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何を持っているかより、持っているものをどう使うか。自己肯定はできる暗示。自己受容は自分をどう使うか。 『嫌われる勇気』

人は変われる。誰でも幸せになれる。を前提に。

原因論と目的論

医者に「風邪をひいたのは、薄着のせいです。」

もし原因論が成り立つのであれば、虐待受けた人はみんな不幸になる。けど、違う。

この原理からトラウマを否定する。自分の経験によって目的が決定されるのではなく、過去の経験に与える意味によって自らを決定するのである。過去は解釈次第。大切なのは「客観的事実」でなく、「主観的な解釈」なのである。

怒りは捏造

相手を屈服させる、意見を押し通すという目的のために怒るという態度を捏造している。怒られたらその人が隠し持つ「目的」を知ろう。「権力争い」をしたいのだと知ろう。何の権力か??これを考えるだけ。私は正しいと確信した瞬間、権力争いに足を入れたことになる。ただ、自分の想いを自分はこう思うと主張する以外ないのだ

謝ること、それを認めること、権力争いから降りることは「負け」ではない。

自己受容。

何を持っているかではなく、持っているものをどう使うか。自己肯定はできる暗示をかけること。ではなく、自己受容。与えられる自分をどう使うか。

変えることのできない物事を受け入れる力、変えることができる物事を変える勇気を持て。

[定義] ためになるか、ならないか。

善と悪はためになるか、ならないかの意味。この世に誰1人として悪を欲する人はいないのだ。どんな悪い行動する人も、自分にとっての善に従って行動している。

「不安」と「不満」

ほとんどの不満を嘆く人がこれだ。今のままでいる方が楽だと感じるから、、、、変える勇気が無い。変わることで生まれる「不安」と変わらないことでつきまとう「不満」どっちを選ぶ?ほとんどが後者を選ぶが、あなたは前者を選びなさい。

「もしも何々だったら」はなしにしよう。

変わらない自分への言い訳。やらないことで「やればできる」という可能性を残しておきたいのです。やって失敗する現実が嫌だから。

「これまでの人生は今後の人生になんの影響もない」

今ここで、あなたが決める。以上。

全ての悩みは対人関係である。

どこに行っても社会的な「個人」である。他者を「仲間」だと捉えよう。

短所に目を向け、自分を好きにならない理由は、他者から嫌われ、対人関係で傷つくことを恐れているからである。つまり、目的は「他者との関係で傷つかないこと」。その目的を叶えるために、自分を嫌いな人間になった。理由づけとして、、。これがこの人にとっての「善」なのだ。

自慢=劣等感

劣等感感じていなかったら、自慢して自分をすごく見せる必要ないもんね。健全な劣等感とは、他者ではなく過去の自分との比較

愛について

相手を変える前に自分を変えろ。この人といると自由に振る舞えると感じた時、愛を実感できる。相手を束縛することは認めません。束縛は不信感。相手の幸せを祝福する。互いに対等な人格として扱わなければ。

承認欲求を否定する。

賞罰教育の影響。適切な行動は誉められ、罰する人がいないなら不適切な行動を取る。他者の期待を満たすために生きているのではない。他者の期待を満たす必要などない!!!

「あなたがあなたのために生きてあげないなら、誰があなたのために生きてくれるのだろうか。」

逆に、他者は自分の期待を満たすために生きていないのだ。

結末を引き受けるのは誰か???

馬に水辺に連れて行くことはできるが、水を飲ませることはできない。

自分を変えられるのは、自分しかいない。

「自分の信じる最善の道を選ぶこと。」しかできない。「お前の顔を気にしているのはお前だけだよ。」他者の評価は切り捨てろ。これこそが「課題の分離」。

嫌われる勇気

「自由とは、他者から嫌われることである。」

他者からの評価を気にせず嫌われることを恐れず、承認されないかもしれないコストを背負わない限り、自由とは言えない。嫌われろと言ってるんじゃない。嫌われることを恐れるな。誰もが嫌われたくないと思うのは当たり前。

対人関係のゴールは「共同体感覚」

他者を仲間だと見なし、そこに自分の居場所があると感じられることを表す。そっかーこれがゴールなんだ。。。。確かに。。。

私とあなた。「自己への執着から他者への関心への切り替え。」課題の分離ができておらず、承認欲求に囚われている人は、他者に関心がない。どう見られているかばっか気にして「私」にしか関心がないのだ。

私は共同体の一部であって中心ではない。「私は何を与えらるか?」を考え、与えられた時に本当の居場所を得ることができるのである。居場所は与えられるものでなく、自分で得るものだ。

主観的貢献感

一番大切なのは、他者を評価しないこと。人は感謝された時、他者に貢献できたことを知る。自分に価値があると思えた時、勇気が持てる。共同体に良いと評価されることではなく、共同体に対して貢献できていると感じることなのだ。

実は、他者貢献は尽くすとこでなく、自分の価値を実感するためだ。

「幸福とは、貢献感である。」定義

定義だ。実際に役立ってなくてもいい。

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