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筆を置いた日の事

ワタクシは多趣味な人間である。その趣味は折り紙、クラフト、テキスト…等のインドアなものから、寺社巡り、動物園巡りと言った外歩きを伴うものまで多岐に渡る(後者はこの御時世故にとんと無沙汰だが)。

嘗て、そんな多種多様な趣味の中でもかなりリソースのウェイトを占めていた趣味があった。…いや、趣味の域を超えもはやワタクシのアイデンティティの一部だったと言い切っても良い。

それは【絵を描く】事だった。

「だった」と過去形にしているところからも察せられると思うが、今現在、ワタクシは絵をほぼ全く描いていない。絵を描く事を止めてそろそろ2年目に手が届くだろうか。
筆を置いた(敢えてこの場では【折った】とは表現しない事にする)理由は多角的且つ不幸な偶然の連鎖と言う奴で、今思い返しても何だか可笑しくて笑うしか出来ない。ただ、ある日突然バッサリ辞めたと言うよりは、徐々にスローダウン・フェードアウトしたような感じである。

「もう絵を描くのを止めよう」と思った直接の原因は、体調不良から来る手の震えだった。
ワタクシは現在、慢性的な自律神経失調症と闘っている(但し、かかりつけ医の意向で診断名は【鬱病】となっている)。原因は断定出来ないが、症状が悪化したのは丁度世界規模の致死性発熱型感冒の流行した時期と重なるので、恐らく感冒の流行に起因する閉塞感から来るストレスは確実に原因のひとつに数えられよう。
その、自律神経失調症の諸々の症状のひとつに末梢神経の損傷がある。これの為にワタクシは常時小刻みに手が震え、今も10分以上ペン(ペンタブも含む)を握る事が出来ない(後にこの手足の弛緩は、変形性頚椎症により四肢にリンクしている神経が圧迫されている事に依ると判明した。変形性頚椎症は一度罹ると完治はまず不可能である。今後、状況が好転する事は無いだろう)。

手が震えていなかった頃は、アナログからデジタル、そして再びアナログに回帰して、都合40年は描き続けていただろうか。
それが手の震えによりペンを握れなくなった事で、一切合切が止まってしまった。いや、止めざるを得なかったのだ。

ただ…絵を描く事を止めてしまうに至るまでの間には、持病とは別に理由が存在する。
周囲からのネガティブな評価である。
それもタチが悪い事には、最初はポジティブな評価だったものが一転ネガティブな評価に置換されると言う流れだった。

ネットの海で作品を公開していた頃は幅広いジャンルの絵を描いていた。二次創作的な絵もたくさん描いた。が、年齢を重ねる毎に対人トラブルの関係で(【アセクのたわごと】でも明言しているが、ワタクシは対人コミュニケーション能力に著しい欠陥があり、トラブルとは隣合わせである)あちこちのコミュニティから疎まれるようになり、段々とワタクシの描く絵は一次創作…もっと言えば動物や幻想生物と言ったテーマに絞られていった。

そんな折も折。
10年程前、ワタクシはpixivで公開していたイラストを見そめた出版関係の人の勧めで電子書籍を開版した。
内容は描き下ろしによるフルカラーの動物イラスト70点余りと、それらにまつわる解説文、合わせてざっと100頁程のミニ動物図鑑と言った趣の一冊だった。値段は700円。

これが、当時Twitterなどで親交があった一部の人間から酷評に次ぐ酷評を浴びた。曰く、

「テクパンの絵に経済的価値なんかない」
「どうして電子書籍なんかにした。欲に目が眩んだのか。卑怯者め」
「いつものようにpixivで公開すれば良かったじゃないか」

ざっとこんな案配である。

ワタクシが絵を描く事は否定しない、生まれた作品は好きだ。だがそれに対価を払うなんてとんでもない!と言う事らしい。
「取り敢えず無料配布からでしょ」等と当然のように言われた覚えがある。
pixivなどで絵を公開した時には一様に称賛してくれた連中の発言だったので、これは殊の外ダメージが大きかった(中でも「テクパンの絵に経済的価値なんかない」と面前と言われたのはかなりキツかった)。
恐らく、連中が発していたワタクシの絵に対するポジティブな評価はフェイクで、実際のところ連中はワタクシの事を【生きたフリー素材製造機】位に思っていただけだったのだろう。

ワタクシは即座に彼等と縁を切った。

そして、時が過ぎた。

ある日。
ふと思い出して当時の出来事をTwitterで回顧したら、存在だけは互いに認知しているものの全く交流がない人間から、突然傷口に塩を塗られるような痛罵を浴びせられたのだ。

「ものの価値は常に第三者が決める。お前の作品はゴミだ」

(当然、発言主の阿呆は即ブロックした)。

この日を境に、思うように絵が描けなくなった。

頭の中にイメージが湧いても、手がそれを具現化するのを拒否するようになったのだ。

散々「価値がない」「ゴミだ」と罵られるに至って、情熱が褪めてしまったんだろう、と今は思う。「みんなが俺の絵をゴミだ、無価値だと言うなら、体調不良を押してまで描く必要ないよな」と言うのが正直な気持ちだった。

此処で添えておかねばならない事がある。誰の発言かは失念したが「ポジティブな言葉は【記録】として記憶に残るが、ネガティブな言葉は【動画】として記憶に残る」と言う事である。極端な話、10のポジティブな言葉よりも1のネガティブな言葉の方がより記憶に残りやすく、リソースを費やし、容易に忘れる事が出来ないものなのだ。
と言う訳で、ワタクシは自身の絵に対し、今日に至るまでネガティブな評価にずっと引き摺られて生きてきた。

そこへ、前述の手足の弛緩である。

自分が「描けなくなった」と知った時、失望は無かったか…と問われたならば「無い」と言えば嘘になる。然し、ワタクシには絵を描く以外にもアウトプットの手段が幾つかあった。結果的にそれが救いだった。
(絵を描く事が出来ないなら、他の手段でアウトプットすれば良いよな)
と言う訳で、ワタクシは再び筆が握れるようになるまで、一先ず筆を【置く】事に決めた。
…そして現在に至る。

今では積極的に折り紙やクラフトでアウトプットしている事もあり、あの時の精神的ダメージも少しは薄れたように思う(そもそも、笑い話にならない程の深刻なダメージを受けていたなら、此処で書き連ねる事なんか出来ない訳だが)。

最後に、そんなワタクシが嘗て描いた、それこそ前述の連中が「無価値」「ゴミ」と呼んだ作品群の中から一枚お目にかけてこのエッセイもどきは終わる事にしよう。

ギガンテウスオオツノジカ。

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