日記 わた、し、の、「神々の土地」

 2022年7月28日

 書き物にあたって、自然と芸術、もうすこし広く、人間の情動についてすこしばかり考えを巡らせた。もう一つ、わたしがずっと興味関心を寄せてきた、ロシアの大地と人民たちについて、思考の断片を記す。

 大公女マーリヤ「最後のロシア大公女 マーリヤ」中公文庫
「父祖代々、ロマノフ家の者たちは、その偉業においても、またその失政においても、ロシアの栄光と国益を自分たちの個人的事情に常に優先させてきた。ロシアは、彼らにとって霊魂と肉体の一部であった。ロマノフ家の人々にとって、今まで祖国のために強いられてきた 犠牲が大きすぎることは決してなく、彼らは生命を賭けても、ロシアの大地が自らの霊魂で あり肉体である証を立ててきた」

 ロシア革命は、世界史的にみるならば、人民による社会主義が王政を覆した初めての革命 である。しかし、覗き込んでみれば、この革命は、単なる思想と思想の対立では言い表すこ とのできない、きわめて土着的な要素と大地にこだまする名もなき人々の怒りが渦巻いて いる。革命期の動乱を、一人の少女と、ロシア帝国の大公女の立場を行きつ戻りつしながら 描写する本作において印象的なのは、彼女と、おそらくは彼女以外のロシア人たちが、ロシ アの広大な大地を自らの肉体だと捉えていることである。王族たちは民衆の怒りによって ロシアの静謐な大地が踏み荒らされることを恐れ、民衆は王族とそれに取り入るラスプーチンによって、自分たちの大地が蹂躙されることに激怒した。この絶望的なすれ違いが、皇族を次々虐殺してもなお飽き足らなかった、ロシア革命の決定的なトリガーである。
 本書を種にして描かれた作品として宝塚歌劇で 2017 年に上演された「神々の土地」(宙組)がある。
「シベリアの風よ 答えておくれよ あの人がどこへ行ったか 大地よ答えて わたしは どこへ消えるのか 土よ 雪よ 聞いてくれ 嘆き叫ぶ この声を お前に刻もう 我ら 生きてるこの証よ」(ジプシーたちの歌)
「聞こえんかね、彼らの嗤う声が。魂たちが面白がっとる!何百年も無視されてきた、何億 もの農民たちの魂が嗤っとる、お偉方たちが農夫如きにてんてこまいさせられているのを こんなふうに……あはははは……ちっぽけな農夫一人の命など、このロシアじゃ何の意味 ももたんというのに…なあ、何故私が人を癒せるかわかるか。病の時にも、苦しみの時にも、 なす術なくあなたに祈るしかない農夫を哀れみ給え!医者も薬もなく見捨てられたものた ちの激しい祈りを哀れみ給え、神よ!無力な祈りだけがあなたに届く……呪いのように」 (ラスプーチン)
 人々は、革命の炎が、やがて自らをも焼き尽くすと分かって熱狂していたのだろうか。この 暴力革命の果てに待ち受けていたのは、どの立場の人間にとっても恐怖と死であった。はじ めは皇族たち、彼らが銃で、爆弾で、刀で蹂躙されたあと、刃は民衆たちに向いた。 彼らを熱狂させたものはなにか。彼らは、ロシアの広大な大地で生まれ育ち、やがて骨をうずめる。遥かなるロシア、それは破竹の勢いだったナポレオンの軍隊すらも撃退した、過酷な土地だ。土地に殺される可能性と隣り合わせであったからこそ、その土地で生きているこ とに民衆は常に自覚的であったのではないか。その意識はやがて身体の感覚を延長し、土地 へと収束していった。当時の人々は、ニコライ 2 世の度重なる失政と、その妻アレクサンドラの奇行に対して、吹きすさぶ雪のごとく怒った。彼らが激しい踊りとともに踏み鳴らした振動は、地鳴りの響きだった。革命の悲劇は、ロシアの国民一人一人が、その土地と怒りを 重ね合わせたことによって巻き起こる渦によって起こったのではないか。



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