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毒親とは?毒親育ちではないが親に対して思うこと

子供の頃朝目が覚める前に必ず聴こえる騒音があった。
「ドン!ドン!ドン!」
それは母親が階段を登る音。スリッパを履いて登ってくるからスリッパが床にペタペタくっつく音と母親の重い体重が重量に負けて朝から物凄い地響きのような騒音となって頭に響く。

わたしはその騒音が大嫌いだった。決まって階段を登って真っ直ぐにわたしの部屋のドアを勢いよく開けて「起きなさい!」と怒鳴る。
大きな足音を立てるな!と母親は言うくせにその朝一番のその音こそ大きな騒音でしょ?といつもムカついていた。
だからわたしは実家にした20年間寝坊を一度もしたことはない。
その騒音は目覚まし時計よりもわたしの体内時計よりも毎日が正確に起こしてくれる我が家にとって何よりも強力な「目覚まし騒音」だった。

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毒親とは?
毒になる親の略で、毒と比喩されるような悪影響(人生の妨害)を子供に及ぼす親、子供が厄介と感じる親を指す俗欲概念である。(Wikipedia参照)

私自身母親へのコンプレックスは抱いていたが、二十歳過ぎると同時に実家を離れたい一心で、思春期の猛烈な親への反抗心を我慢し、反抗もせず、解決もせず、反抗期というものすら初めから存在しないまま大人になり上京してしまった。

うちの母親とわたしの事を簡単に言うと…

世間体を気にする母親はとにかく私たち2人姉妹に勉強をさせた。姉は出来が悪く泣き虫で、嫌がる勉強を無理やりさせられることへ反抗的な態度を取る。
妹のわたしは自分は我慢して母親の言う通りにしていれば怒られないし成績も良ければ褒められる。勉強も運動も頑張り、常に学校の成績は上位だった。

姉と私は対照的だったが、母親からすると姉は反抗するが長女は可愛い、妹は大人しく黙っていても勝手に育ってくれて可愛い、という感覚だろう。

つまりわたしは20歳まで親の言う生き方のレールの上を歩いてきた。
高校も母親が求めた高校へ。卒業後の進路も専門学校へ行け、この職業へ就け、と。
わたしは家を出ることが最優先だった為に全て母親の言う通りにした。二十歳になるまでは子は子だから。どんな事をしたって親と子の関係だから反抗は出来ないと、己の気持ちを押さえつけて生きてきた。

10代のわたしはその方が心が楽だったのだ。

今思うのその「楽」が仇になってきたのだと思う。

「戦い方と負け方を知らない大人」になってしまった。

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わたしは自分の意思でやりたい事を選択して、その達成に向けて努力をしてこなかった為に、自分の「成功体験」というものが無かったのだ。

するとどんな事が起きたかというと、、

●コツコツと小さな積み重ねを続けられない
●辞める選択が出来ない
●仮に辞める選択が出来てもその後無気力になる
●成功体験がない為にすぐに結果を求めたり、楽をするやり方を探してしまう

二十歳で実家を出る。社会人となり、期待も不安もなく何事もない平凡な毎日だった。
でもしばらく上記の事がわたしを苦しめ続けた。

人間関係が辛い…仕事辞めたい…言えない…
辞めてどうするの?転職?
今更新しい事を一から勉強するなんて無理!
勉強するったって何がしたいのか分からない!
とりあえずすぐお給料が貰える日雇の仕事探そ…

絵に描いたような優等生だったわたしは社会人になった時、無虚となり仕事を辞めたら廃人のように空っぽになった気分でした。

漠然と思い出す事がある。

いつだって勉強していた。体をよく動かして運動も良く出来た。母親から勧められて始めた書道だって段をとるまで頑張ったし、部活動も高校3年生まで続けられた。
でもその中で今でも役に立っている事あるか?

それは母親から言われるがままやってきたと思っているけど、結局は自分がやろうと決めて頑張った事だよね?

結局母親のせいにして何も成し遂げず、得るものを落としてきてしまったのは自分だよね?

漠然と思い出す記憶からわたしはわたしの答えを導き出しした。

「親の人生じゃない。わたしの人生だ」

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二十歳を超えたら大人。二十歳は大人一年生。これからは自分で決めて、小さな目標を立てて、一つずつクリアしたらそれが「成功体験」
それをどんどん増やしていこう。
結果を求め過ぎると疲れちゃう。
大事なのは小さな習慣をコツコツ続けること。

大人という世界に「卒業」はない。
だから大人一年生から始まり、「学び」は永遠だ。

わたし自身は母親のことを「毒親」だとは思っていない。母親に対してのコンプレックスがあったからこそ、大人になりつまづいた時深く考えさせられた。そして「自分」という人間を知りたくなった。
それこそが人生の「学び」なのだと教えてもらった。

確かに「毒親」という存在は子供を苦しめるだろう。でもその「毒親」も人間なんだ。
子供と同じように「毒親」自身もずっと苦しんで生きてきて、自分という人間を知ろうとしてこなかったから、不器用で上手く生きられない。そんな自分への苛立ちを子に向けてしまうのでないか?

親という存在はいつまでも永遠に親だ。
子供はいつだって親の背中を見ている。
子はいつだって親のから「学び」を得るんだ。


わたしも今年で大人13年生となる。

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流石に親へのコンプレックスは克服し、ようやく自分自身の事が少しずつ分かってきた。

母親から学ぶ事。
「親の人生じゃない。わたしの人生だ」


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