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【トイレ史⑥】平安時代のトイレ事情

平安貴族たちは、寝殿造と呼ばれる邸宅に住んでいた。トイレと呼ばれるような空間設備はなく、今日の「オマル」のような「おおつぼ」と呼ばれる持ち運び式の便器を使用した。御簾(みす)と呼ばれる「すだれ」のようなもので広い部屋の一部を間仕切り、その陰で用を足した。では、「おおつぼ」の中身はどのように処分したのであろうか。おそらく、広い邸宅の敷地内外の適当な場所に捨てていたと考えられる。人口密度が低い貴族の住環境であれば、特に問題にならなかった。
しかし、人口密度が高い庶民の住居空間では、そうはいかない。空き地や、道端、川などに捨てられた屎尿は、自然の浄化能力を超えたものになっていただろう。
そのような状況を伝える絵巻がある。東京国立博物館に収蔵されている『餓鬼草子』と呼ばれる絵巻で、街角で老若男女が排便しているところに、人間の屎尿を食いあさる餓鬼が群がっている。壊れた築地壁や網代壁に戦火で荒廃した平安末期の姿を垣間見ることができる。
排便をしている人の足元をよく見ると、当時の庶民のほとんどが日頃は裸足か草履であったにもかかわらず、高価な高下駄をはいている。この高下駄は、路面がすでに屎尿であふれているため、足元や着物を汚さないように履いたものであろう。人々は路地などで、ところ構わず勝手に排便していたわけではなく、特定の排便場所を使用していたと考えられる。
 

『参考資料』
 ウィキペディア「餓鬼草子」
 山田幸一「便所のはなし」
 黒崎直「水洗トイレは古代にもあった」
 日本トイレ協会「快適なトイレ」
 

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