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乙女座満月

2024/1/26 しし座満月の夜から始まった『やさしい時間』。
その やさしい時間の中で、マイオリジナルノートを作りながら、心が解放していく時間を味わう。
そんなコンセプトの会だ。
(満月にこだわる割に、ツキヨミに詳しいわけでもないが…)

2月のその日、2/24とんでもない素敵なことを体験した。
いや、その瞬間に偶然居合わせたと言えばいいのだろうか?
いやいや、ずっと以前から決まってたメンバーが集ったのだといってもその場にいた誰も疑わなかった。

20:00~4人でスタート、各々「本日の私」が選ぶデザインペーパーを決めるところから始まり、1時間強で完成を迎える。
そのころには、心の扉は解放され、完成したノートにほれぼれしながら、副交感神経めちゃ優位、

21:15~満月の時間に向けて、(21:32)なりたい自分の姿を紙に書き出しタイム。

21:32~本格的な祝詞に身が引き締まる思い。
各々未来の自分を心に描きながら祝詞を聞く。

その後、それぞれの思い描く未来の話を、安心安全以上の信頼のある場で、話し出す。
全員が、手に入れたいビジョンを描き、その姿がその場にいた全員に見えた。

空々しい話に聞こえるのは、私の文章力の稚拙さだろう。
はっきり言って、鳥肌立ちっぱなしな、特別な時間、空間、濃い時を過ごした。
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今日の着地点を考えずにnoteを書き始めてしまったので、
今、困っている。

『やさしい時間』
これだ!書きたいこと。(おもいだした)

わたしは「やさしいね!」という使い方ができない。
使うタイミングがわからないからだ。何をもって優しいと定義するのか?ペラいその言葉を使いたくない。

でも、『やさしい時間』はわかる。その空間が私たちの副交感神経を優位にする。ネガティブ8割が通常営業の私たちの脳の自動思考をさせない時間。

『やさしくない人』もわかる。
そもそも、人の話を受け取らない人はこれに該当する。

『いい人』というのは、その言葉を使った人にとって、『都合のいい人』
なのだということはわかってきた。

『やさしい人』の定義が決めきれん。やっぱ
それを発した人にとっての『やさしい人』なのかもしれん。
だけど、本当に私にとって優しいと感じる人に「やさしいね」なんて、使えない。
だから、
(だからだけじゃないけど、)
子どもたちが「やさしいね」って言われそうなことをしても、
「いいねぇ!」とか、「なんと!そんな素敵なことしたのー、さすがー」
と言ってしまう。
「やさしい」=「ほめられ言葉」みたいに受け取られるから使いたくないのか?わたし…
「ほめられる」ことがいいわけでもないしねー。
んー、「やさしい」は人には使いずらい。

「やさしい色」「やさしい音」「やさしい表情」
こんな風に使うならいくらでもつかいたい言葉だ

『やさしい』。

ここまで書いて、より迷走している自分がつらい。
自分の価値観を書き出すnoteになってしまった。

本日はこれで終わろう。
読んでくださりありがとう。



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