://morinooto.jp/2017/02/11/ecodiy8report/

そんな相澤さん、愛娘・のんちゃんの誕生と時を同じくして、気付いたら、うちの隣の敷地に引っ越していました(笑)。

そして、翌年、plan-Aとして独立。

2019年には、森ノオトの理事にもなってもらいました。

理事になっていただいた年に、森ノオトは創業以来最大の、組織の過渡期でした。創業者が前面に出て切り拓く時代から、関わるコアメンバーの「チーム」として森ノオトを言語化していく、そんな時期に、相澤さんは、何時間も、何十時間も、ともにいてくれた。
ビジョンとミッションの明文化、組織体制の変更……。2019年〜2021年の春まで、約2年間、私にとって一心同体だった森ノオトが、私から引き剥がされて「私たち」になっていくプロセスに、彼はずっと寄り添っていてくれました。今、軽く、数行で書いているけれど、その間私は、産みの苦しみ以上のものを味わっていたと思います。その時には言語化できなかったものは、noteで2本くらい、抽象的なものとして残っています。

2021年春の組織体制の変更。それから1年ちょっとが過ぎ、森ノオトは今、組織として最高の状態にあると思っています。個人的にいえば、「森ノオト=北原まどか」の要素がどんどん薄まって、私自身の肩の荷が軽い軽い軽い。組織としては、新しく舞い込んでくる仕事の話を「ビジョン/ミッション」に基づいてジャッジし、「私たちの意思決定」でやるかどうか決めるシステムが整い、とにかく厚みが増しています。21年秋の経営的な大ピンチも、組織課題として全員で共有して、今年はV字回復の途上にあります。

そんな森ノオトに寄り添いながら、もっと大規模な「伴走」をしていた相澤さん、いや、plan-A。福岡県に拠点をおく、まちづくりの綺羅星「リージョンワークス」の組織改革のプロジェクトに、plan-A=相澤毅ではなく、チーム・plan-Aが取り組んでいました。

「次は、リージョンワークスの後藤さんに登場していただきたいんですが」と、親しい友人でも常に礼節を重んじながら話をする相澤さん。リージョンワークスの後藤さんとの直接的な面識はなかったものの、彼の手がけた数々のプロジェクトは有名で、メディアや書籍で目にしていました。中身を聞いてみると、その華々しい実績の話ではなく、組織改革、代表の葛藤と苦悩を明らかにしつつ、現在進行形で進んでいるものをまとめていくとか……ちょっとびびる……でも、いつもplan-Aのインタビューは激しい(難易度が高い、その分野の一流の方が登場)ので、この時も心して望みました。相澤さんとの1時間の事前準備、もしかしたらその数ヶ月前の「チームになったplan-Aの有様」を聞いたミーティングから、この取材は始まっていたのかもしれません。

リージョンワークスがどんな「組織改革」のプロセスをたどったのか、それは、ぜひインタビューの「前編」「後編」をご覧いただきたいです。これはリージョンワークス=後藤太一さんが、「脱後藤/脱個人」を果たしていくプロセスそのものであり、plan-A=相澤毅がチーム・plan-Aとして動き出した草創期の貴重な軌跡であり、もしかしたら森ノオト=北原まどかを脱した私だから書けたものなのかもしれない、と思っています。

インタビューとは、単なる「質問」→「回答」の繰り返しではない。話者の語る言葉や表情から、「コリ」だったり「キモ」だったりを探り当てていく、何というか、マッサージのような性質があるのかも。だんたん、相手がゆるんでくるんですね。表情がほどけた瞬間に、こぼれ出る言葉を拾っていく作業、とでもいおうか。
そして、話者特有の、個別性だけではなく、時代にとっての必然性や普遍性を抽出し、読者にとって必要なエッセンスは何かを探りながら、そこに書き起こされたもの自体に「価値」を見出していく作業でもあります。
これは、私自身が、規模は小さくとも後藤さんと同じようなプロセスを、2年前に経験していたことも大きかったのだと思います。

後藤さん、ああ、よかったですね、今、すごく肩の荷が軽いですよね、自分の手に持つオールを軽やかに漕ぎ出せていますよね。積み上げてきたものがあるだけに、すぐには「自分」には戻りきれないんだけど、きっとそのうち、「自分」になっていくはず……。そんなことを、後藤さんの晴れやかな表情を見ながら、恐れ多くもレジェンドに自らを重ねてしまっていたのでした。

そして、「後編」の最後に書いた、最も青臭い言葉は、plan-Aに通底するものだし、私自身と森ノオトにもあるものだと思う。きっと、リージョンワークスにも。その言葉を、ちょっと照れながらも「うん」とうなずく人たちとの仕事は、これからもきっと楽しいすぎるものに違いない。




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