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知恵の哀しみ

ホーマーは砂州にできた小さな村がようやく町になったという程度のわびしくていじらしい家の集群である。オヒョウがよく釣れるので"ハリバット・ダービー"が催され、あちらこちらにそのビラやポスターを散見するが、小生にはピクリともトンとも刺してこない。何しろこっちゃセント・ジョージ島をしっかり味わってますのでね。あれ以後、ハリバットのハの字を見ても何やらはかなくてむなしく感じられるだけなんだ。それが小生だけではなく、高橋カメラ、谷口包丁、菊池グッド・スピーク、ファミリーの全員がそうなんだ。インフェリオリティー・コンプレックス(劣等感)が心にもたらすのはイライラうじうじだが、この魚に関するかぎり小生とファミリー各員は世にも珍しいシュペリオリティー・コンプレックス(優越感)にとりつかれていて、ホノボノうとうとがあるばかりなんである。ダービーの五千ドルだ、一万ドルだという賞金の数字を見ても、ホ、ホウ、ヤットルネと、おおらかに微笑するだけである。知らないでもいいことを知ったばかりに現世がつまらなくなることを"知恵の哀しみ"と申すのであるが、小生たちの微笑の背後にはこの哀しみがしのびよっている。もしくは、おっとりとよどんでいる。わびしくていけないよ、キミ。

開高健【オーパ、オーパ!!アラスカ至上篇】より

※高橋カメラ⇛【オーパ!】シリーズの全てでカメラマンを務めた写真家・髙橋曻さんの事
※谷口包丁⇛【オーパ!】シリーズで旅の食事を一手に引き受けていた料理人・谷口博之さんの事
※菊池グッド・スピーク⇛【オーパ!】シリーズを陰から支えた集英社の編集者・菊池治男さんの事
※ホーマー(Homer)⇛アメリカ合衆国・アラスカ州キナイペニンシュラ郡にある都市。人口は2005年の国勢調査局の見積もりによれば5,364人。「広大な海辺の村」と「道の終点」と言う二つの愛称がある
※セント・ジョージ島(St. George Island)⇛アラスカ州・プリビロフ諸島の島のひとつ。ベーリング海上にあり、人口は100人程度。キタオットセイの繁殖地として知られる。1982年、開高先生率いる【オーパ隊】はオヒョウ(ハリバット)を釣る為にこの島に長期滞在した


【知恵の哀しみ】と言う言葉がある。

その仔細についてはワタクシがどうこう言うより、上記に引用した開高健先生の一文を読んで頂いた方が判り易いだろう。
恐らく、日本で最初にこの言い回しを積極的に用い、広めたのも開高先生では無いかとワタクシは認識しているのだが(他の作家の方が用いているのを寡聞にしてワタクシは知らない。因みに元々はロシア文学のタイトルに由来するらしい)また同時に、開高先生程この言を用いるのに相応しい人物もそうそう居ないのではないか、と思う事がたまにある。

ワタクシが【知恵の哀しみ】の語を知った切っ掛けは、意外にも【オーパ!】シリーズでは無く、開高先生の人生の最晩年に製作されたドキュメンタリー番組だった。
開高先生が亡くなられる直前、元イギリス首相、アレクサンダー・ダグラス・ヒューム卿にサケ釣りに招待されての出来事だったと記憶している(番組内では開高先生の逝去に辺り、ヒューム卿から弔いの手紙が届いた旨が紹介されていた)。

その旅路の途中で、開高先生はロンドンの街角でフィッシュ&チップスを注文する。カレイとメバルとタラを一人前ずつにポテトフライのセットだったかと思う。それらを購入した開高先生は、街角で買って来たゴシップ紙を広げながら熱弁する。

「このフィッシュ&チップスをいつまでも暖かく食べる方法がある。新聞紙に問題がある。タイムズなんぞで包んだら目も当てられない、冷めちゃって。だから、エロ新聞で包むと…(ゴシップ紙のヌードグラビアを示しながら)いつまでもホカホカ、暖かく食べられる訳であります」

そうしてフィッシュ&チップスを食べ始めた開高先生だが、やがてぽつりと呟く。

「想像していたよりも美味くないなぁ」

そしてフィッシュ&チップスを食べ終えた後、開高先生はこう述懐する。

「記憶が美しくし過ぎたんでしょうな。様々な事を知り過ぎて世の中がつまらなくなる、面白くなくなる。これを昔から"知恵の哀しみ"と申す訳ですが、このフィッシュ&チップスも、正しく知恵の哀しみであります」

このドキュメンタリーが地上波で流れた時、ワタクシは高校生だった。
知識に貪欲な、多感な思春期に、この言葉が与えた衝撃は凄まじかった。文字通りガツンと来た。

そして社会に出てから、ワタクシは知らなくても良かった様々な【闇】を知り、その度に開高先生の言葉を思い出した。
近頃では特にX(Twitter)が要らない情報ばかりオススメに表示し、ワタクシの精神に揺さぶりを掛けて【知恵の哀しみ】を痛感させている。

齢50に至り、若い頃のワタクシを知る方からは「テクパンさん、近頃随分枯れて来たんじゃないか?」と問われるようになったが、恐らくそれは人生の折り返し地点を通過して、ワタクシが様々な【知恵の哀しみ】に触れたあまりエナジェティックに振る舞えなくなった事に依るのだろうと思う。
然し一方で、創作活動にはインプットが必要不可欠だ。恐らく【知恵の哀しみ】は、ワタクシが死ぬまでついて回るのだろう。

開高先生。
確かに老境の身に【知恵の哀しみ】がつきまとう日々は、侘しくて堪らない日々であります。

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