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【技術史】古代ローマの下水道

上水道はローマ市内の水道橋の遺構として人々の注目を集めますが、下水道は地下にあるため、人目にほとんどつかず、上水道に比べ地味で見落とされがちです。しかし、下水道あっての上水道です。
 
1世紀にはローマ市に11の水道があり、公衆浴場や噴水、公的建物、個人宅に配水され、それは大量の廃水となり、下水道の整備が不可欠でした。11本の水道に対し、下水道の幹線はクロアカ・マキシマ1本だけで、その名前の由来は「最大の下水」を意味しています。
 
ローマ初期のころは、下水道は水面が地上に現れている状態だったと考えられていますが、都市の建築スペースが少なくなるにつれ、水面を地下にして、上に建物を建設していったと考えられます。ポンプなどない時代のため、勾配をつけた重力流とするため、下流は埋設水路となり、次第に深くなっていきます。
 
数少ない目に見える下水道としてクロアカ・マキシマのパラティーの橋の麓に現在も使用されている排水口を見ることができます。
 
『参考資料』
https://edicola.amebaownd.com/posts/1547639/
https://jp.trip.com/travel-guide/attraction/rome/ponte-rotto-22953232/

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