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自由と制約

現実にある制限(制約)

何かを自由にやって良い、と言われて、本当の意味で自由になることはほぼ無い。

例えば、今日一日自由にして良いよ、と言われたとしよう。
だからと言って、夢の国を貸し切りにして、好きな人だけ招いて、一日だけ遊べるだろうか?
経済的な問題もあれば、現実的に貸し切りなど突然できないという話もあるだろう。

当たり前の話なのだが、自由のように見せかけて、世の中には制限、制約がかかることが殆どだ。
常識だろうが、意識できていない人も多いのではないだろうか。

これは、何もお金や空間だけの問題でもない。
特に、私のように40代を迎えた人間には、身体的な制約もかかる。
具体的には、肉体的な劣化だ。

当然なのだが、これもある種の制約だ。
ある側面では、諦める必要があるのも事実だ。

制約があるとできない?

制約があると、言い訳をしたくなる。
こうだから出来ない、ああだから出来ない、と。
上記のような、経済的、時間的、肉体的な要因など、様々なものがあろう。

厳しい意見だが、だから何だ、と私は良く思う。

何かする上で、制限がかからない、制約がないことなどほぼ無いのだ。
それを失念しているから、自分の思い通りにいかない理由を他に探したくなる。

思い通りにならない理由を探す暇があったら、自分で出来ることを考えたらどうだろうか。
やりたいことがある。でも、制約もある。

だったら、その中で何が出来るか、探さないのか?
どうやったら、やりたいことが出来るか、必死になることはないのか?

出来ない理由を探して、本当にそれが理由だったとして、だから何になるのか。
それで問題が解決するのだろうか?自分のやりたいことは実現するのか?

私は常にそう考えている。なので、出来ないことは出来ないと割り切る。
そして、出来る方法や条件を探す。本当にやりたいことは何か、考え直す。

完璧なぞ求めるから、苦しくなるし、先が見えなくなるのだ。

現実的に考えること

やりたいことがあるなら、それを実現するために何が必要か、考えればよい。
そして、それが出来ないのであれば、他の方法や条件を探せばよい。
何かしら、やれることは絶対にあると思っている。

愚痴を言って発散したくなることもある。私だってよく愚痴を言う。
でも、それだけで終わらせることはない。

一通り愚痴ったら、次に向かって目を向ける。
他の方法ないのか、やれることはないのか、と。

こういう考え方だから、周りから疎まれるのだろう。
別に周りに強要はしてい無いが、暑苦しいと思われている様子。

それでも構わない。その分、自分で得られたことも多いと実感するから。

言い訳を並べるより、出来ることを探してみてはいかがだろうか。

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