いざこざの後、地固まる6_呼詠

「よし、改善点もこれで出切ったかな」

葵は、メモのために持っていたペンと紙をテーブルを置き、知恵熱で蒸れた前髪を左手でかきあげてソファーの背もたれにのしかかった。

「お互い五分五分って感じだね。直すところ」

「そうだな、特に前の脚本は俺が好きなように書きすぎた。演者である凪のことなんて眼中にもないくらい、ただ自分の作る世界に酔いしれてた」

葵は、自分の書く物語が大好きだった。どんな文豪が書いた作品よりも、ずっと。だがそれは、自信があるからではない。自信をつけるためにそうやって自分に言い聞かせていたのだ。そうすることで、葵が自信を無くし、ブランクに陥ってしまうことは無くなったが、それがかえって、自分の書くものが全てという慢心に繋がってしまっていた。

「じゃあさ、俺にも定期的に読ませてよ、脚本。文句あったらその時言うからさ」

凪は真剣な眼差しで、葵の方を見ながらそう言った。

「良いのか?凪」

「良いのか?って。共同作品でしょ?良いに決まってるじゃん。その代わり葵にも、俺の台本読み付き合ってもらうからな!」

その時の凪の表情はどことなく、決意に満ち溢れているように感じた。

それとは対照的に葵の表情は、表面の凪と同じ表情の裏に、どこか不安を抱える臆病者の顔が浮かんでいた。


 二人の改善点会議から数日が経ち、葵は脚本書き、凪は演技の練習をそれぞれ行っていた。

「このセリフは、凪には合わないよな・・・じゃあどうする?展開ごと書き換えるか?そしたらまた白紙からやり直しだ・・・」

葵は珍しく、何度も何度も書き直しを繰り返していた。異常なほどに。

凪に最高の演技をさせてやりたい。そういう思いから、葵は自分の作品を見つめなおし、結果的に反省点がいくつも出てきてしまい、悩んでいた。

「凪は正直言って、演技はめちゃくちゃ上手い。だから、今は俺の書く台本で演技させて、それをバズらせることができたら、きっと業界の人にも見つけてもらえる。だから俺が、しっかりしなきゃ・・・」


責任感が葵を襲う。凪の見えていないところで、だんだんと蝕まれていく。


一方、凪は順調に練習を進めていた。

「ふぅ・・・ここはもうちょっと、力を込めて言った方がいいのかな。いやそれにしても!我ながら上手くできた気がする!」

凪は色々なボイスドラマの台本を読み、それを録音し聞き直すというトレーニングをしていた。それを重ねるうちに、台本の内容に対する理解力もだんだんと成長していき、演技の上達へと繋がっていった。

「自分自身でさえも成長を感じる。ってことはちゃんと上手くなってる証かもな!葵の書いた台本で演技するのが楽しみだ」

自分の成長を感じ喜ぶ凪は何よりも、葵の書く台本を楽しみにしていた。その感情こそ、葵にプレッシャーを与える原因でもあった。


夕方ごろ、今日の夕飯当番になっていた凪は、朝からやっていた練習を中断し、リビングへと向かう。

「えーと、何作ろうかな。え!?あーそっか。俺たち二人とも、ボイスドラマのことに没頭しすぎて・・・」

冷蔵庫を開けた凪は、目の前の光景に絶望する。

そう、買い出しに全く行ってなかったのだ。

「なんもないんじゃ仕方ない。ウーバーでも頼むか・・・」

兄弟の間で、極力出前サービスには頼らないという決まりを設けていたが、練習を続けていた凪は疲れているし、きっと葵も買い物に行く暇はないだろう。

「葵―、買い出しに俺ら行けてなかったじゃん?だから食材がなくてご飯作れないのよーだからウーバーでもいい?」

凪は、葵の部屋の前で立ち止まり、少し大きめの声でそう言った。

「あれ、葵―?起きてるー?」

それでも返事はなく、痺れを切らした凪は、その扉を開けた。

するとそこには、自分の書いたものに鋭い眼差しを向け続けている葵がいた。

「ああ、凪か。どうした?」

葵は、凪の方を見ると、今までしていた真剣な眼差しとは一変し、優しい目で凪のことを見た。

「葵。」

凪は俯きながら、その名前を呼ぶ。

「夕飯のことか?」

葵は、表情を変えずにそう言った。

「葵、無理してるでしょ」

その時の凪の表情は、怒っているようで、悲しんでいる。そんな感じだった。

「無理なんてしてないぞ、ちゃんと昼飯は食ったしな」

葵は、やつれた顔でそう言った。

「嘘だよ!!その目の下のクマは?破り捨てられたその用紙は?それにいつも朝も昼もリビングで食べてるのに、最近は部屋に篭りっぱなしで・・・」

凪は、今まで溜めていた感情を、一気に解く。涙を数粒流しながら、声を荒げる。

「・・・」

それを葵は、凪の言うことを全て認めるように、何も言わず黙って聞いていた。

「俺のことも頼ってって、言ったよね?もう、忘れちゃった?」

葵は、だんだんと化けの皮が剥がれていくように、表情が脆くなっていく。

それはもう、臆病者の顔をしていた。

「一人で、抱え込みすぎなんだよ・・・バカ兄貴」

凪はそう言葉を吐き、最後の涙を一粒垂らした。

「俺は・・・弱いんだ・・・でも、どうしても凪を輝かせてやりたくて、俺の中でも最高のものを書きたくて・・・」

そしてその涙は、兄へと移る。

「凪はきっと、すごい声優になるから、その手助けをしてやりたい」

泣きながら、不恰好な葵は、凪に本心を伝えた。

「それなら俺は、声優にはならない!!」

「凪・・・?」

凪の思わぬ叫びに、今まで滝のように流れていた葵の涙は引っ込んだ。

「俺は葵と一緒に、前に進みたいと思ってる。俺だけが進んで、葵がこうやってボロボロになっちゃうんだったら、俺は声優にはならない。だからさ」

凪がする、決意の決まった瞳はもうすでに、輝いていた。

「俺と、兄弟二人で歩んでいこうぜ」


瞳の輝きが、葵にも移る。

その瞬間こそが、兄弟二人の意思が重なったときだった。

互いにないものを補いあえる。最高のパートナー。


「凪、これでどうだ?」

「いいね、葵。あ、そうだここ、どういう雰囲気で喋ればいい?」

「そうだな、そこは・・・控えめでいこう」

「了解。なあ、葵これさ・・・」

「「絶対、バズるよな!」」



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