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破壊衝動

ワタクシが子供の頃、良く戯画等で【陶芸家が焼き物の仕上がりに納得が行かず、折角焼き上がった焼き物を全て叩き壊してしまう】描写を見かけたものだった。今の漫画ではあるのだろうか。

子供の頃は「陶芸家は大変だなぁ」位に見ていたのだが、最近になって自分がこうした陶芸家と似たような事をしているのに気がついた。最も、ワタクシの場合破壊するのは陶芸では無く小説のプロットなのだが。

調子が良い時等、1日に何話分ものプロットが思い浮かび、とても書ききれないのでスマホのメモに簡単な概要を書いてストックして置き、気力がある時に書くようにしている。然しストックを昇華しない内にネタが次々思い浮かぶ為、いつの間にかストックの数が膨大なものになってしまう。
そんな折も折、何かネガティブな事があって精神的に不安定になると途端に何もかも投げ出したくなり、溜まっていたストックを衝動的に全て削除してしまうのである。今年、覚えているだけで3回位そんな事があった。
今までそうして闇に葬り去ったプロットは多分100や200は下らない筈だ。もしかしたら現在公開している作品の総数を上回るかも知れない。
現在公開している作品群の足元には、産声すらあげる事無く葬り去られた無数のプロットの骸が転がっているのだ。

そして葬り去られたネタの多くは、そのまま忘却の彼方に消えて顧みられる事も無い。奇跡的に思い出し、再びプロットを起こして作品に昇華した例も無いではないが、ごく稀な例外である。

何らかの物語になる筈だったプロットを全て叩き壊してしまうトリガーも様々であるが、一番の理由は【熱狂的に執筆を続ける合間にふと湧き上がる虚無の感情】…もっと言えば「この物語、書く必要ある?需要ある?」と突然醒めてしまう事だ。
ワタクシは普段から割と独り善がりな作品を書きがちで、あまり外部から評価をいただく事が無い(そして書いている当人が敢えて意識しない)為、余計にプロットに愛着が無いのかも知れない。
これはモノ書き(自称も含む)として失格なのか、それとも取捨選択が出来ていると見倣すべきなのか。恐らく永遠に答えは出ないだろう。

実は過日も、発作的に10編分のプロットをメモから削除した。
かすかな悔恨の念が湧かなくもないのだが、同時に嗜虐的な感覚と言うか、脳内麻薬みたいなモノがジワジワと湧いて、ある種の恍惚状態になるのもまた事実である。
こんな厄介な(自称)クリエイターの脳内に派生したネタこそ憐れである。ワタクシの作品には、そうした【生まれなかった物語】の亡霊が数多く取り憑いて恨めしげにこちらを見ているのかも知れない。

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