神社や仏閣で、追善供養の一環として行われる習わしのひとつに【放生会】(ほうしょうえ)と言うものがある。仏閣に構えられた池に魚を放したり、或いは捕らえられていた鳥を野に放つと言った内容である。
日本ではあまり聞かないが、タイ等の東南アジアではかなり盛んなようで、門前に放生会用の鳥が売られて居たりする。
放生会の事を書こうとしたら、うっかり20年程前の記憶を思い出してしまい、本来書こうと思っていた内容を失念してしまった。仕方がないので、思い出してしまった記憶を元に記事を書く事にする。
20年前、ワタクシは東京都文京区の根津に住んでいた。そして当時住んでいたオンボロアパートの近くに大きな神社があり、境内に大きな池がふたつあった。ひとつは錦鯉が泳ぐ木陰の池で、もうひとつは日当たりの良い場所にある、池と言うよりは堀のような雰囲気の場所だった。以下、池と記した場所は後者の事と思っていただきたい。
縁日ともなれば出店が軒を連ね、大変賑やかだったものだ。その出店の中には、必ず一軒や二軒、金魚掬いの店があった。
ワタクシは金魚掬いには興味が無かったのでやった事は無かったが、恐らくその当時から祭りの出店として金魚掬いは斜陽な部類だったのではあるまいか。祭りが終わる頃になっても金魚掬いの出店の金魚が減っている様子は無かった。
そして祭りが終わり翌日になると、テキ屋が売れ残った金魚やミドリガメ(アカミミガメの幼体)を持て余したのだろう…池の周りにミドリガメがたくさんよちよち歩いていたり、池の水面が金魚の群れで賑やかな事になっていた。
ところで、この池に住む生き物は放たれた金魚だけでは無いのである。ワタクシが観察しただけでアメリカザリガニ、スッポン、ニホンナマズが確認出来ていた。放たれたミドリガメの内、運良く天敵に捕食されなかった者はそのまま成体になり、何なら池の岸で繁殖していた形跡がある。
祭りが終わったばかりの頃は、池の水面を元気に泳ぎ回っている金魚達だが、暫くするとその様子が段々と変わっていくのが目に見えて判った。
先ず、日に日に数が減って行く。
次には、泳ぎ方に覇気が無くなる。
そして、祭りが終わってひと月も過ぎた頃には、あれだけたくさん泳いでいた金魚はまるで嘘のように、一匹残らず居なくなってしまうのであった。
そんな事が年を跨ぎ数度あったある日、この池の傍を通りすがったワタクシは、ふと池の水面を見て度肝を抜かれた。
全長50cmはあろうかと言うニホンナマズが悠々と泳いでいたのである。丸々と肥えた見事なナマズだった。
テキ屋が池に放し、そしていつの間にか消えた金魚の何割かは、確実にこのナマズの胃袋に収まったのに相違無い。そして、ナマズは年に数回の御馳走のお陰で、こんなに大きく育ってしまったようなのだ。
ワタクシは思わず、一句詠んでその場を後にした。
放生会 鮎魚を肥やす 功徳かな
※【鮎(ねん)】は、日本ではアユを現す漢字として使われるが、本家中国ではナマズの事を指す。
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