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オオアリクイとハツカネズミ

著名な作曲家で、日本動物園水族館協会の初代理事長を務められた團伊玖磨先生は、無類の動物好きだった事が名随筆【パイプのけむり】から伺える。キュウカンチョウ、マムシ、ミミズクなど、團先生が飼育した鳥獣は実に多岐に渡る。

その團先生が、日本橋のデパートのショウウィンドウでオオアリクイが売りに出されているのを見て飼うかどうか思案する一幕がある。昭和時代中期の価格で25万円程だったそうだが、現代のオオアリクイの稀少性を知る身としては破格の安値のように感じる。

購入する為の金子を用意し、いよいよ引き取りに行くかと考えた前夜、團先生は一転オオアリクイ飼育計画を白紙に戻す。理由は、オオアリクイの性質について解説された動物図鑑だった。
オオアリクイは普段こそおとなしいものの、蟻塚を簡単に破壊する強力で鋭い爪を持ち、それを用いて天敵であるジャガーや、時には人間に強力なベアハッグをかまし、死に至らしめると図鑑には記されていたのだ。斯くして團先生のオオアリクイ飼育計画は呆気なく頓挫する事となったが、それは却って幸せな事だったかも知れない。

そして時代は下り、平成の世。オオアリクイの名は思わぬところでメジャーになった。

【主人がオオアリクイに殺されて1年が経ちました】

こんな見出し文で始まるスパムメールがあちこちで報告されるようになったのだ。最も本当にオオアリクイに殺された人間が居るとしたら、その人物は余程オオアリクイを怒らせる真似をしたとしかワタクシには思えないのだが。

逆に言うと、鉤爪以外の身体構造を鑑みるに、オオアリクイには所謂【猛獣】と呼べる要素が極めて少ない。ヘチマのように伸びた吻の先には鉛筆位の幅しか開かないおちょぼ口、四肢は素早く動ける構造にはなっておらず、体はゴワゴワした長い剛毛に覆われている。更に言うとオオアリクイの皮膚は極めて弾力性に富み、飼いイヌが噛んだ位では傷ひとつつく事は無いと言う。どちらかと言うとステータスの殆どを防御に振っているような印象を受ける(南国の動物であるのに長い剛毛を持つのは、夜の寒さから身を守る為でもあるらしい)。

このオオアリクイ、野生下ではほぼシロアリしか食べないとされる究極の偏食家でもある。但しそれは豊富にシロアリが得られる野生下での話であり、飼育下では割と雑多な餌を食べる。ゴキブリが寝部屋を横断しようものなら、あの長い舌で瞬時に舐め取ってしまうし、上野動物園では嘗て檻の外にたまたま置いてあったケーキのクリームを器用に舐め取って胃袋に納めてしまった例もあるそうだ。

日本でオオアリクイを飼育する場合は、挽肉と卵、牛乳をミキサーで撹拌した特別なジュース(?)を餌として用意する。挽肉の材料は鶏肉だったりレバーだったり、園によってはビタミン剤やサル用の人工飼料を混ぜたりとレシピは様々なようだが、とにかくそんな餌を用意して与える。オオアリクイの舌は【マジック・タン(魔法の舌)】と呼ばれる程に器用で、餌皿に満たされた挽肉ジュースを目にも止まらぬ素早さで舌を出し入れしては舐め取り、あっと言う間に餌皿を空っぽにしてしまう。オオアリクイの餌づけは過去に各地の動物園で数度見たが、本当に惚れ惚れする位に素早く舌を出し入れするのには驚かされる。

こんなオオアリクイだが、海外の動物園では生きたハツカネズミを餌として与えていた記録があると言う。ピンクマウス(ネズミの幼体)では無い。目も開き毛も生えた大人のハツカネズミだそうである。鉛筆位の幅しか開かない口でどうやって嚥下するのか、メカニズムは明らかになっていない。…と言うのも、現代オオアリクイを飼育している何処の動物園でも、ハツカネズミをオオアリクイに与えるなんて真似は絶対に試みないからだ。

以前、上野動物園でオオアリクイを見た時にも、動物園ボランティアの方々が頻りにこの話題で盛り上がっていたものだった。然し、最終的には年配のボランティアの方が「あの口ではとてもハツカネズミなんか飲み込めやしないよ」と言い切って、そこでディベートは終わるのだった。

それにしても、少なくとも一時期、動物園でハツカネズミをオオアリクイに餌として与え、オオアリクイも特に嫌がらずに食べていた記録があるところを見ると、ひょっとしたら野生下のオオアリクイも機会さえあれば「ちょっとしたおやつ」位の気持ちでネズミ大の脊椎動物を捕食する事があるのではなかろうか。
詳細な調査が望まれるところである。

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