日記 わた、し、の、舞踏論

2022年7月27日

 自然と芸術との結びつきを考えるとき、土方巽の存在がふと、脳裏を過る。1959 年から 死の眠りにつく 1986 年までを、極限まで痛めつけられた肉体を躍動させる「舞踏」に捧げた人間のことだ。彼の作品は、常に死と生命(性)、自然と肉体の破壊に目を向けて作られ ていた。例えば「疱瘡譚」「へそと原爆」などは、そのテーマを顕著に表している。 
 土方と職業、時代を同じくした笠井叡は、東北の震災で数多の人命と人々の財産を奪った津波を指して、しかし「あの津波を美しいと思ってはいけないのか」とこぼした。昨年、舞踏に関する授業でこの言葉を耳にしてから、私はその問いを考え続けている。 
 答え得る言葉をわたしは未だ持たない。なぜならば、この問いに対して私は、二重、あるいはそれ以上に複雑に分かたれ、絡み合い、そして相反する感情を抱いているからだ。 
 まずもって語らねばならないのは、津波で生活と人生を奪われた人々の存在である。私の母は民俗学者であり、その調査の中で岩手県宮古市に足繁く通い、地元の人々との関係を築いてきた。海沿いの、漁業を生業とする小さな町。母が調査の度に持ち帰る写真を見て、わたしは遥かな東北に、確かに存在する人々のつつましく温かい暮らしに思いを馳せた。しかし、宮古市、殊に母が通っていた地域は津波で甚大な被害を受け、人々は死に、家を失い、 行方知れずになった。当時、連日繰り返されるニュースの中で、わたしの知っている宮古の 風景はどこにもなくなっていた。その時わたしは初めて、行ったことも会ったこともない土地と人々に、一定以上の親しみを感じていたこと、そしてささやかな営みの脆さを知ったの である。地方の、自然と共生し、一次産業を生業とする人々にとっての土地や生活を失う悲しみは、都会に住むわたしたちには想像しがたいほど切実なものだろう。彼らにとって、住まう土地は肉体の一部であると、わたしは思う。肉体というものは、なにも身体の物理的な器官に限らず、人によって無限にその範囲を広げるものではないだろうか。たとえば、踊り子にとって肉体はたなびく衣装の切れ端までを指すかもしれないし、彫刻家にとっては制作に使うのみも肉体の一部であるかもしれない。わたしはこれを、呼吸と痛みを共有する範囲、と呼ぶ。住んでいた土地、生業を失った宮古の人々は、片腕を失ったのと同様の痛みを抱えているはずだ。そうした人々を知りながら、津波を美しいと口に出すことを、わたしは肯定することができない。

 しかし、人々の軌跡を飲み込み駆け巡る圧倒的な力に、呆然とした、そして恍惚とした眼差しを向けざるを得ないことも、また確かである。あらゆる生物は死に向かって奔走してい る。けれどわたしたちは緩慢とした日常のなかでそれを忘れ、些細な肉体の衰えが取り返しのつかなくなったときに、ようやく思い出すのだ。死を、逆説的に生を忘れた人々は、時折強烈な死に惹かれ、破壊を求める。自分たちの手には到底負えない圧倒的な力によって、め ちゃくちゃにされたいという強い衝動に駆られる。津波を美しいと感じるのには、確実にそうした根源的な自己破壊欲求が関わっているとわたしは思う。土方巽の舞踏は、完全にその死と破壊の衝動を自らの肉体にぶつけて成り立っていた。かつて彼は自身のエッセイ『犬の 静脈に嫉妬することから』の冒頭で「五体が満足でありながら、しかも、不具者でありたい。 いっそのこと俺は不具者に生まれついていたほうが良かったのだ、という願いを持つようになりますと、ようやく舞踏の第一歩が始まります」と述べている。溶け落ちた肉体、原爆やらい病によって犯され、破壊される身体を演じるなかで彼は、五体満足な自らの肉体を強烈に自覚し続けていたはずだ。破壊と、それによる生の再認識は、人間にとって(犬や猫も あるいはそうなのかもしれないが)喰う、寝る、生殖をすると同様に必要なプロセスであるのではないか。つまり、津波の破壊を目の当たりにしてその美しさに打ち震える笠井氏は、 そしてわたしは、それを通して生命に凄まじい執着を寄せ、眩いばかりの輝きを見ていたの だと思う。 
 舞踏はきっと、人間の駆け巡る血の感触と自然とを、初めて人間の身体へと封じ込めた芸術だ。踊り子が身を引きつらせ、がたがたと身体を震わせるのは、死とその背後を流れる自 然を畏怖しているからに他ならない。だからこそ、逆説的に彼らは、舞台に立っている間だけは誰よりも「生きている」とも言えるのではないか。

#日記

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