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ある出会い

現在通っているメンタルクリニックとの付き合いがそろそろ10年に届こうとしている。

ワタクシは所謂【自律神経失調症】と【睡眠障害】を患っている。特に後者の症状が重く、一時期は睡眠リズムがランダムに変化して日常生活すら儘為らず、正直なところ発狂する一歩手前だった。それを救ってくれたのが今の担当医とカウンセラーさんだった。

担当医とは時に衝突もあったが、現在の状況を含め概ね良好な関係を構築出来ており、それがワタクシのメンタルの安定に繋がっている。

この病院に通院が決まるまでが本当に長く、そして険しい道のりだった。
最初にワタクシにメンタルの異常を診断したクリニックは、寛解を申し渡され通うのを一時止めたらいつの間にか元いた場所から引っ越して行方が知れなくなり、二番目に頼ったクリニックはいい加減な診察しかしてくれなかったのだ。
それに堪りかねて当時世話になっていたケースワーカーさんに泣きつき、見かねたケースワーカーさんが数ある病院から選んで紹介してくれたのが現在のクリニックである。
10年近い通院のお陰で、病状はかなり改善した。今は社会復帰し、夜の安眠も確保出来ている。

そんな現在の罹りつけと出会って、まだ間もない頃の事。
ワタクシは知り合いに頼まれて、買い物をする為に巣鴨の商店街まで出た。

現在は禁止(或いは制限)されて都内ではとんと見かけなくなったが、当時は所謂【托鉢】を行う僧形の方が都内のあちこちで見られたものだ。特に巣鴨は【とげぬき地蔵尊】で名高い高岩寺を始め寺社が多い為、街の至る場所に托鉢僧の姿があった。ワタクシは律儀にも、出会った托鉢僧のひとりひとりに少額ながらお布施をし、拝んで貰う等していた。

その日も、高岩寺の門前から少し離れた場所にひとりの托鉢僧が立っていた。
おばあさんがお布施をすると托鉢僧は、香袋のようなもので痛い場所(肩だったり腰だったり)を擦りながら拝み、読経するのだった。

当然のようにワタクシもお布施をする為に列に並んだ。そして、いよいよワタクシの順番になった。

お布施を鉢に投じると、托鉢僧は低い声で読経し、香袋をワタクシの左胸に当てた。そして、たったひと言こう言ったのだ。

「もう大丈夫。時間は掛かりますが、あなたは遠からぬ将来、あなたを苦しめる因果から解き放たれましょう」


この托鉢僧の言葉は的中した。
凡そ10年後、ワタクシは社会復帰を果たした。

社会復帰して間もなく、ワタクシは数度巣鴨に足を運んでいる。別の用事もあるのだが、一番の理由はあの托鉢僧に会ってお礼を言いたかった為である。だが、それは実現には至って居ない。前述の通り托鉢が禁止或いは制限されて、都内から托鉢僧が殆ど消えたからである。

その事を、カウンセリングの時に思い出してカウンセラーさんに打ち明けた時、つい口を突いて出た言葉がある。

「もしかしたらあの托鉢僧は、幽世におわす尊いお方だったのかも知れません」


我ながら些か迷信が深過ぎるかと思ったが、カウンセラーさんは全面的に同意してくれた。

托鉢僧に身を窶したあの方は、今はいずこの空の下だろうか。

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