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モノを捨てまくったけどミニマリストになれなかった話。


2020年年末のこと。

わたしは下着3日分とダウンジャケット、コート、セーター2着、ズボン2着、リュック1つ、靴2足を残し全て処分した。
その他、本や仕事関連のもの、書類系、思い出の品あらゆるモノを処分。
わたしの私物は大きなボストンバックに入るくらいの量となった。

何故そのような大きな「断捨離」をしたのか?
「離婚」を決意して家を出ようと思ったから。
結局話し合いの末、離婚はなし。大きな争いとお互いのメンタルの後遺症もなく元通りの生活になっている。
(離婚の話はまた別の機会に話します)

今、わたしの身の回りのほとんどのモノは無い状態。季節の変化もあり必要最低限の洋服は買い足しだかそれは下着がほとんど。

しかし断捨離後、何もないわたしに次のような事が襲ってきた▼

• とにかく何もないから無気力
• お洒落したくても無気力
• どうせまた捨てるよね?と買い足す事に無気力

わたしにどうしようもないほどよ無気力さが襲ってきたのだ。

モノを捨てることによって、自分にとって必要なモノと不要なモノの区別がつき、心が豊かになると思っていた。わたしは「ミニマリスト」という概念を浅はかに考えすぎていた。

【モノが少ない=ミニマリスト=心が豊かになる】というありがちな勘違いをしていたのだ。

上記3つ▲を踏まえて詳しく話そう。


まず初めにモノが無さすぎて無気力に陥った

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理由は、選別をうまく出来なかったから。

必要なモノを白として不要なモノを黒、どちらでもないものをグレートするならば、圧倒的に白しか残さなかった。

生活をする上でグレーのモノを残さないのはリスクがある。

何故なら、必要不要の選別の猶予を作ることによって人間の脳はより深く考えて選別をする事が出来るからだ。

この猶予をたくさん作り、繰り返す事で白と黒の選抜が出来ていくのではないか?


次に、お洒落したい欲があるのに無気力になっている

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これは完全に洗脳脳である。

「お洒落=たくさん服を持っている自分」にとりつかれていたから。

そして本当に自分の好きなスタイル(一張羅)を知らないから。

ものに溢れてしまった悪い例である。

本当は黒い服でシンプルでマニッシュ系が好きなのに「淡い色のスカートやワンピースを着て男性受けを狙っていた」ということなのだ。
そのような状態に陥った時わたしは、同じことを繰り返すまい!とモノを買うことを辞めた。躊躇なく辞めた。

着る服がない=外出したくない、こんな姿を誰にも見られたくない、と思った。
ならば家で引きこもればいい。どうせニートだし。
実際にそうした。

元々引きこもりタイプではない人間はいつかは引きこもりに飽きる。外出して外の空気を吸いたくなる。そうなった時、意外と寝巻きの状態に近くても外に出れたりする。
何故なら「見てくれの自分を見て!」という以前の欲求よりも「外の空気が吸いたい!」という本来の人間的欲求に近い感情の方が勝るからだ。

だからといって「お洒落を手放せ」と言うのではなく「お洒落な自分を見てね、好きになってね」という欲は捨てたら楽になるよ、という事。

その「わたしを見て」という欲はお金も時間も蝕みます。


最後にどうせまた捨てるよね?という無気力について

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これはよく考えて判断すれば良い方向へと繋がってゆく。「どうせ捨てるならなら買い足さなくてもあるモノでいいじゃん?=あるモノで代用しよう」で、良い。シンプル。
わたし自身そうやって今に至っている。

例えば鞄の話をしよう。

わたしはリュック1つのみ残して全ての鞄を処分、手放した。
その残したリュックはランニング用のリュックだ。サモロンというスポーツブランドの容量20リットル、色はブラック。
普段使いならばこのサイズは余裕だ。

わたしはランニングをする為、その時に使うリュックはどうしても必需品だった。
そのリュックは素人からするとほぼ普通の何気ないバックパックに見えることから、わたしはこちらのみを、普段使いとランニング用のダブル仕様にすることにした。
使い心地はもちろん良い。軽くてたくさん入るし、丈夫かつスポーツ用なので雨に濡れてもすぐに乾きやすい。メリット多数。

補足するならば、「わたしを見て」という欲求がなくなる事によりお洒落カバン(デザイン重視で機能性を満たしていないモノ)は不要になった。

このように元々持ち合わせていたものが、考えようによっては何か他のタイミングで使えたり、代用出来たりする。

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何よりも、考えてパズルみたいに一致した瞬間がとてつもなく快感だし、楽しい。
「ミニマリスト」の真骨頂はここにあるのかな、と感じた。


わたしは今でもモノが少ない。

でも自身を「ミニマリスト」とは思わない。

何故なら「ミニマリスト」の概念は人それぞれ違い、「ミニマリスト」は生きる上で今自分にとって必要なモノを厳選し、最低限のモノで心豊かに生活をしている。

その生活にはいつでも「余白」という心と体の余裕がある。
「余白」とはお金や食事、スケジュール管理、仕事や人間関係全てにおいてストレスフリーと余裕を与えてくれるもの。

わたしはまだその「余白」を作っている途中なのだ。

いつでも心と体をストレスフリーにする為にニートになったのだ。ストレスフリーになる為にモノをほとんど手放したのだ。

なりたい自分になるために「ミニマリスト」はいつも「自身」を追求しているんだ。

小さなモノひとつとっても、これが自分を豊かにしてくれるモノなんだと大切にする。

その思いが「ミニマリスト」の真骨頂であり、わたしもまだまだ学び途中だ。

「ミニマリスト」って無限かもしれん。

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