宝塚愛の巡礼
男役・美弥るりかの最後の日が終わった。
わたしが美弥さまと出会ったのは、2017年3月、友人にチケットをもらって観劇した「グランドホテル/カルーセル輪舞曲」だった。
宙組のエリザベート以降、2回目の観劇だ。
当時わたしは宙組以外のスターは全く知らず、かろうじてトップコンビの名前と顔が一致するくらいだったから、その公演が月組トップコンビお披露目、つまりは美弥るりか二番手お披露目の記念すべきものだということも知らずにいた。
はじめて聞く珠城さんの開演挨拶。
老舗のホテルを模した絢爛な舞台。
「ここはベルリン、グランドホテル!!」
大きな掛け声とともに組子が揃ったオープニングがはじまり、登場人物が次々と現れ、コーラスに加わっていく。
ナンバーも佳境に入ろうかという頃、グレーの草臥れたスーツを纏い足を引きずる男が、まるで身体全体が大きな荷物であるかのように大仰に登場した。
オットー・クリンゲライン。
美弥るりかである。
姿勢良くキビキビした組子のなかで、よたよた歩く姿がどうも気になって、気がつけば彼のことを目で追っていた。
「人生を変えるために」グランドホテルに来たオットーは、病に侵されているという。
「病院からベルリンの街へ私は来た はるばる
人生出直したい そのときまで 泊まりたいのだ
いつかいた証を今確かめてみたい
私の部屋 それがこのグランドホテル」
眼鏡の奥の、大きな、大きな瞳。
そこから溢れる涙と、濡れる睫毛。
気だるげな視線はときおり鋭く光る。
華奢な身体。低く、少し掠れた声。
一目惚れだった。
視界に入りきらないほど大きい(SS並みに席運がよかった)舞台を、きらびやかな衣装に身を包んだ麗人が埋め尽くしている、その中でも彼だけが浮き立って見えたのだ。
グランドホテルが閉幕し休憩時間になってすぐ、わたしは携帯で「オットーの人」の名前を調べ、美弥るりかの名前を知った。
今日はこの人を見ていよう。
そう決めて幕が開いたカルーセル輪舞曲でも、美弥さまの姿はすぐに見つけることができたけれど、先ほどまでとのギャップをすぐに脳内で処理することができなかった。
一般に、美弥るりか=色気という図式がある。はじめてみた彼が「美弥るりか」として舞台に立つ姿は、その評判を一切裏切らない、妖艶な、ともすれば婀娜っぽい妖精のような「何か」だった。
それからというもの、わたしは彼女の虜になった。毎朝電車の中で、ツイッターインスタSafariと彼女の名を検索する周回コースができた。iTunesで、彼女だけのプレイリストをつくった。待ち受け画面にした。毎公演観劇した。宝塚を受験した。
わたしの宝塚受験は、すべてが遅く、すべてに間に合わず、夢よりもさらに不確かなものを追いかけるようだったけれど、もし三次面接まで進めていたら、憧れの人には美弥るりかを挙げると決めていた。彼女と同じ舞台に立つことを畏れ多くも、夢見ていた。
彼女のことを知り、また、宝塚のことに詳しくなるにつれ、彼女がどんな経緯で二番手羽根を背負うことになったのかを、ずっと彼女を応援し続けている人たちが、いつの日か大羽根を背負う姿をひたすらに信じていることを、身にしみてわかった。
わたしは彼女のことを何も知らない。
ただ、彼女が光り輝くように美しく、また無二の男役に見えるのは、彼女が男役を愛するが故の葛藤をあまた乗り越えてきたからだということは知っている。
彼女の歌が感情に溢れ、またその姿に違わず聞くものの心を震わせるのは、彼女がのどをかすらせるほどに歌い続けたからだということは知っている。
飄々として、浮世離れした姿の裏側で、常に努力、努力の人であったことは知っている。
彼女の顔を思い浮かべれば、いまにも泣きそうなことも我慢できた。身体を支える脚に、力を込められた。
人は人に、生きる糧を与えることができるのだ。それを教えてくれたのは、他でもない美弥るりかだった。
わたしよりもはるかに細く、華奢な身体で彼女は何千、何万の人に17年もの間、希望を与え続けていたのである。
男役として晩年の彼女は、きっと常に退団を意識していただろう。珠城さんがトップスターになる前に、退団することだって考えた筈だ。それでも劇団に残り、下級生のトップを支える道を選んだ彼女の存在に、珠城さんもどんなに救われたことだろうと思う。美弥さまは二番手として、先輩として、いつも珠城さんに心を配り、また月組を見つめていた。彼女たちの関係なんてわたしなどにはわかるはずもないけれど、舞台上のふたりは、いつだってお互いを支え合い、譲り合い、時にはぶつかり合って、お互いがお互いを引き立てあう、極上のコンビであった。
叶うことなら、トップスター美弥るりかが大羽根を背負って降りてくるのを見てみたかった。もっと、彼女の姿を見ていたかった。
言っても仕方のないことだ。
それでも、それでも。
最後の日、二番手としては破格の花道を飾り宝塚を去ってゆく彼女は間違いなくこの世の誰より美しかった。
その姿は女神のようだったけれど、わたしは絶対に彼女を神さまとは呼ぶまい。
開幕からアンコールまで、彼女が纏うひかりのすべては、美弥るりかが17年間、全てをかけて積み上げてきたものが凝縮し、放射されたものだから。
もっと早く、それこそ音楽学校のころから、知っていればよかった。その思いがなくなることはないけれど、大好きな宝塚の舞台で輝く、男役美弥るりかと出会うことができてよかった。
ほんとうにおつかれさまでした。
今日から、女優・美弥るりかになるのか、藤井麻衣さんに戻るのか、わからないけれど。
ずっとずっと、大好きです。