小説 かいだん屋#4

#4
もう何年になるのか・・・
この古びたビルが建っている場所にお払いに来たのは随分と昔のことだ。下手をすると何十年、いや、なん百年なんてこともあるかもしれない。・・・感覚がね・・まったくもってないのだよ。今ではたまにこうして【人】であったことを思い出す程度。特に未練もないし、この姿に変わって困ることもない。元々風来坊みたいな生き方だ。俺と言う人間が消えて悲しむ奴も嘆くやつもいない。どうしてこんなことになっちまったのか・・・たまに考えるんだが、どれも答えも出ねぇし、出たところでどうなんだ?なんて考えていたら馬鹿らしくなって辞めちまう。この姿になって初めて呼ばれた名前が【怨鬼】怨念の鬼と書いて【怨鬼】だ。笑っちまう。誰よりも物事に興味がない奴が怨念を抱くか?いや・・俺はいろんなものがうらやましかったのだろう。それを手中に収めることが出来ない事を悟り、全ての興味を捨てた。
酒だけは裏切らねぇ、こいつはいつでも俺を良い~気分にしてくれる。ボロボロの長屋に住んでたなぁ。着るモンもきったねぇ羽織と破れた浴衣。俺の世界で一番しっかりしてんのはこの陶器で出来た酒瓶だけだ。日がな寝て暮らし、たまに入るお払いの依頼で酒代を稼ぐ。長屋の連中や、町内の連中には常に胡散臭く見られてた。人の頃の名前は当に忘れた。ただよ、こんな性格の俺でもこの【お払い】って仕事は割と気にいっていたよ。見えねぇもんが見えるってのは実に気持ちがいい。皆が恐れるものをこの俺様が退治する。皆その時だけは俺をヒーローか何かでも見るように縋ってきやがる。あんなに人の事を馬鹿にしていたような目で見ていたやつが、憑りつかれ、どうしようもなくなってくると俺に泣きついてくる。
いやぁ~気持ちがいいね。俺は成仏なんてことはさせねぇ、【無】に還す。出来るだけ【奴ら】が苦しむ方向でこの世から消す。そうすると仕事の後の酒が一段とうまい。
 今でも覚えているのは・・幼子を残して死んだ母親の霊だ。ああ・・泣ける話だ。その幼子が心配で心配でこの世に残っちまった。夜な夜な現れては、出ない乳を与えてやがった。ガキはやせ細り、死にかけていやがる。これじゃいけねぇってんで、長屋の大家がそのガキを引き取ったんだが、夜な夜な現れる母親の霊が気持ち悪いから何とかしてくれとの依頼だった。大家は言う。
「家賃もろくに払わねぇんだ。こんな時くらい役に立て」
うるせぇ爺だ。
「ああ・・このガキの母親が憑いてるねぇ。」
一目でわかるさ、ガキを心配そうに見守る母親が隣に居やがる。
「気持ち悪い!勝手に病になって、こともあろうにこの長屋で死にやがって。死んだ後もまだ迷惑かけるたぁ本当に貧乏くじだよ!」
 大家は親も同然なんて言葉はどこに行ったのか・・哀れだねぇ、自分の事しか考えないこの大家も、生前から旦那に逃げられ、生活に追われおっちんじまったこの母親も、実に哀れだ。聞けばこの母親、家賃をまともに払っていたらしいじゃねぇか。こんなクソみたいな長屋の家賃を優先して、てめぇの飯すらまともに喰えねぇ生活・・そりゃ病にもふけるわなぁ。
「・・で・・いかほどで?」
大家は顔を真っ赤にして怒り出しやがった。
「禄に家賃も払わねぇ分際でまだ金をせびるか!このクズが!!」
酷い言われようだ。これが人にモノを頼む態度かね。
「いやいや、勘弁してくださいよ。払うって言っても色々準備に金も掛かりまさぁ。そりゃ日ごろの恩もありますから、出来るものでしたら、お代なんかいただきたくねぇんですがね。母親の念ってのはそうそう簡単に取れるもんじゃないんですよ。多少の準備が必要でして・・」
苦虫をつぶしたような顔のまま、大家は金をポンと俺の前に投げた。しけた額だ。これじゃぁ酒と塩を少し買ったら終わりだなぁ。
「これで何とかしろ!」
「ヘイヘイ・・んじゃぁ、今夜の0時にまたここに来ます。」
そのわずかな金を懐に収めて、俺は酒屋に行く。迷ったんだが、質より量か・・安酒を買い込み、部屋に戻る。とりあえずは一杯・・気が付くと酒瓶は空っぽだ。少しウトウトしてるといい時間になりやがった。歯が全部すり減って草履みたいになっちまった下駄に指をかけ、大家の家に行く。
「やっと来たか!」
こいつは本当にいつも怒ってやがる。高血圧だな。なんて思いながら準備に入る。
「そのガキをここに・・」
お払いってのは一つのパフォーマンスが大事だ。ガキを部屋の真ん中に置き、仰々しく塩を撒き、榊と言われる葉っぱに酒を・・・・まぁ、酒は飲んじまったから炊事場から拝借したただの水を俺の愛用の酒瓶に入れたものを振りかけ、その榊で空を仰ぎながら念仏を唱える。なんとなく、酒の匂いもしているし、まぁ十分だ。
「・・・ふん・・くだらん・・」
少し雰囲気にのまれたのか大家は小さめにそう呟く。下らねぇことを頼んでんのはお前さんだろ・・。日本人特有なもんだろう。いくら気にしてない、神様や幽霊など信じていないと言ったところで、こういったモノを間近で見て怯まない奴はいない。むしろ同業者の方がわりと冷めた目で見るもんだ。
赤子の傍にぼんやりと実体化する母親の霊。
「ひ・・ひぃぃっぃぃいっぃぃぃ」
大いに怯える大家。今かけているのは除霊用の経でも何でもない。見えない奴に見せるための経だ。見えないまま払うとお代を踏み倒されることがある。この経の開発にだけは必死になったなぁ。
「お静かに・・あなたに憑きますよ。」
俺が静かにそういうと、必死で口を押える。実に滑稽だ。
「汝、その子に未練がおありか?」
あえて、仰々しくその場で声を張る。大した相手じゃねぇ。こんなレベルの奴は今まで何千と払ってきた。大事なのはパフォーマンスだ。
「・・・の子を・・かえ・・て・・」
聞き取りづらい、しっかり話せよ。めんどくせぇ・・
「その子をそなたが持ってどうする?そなたはすでに黄泉の国に行くべき姿。その御子はまだ現世の身。そなたの願いを叶えればそのお子までも殺すことになるぞ?」
女は泣きながら
「ああ・・あああ・・私はどうすれば・・・生きてほしい・・この子だけは幸せに・・・」
「は・早くその女をた、た、退治しろ!き、気持ち悪い!汚らわしい。」
ふふふ・・『汚らわしい』なんて言葉久々に聞いた。どっちが汚れているのか・・本当に醜いのはお前だな。
「では、お望みどおり・・ここで片付けましょう。」
女が何かを察し、一瞬恐怖に顔がゆがむ。良い勘だ。他の払い屋なら説得をし、天へと返すのだろう。本当に運のない女だ。
「これより強制成仏に入る。」
私は経を読み上げる。成仏も滅する事も一般人には違いは分かるまい。今俺が唱えている真言は天に還すものではない。霊体自体を破壊、無に帰すものだ。【無】とはなにか・・天に還ればやがて転生し、またこの世に生れ落ちることもあるだろう。しかし、【無】になれば全てがなくなる。その思いも、迷いも、その存在自体も・・全てが無くなるのだ。
 もう一つ大きな違いがある。天に還す時、霊体はとても穏やかで暖かい光に包まれる・・らしい。だが、無に帰される時、今一度死の恐怖に襲われる。とても冷たく、とても恐ろしい・・。どちらも俺は経験したことがないから【見た感じ】の印象だ。
 経を強めれば強めるほど女の顔が苦痛にゆがみやがる。
ああ・・実に心地いい。女はうめき声をあげ、泣き叫び、苦痛に耐えながらそこに寝かされている子供を見ている。ああ・・・そんな状態になってまで、子供の事が気にかかるかい?お前はもうすぐ無くなるのに・・子供が気にかかるか・・・。俺は女の近くに行きそっと耳元でささやいた。
「安心しろ・・どうせこのガキもすぐ死ぬよ。」
女の顔が怒りと苦痛でゆがむ。
「怨!!」
女は俺の顔を掴み何かを訴えようとしたが・・奇麗に消滅した。ああ。すっきりした。
「おおおお!ただの獄潰しではなかったか!見事だ!みごとだ!」
こいつは殿様か何かにでもなったのか?さぁ、もう少し金をいただくか・・今日の酒ももうないしなぁ。
「お力になれて光栄です。・・・まだ・・少し念が残っております。最後の浄化をしたいのですが・・」
「おおやってくれやってくれ!なんだ?金か!良いだろう!これくらいあれば足りるか?」
大家は安心したのか財布からポンポンと金を出す。俺は女につけられた顔の傷をわざと痛がる。
「かなり強い念ですねぇ・・・」
「わ、わかった!これ全部持っていきなさい!」
笑えるくらいあっさりと金を出しやがった。中々の大金だ。
俺はその晩、酒を買い込み女の顔を思い出しながら自慰にふける。最高の時間だ。
 それから数日で噂は広まった。大家が先日の事を振れ回ったらしい。今まで大した金も貰えなかったが、この件で一気に仕事が増える。適当に榊を振り、経を唱える。前までとは比べ物にならないお代を頂戴する。酒に困ることもねぇ。着るものも少しづつ良いものへと変わっていく。多分俺はあの時幸せを感じていたと思う。とてつもない優越感。皆がこぞって頭を下げに来る。うわさを聞きつけ、どこぞのお大臣もやってくる。たまに出会う本物の仕事。それを片付ける。絶望に満ちたあいつらの顔を思い出しながら股間に手をやる。金持ち相手の商売は簡単でいい。少し顔色変えれば、最初の提示額が何倍にもなりやがる。もっとだ、もっと俺を称えろ。俺はお前らとは違う。神だ。俺はついに神になったのだ。
「時に・・・お前さん、この町の外れにある荒屋を知ってるかい?」
いつも行く酒屋の親父が俺に聞く。
「知らねぇよ。早く酒用意してくれよ。」
ツケで買って居る時もあったからか、こいつだけは態度が変わらねぇ。こいつの目はいつもあんたがインチキしているの知ってるよと言わんばかりに軽蔑を混ぜてくる。ちゃんとお払いはしてらぁ。インチキではねぇんだが、どうにも居心地が悪い。
「まぁ、あそこだけはあんたも手を出さない方がいい。何人かお払い頼まれた奴知っているが、誰も戻って来てねぇらしい。」
「なんじゃそりゃ。そんなにあぶねぇもんなんかな、この世にはないよ。素人が知った口聞いてんじゃねぇよ。」
「はいはい、はい、お待ちどう様。飲みすぎに気をつけな。」
「酒屋が言う台詞じゃねぇな。じゃぁよ。」
ちゃんと聞いてればよかった。まぁ、後の祭りだがね。
・・・・・わかってたよ。こんな生活いつまでも続かねぇってのは・・調子に乗っちまったんだ。たった一件・・数ある中のたった一件だった・・たった一件で俺はここにいる。その荒屋の除霊・・何人もの払い屋が挑み、誰も帰ってきたやつはいねぇ・・巷を騒がせている俺に白羽の矢が立つのは時間の問題だった。
その日も俺は意気揚々と準備をして、適当に経あげて金を踏んだくるつもりだったさ・・だがそこは・・

本物だった。

当時そこは噂通りの古い建てモノが一つだけ建っていた。いつも通りの準備をして、中に入るとうめき声が聞こえた。気にすることはない。いつもどおり経を唱える。
すると見たこともない黒く禍々しいものが壁と言うう壁、地面と言う地面から湧き出てきやがった。
「これは・・・」
俺は逃げ出そうと走り出した・・酒瓶がよぉ・・コロンって転がっちゃったんだよ・・それを取りに行ったのが失敗だった・・一瞬止まった俺を次から次に食らい付く。俺は叫んでいた。生まれて初めてとてつもない恐怖と嫌悪を感じた。その中で、生きたまま体が噛み千切られる感覚、腕がもがれる感覚・・・度を過ぎた痛みは逆に何も感じねぇもんだ。自分が叫んでいること自体良く分からなくなって・・・・覚えているのはそこまでだ。
そこからは薄い記憶・・微かな記憶・・何日も何日も喉が渇き、飢え、何をしても満たされない。俺は文字通り暗い建物の中を彷徨っていた。しばらくして気づいたんだ。【同じような奴ら】が俺の近くに居る事を。俺は馬鹿みたいにアーアー言いながら歩いているそいつらに何故か無性に腹が立った。俺はお前達とは違う。俺様はこんな所に居る存在じゃない。その思いが高まった瞬間だ・・・

 隣の奴を食いちぎっていた。

すると不思議なことが起きた。奴らを食らえば食らうほど、意識がはっきりとして行く。人間だった頃の記憶も戻ってくる・・それだけじゃねぇ・・力が湧いてくる。やはり俺は選ばれし存在なんだ。俺は・・・
「産まれたか・・・」
声が聞こえたんだ。女の声が・・・
「我が名は紫音。豪鬼様に使える鬼・・おめでとう・・異形になりて尚、その欲に縛られし愚かな人間よ・・我と共に豪鬼様の復活を・・・」
奇麗な女だった。目の前にはいやに生めかしく、色っぽい。
「なぁ、紫音とやら・・そいつが復活するとどうなるんだ?」
紫音は笑った。
「この世は我々の世界になる。」
ああ・・・面白れぇ。訳は分かんねぇが面白れぇ。
「じゃぁ、その後、その豪鬼を倒せば俺の世界だな。」
紫音は一瞬眉間に皺を寄せたが、ケタケタと笑い声をあげる。
「業の深さは鬼をも超えるか。面白いなぁ元人間よ。我はそなたを兄として迎えよう。」
「どういう了見だかわからねぇが、またおもしろくなりそうだ。」
紫音は俺の首に絡みつくように腕を回す。紫音の牙が俺の首に刺さる感覚が妙にエロく興奮した。
「ああ、妹よ。その夢の果てを共に見ようじゃないか。」
我が名は【怨鬼】。この世界をやがて統べる鬼なり。
この体になりはしたが飢えは続く。俺は変わらず満たされない体を紫音に預ける。紫音は俺をむさぼるように食らい付く。だが俺の体は消えはしねぇ。鬼に鬼が殺せないことはその後に知ることになる。


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