【合わなさ】雑記 20201201

最近ホントに多忙で描きたい絵が全然描けてない。買った漫画も文字通り机に積んである。今積んであるのはチェンソーマン9巻、シャーマンキング18~20巻、鬼滅の刃22巻、潮が舞い子が舞い4巻。多すぎない?異常だと思う。時々配信で一緒に話しているアラキ1stは僕を遥かに凌ぐ漫画好きなのだが、僕がよく漫画を積むということを話したら考えられないと言っていた。何でもアラキは何度も読み返すことを前提に漫画を読むらしい。僕はなるべく一回で漫画のすべてを吸収しようと思いつつ読むから、カロリー消費が激しいのかもしれない。とはいえ、ジョジョ4、5部は全巻揃ってるのにいまだに通しで読み返したことがないのはもったいないのでまた機会があれば読み返したいなと思う。


前回の雑記にも通ずることだが、大学の共同制作に相変わらず不満が多い。具体的なことを書くと胸糞悪くなっちゃうので詳しくは書かないけれど、どういうところが個人的に「イヤだな〜」と感じているのか、自己分析的に描いてみようと思う。

・制作の統括担当が「合わない人間」であること
こればかりは感覚的な話だが、地味に最も大きいことだと思う。僕は昔からゲームばっかりして育ってきたし、本棚には決して少ないとは言えない量の漫画とCD、流行りのものは少し様子を見てから触れてみるし、TikTokを日常的に見る人間のことは心底軽蔑している、自他共に認める陰キャだ。そんな人間が、積極的に集団の長になろうとする人間と合うはずがない。ツイッターにいると周りの人が自分とある程度共通項のある人ばかりに固定されるので見失いがちだが、世の中は自分と本質的に合わない人間に満ちていると思う。「流行りの曲しか聞かないひと」って、実在するんですね……。あとこれはマジのマジで偏見なんですが、周りの人に聞こえるように大きな声でツッコミを入れるやつのツッコミ、だいたい面白くない。

・責任を負っていることで、人に迷惑をかけたり、かけられたりすること
これは共同制作というものの本質に関わる話だから、今後もずっとついて回るという意味ではより重要かもしれない。僕は人に嫌われるのが本当にイヤなタイプで、そういう理由から人を裏切ったり約束を破るリスクがある「責任を負う」という行為が本当に苦手。みんながみんな趣味が合って仲の良い人間なら、しっかり謝ったり埋め合わせをしたりできるけど、その場限りの関係の人間に対しこの「責任を負う」という行為をするのはものすごい苦痛。さらにそれが合わない人間たちなら尚更だ。逆に言えば共同製作者がみんな仲の良い人ならストレスは減るのに。結局ここに繋がるのか。

・自分が器用貧乏であることに起因する思考
自慢みたいになるが、僕は絵が描けるし、申し訳程度ではあるけど曲が作れるし、絵コンテもこの間描いてみたらわりとうまくできた。だから、「これができないから、あの人に任せなくっちゃ!」というマインドが今ひとつ育っていない。そのせいで、共同制作をしているときに、「一人でやったらこんな煩わしいこともないのにな…」とか考えてしまう。共同制作によるメリットもたくさんあるはずだし、そもそも自分より優れている共同製作者がいる場合だってたくさんあるはずだから、社会で活動していかなくてはいけない以上この考え方は今後はなるべく捨て去るべきだろうと思う。


時々、Tobyfoxさんやhako生活さん、はるまきごはんさんのように、一人ですべてを作ってそれでお金を稼げたらどんなに幸せだろうと思うことがある。それをするには運とか才能とか継続力とかいろんな力がいるから、それ相応の覚悟が必要だろうし、そういうことをするからこそ付き纏うイヤなこともたくさんあるだろうと思うけど、やっぱりそういう活動形式にすることによる色々な煩わしさからの解放はとても魅力的に思えてしまう。



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