小説 かいだん屋#6

#6
「父が壊れた。」
軒先にぶら下がっている父を見た時に頭の中に浮かんできた言葉だ。中学二年の夏、部活を終え家に帰った。私はいつも通り玄関を開け、二階の自分の部屋にカバンを投げ、冷凍庫にアイスを取りに行く。母は数年前に他界しているので、私と兄と父の三人暮らしをしていた。私はアイスを咥えながら夕飯の献立を考える。
ひとしきり考えるがいつも似通ったメニューになる。シャワシャワと鳴く蝉の声が暑さを強くする。
今日はカレーにしよう。そんなことを考えていた。挽肉はたしか冷蔵庫にあったな・・ああ、ジャガイモがないか。しょうがない、買いに行くか・・・。お財布を持って何気なく居間を見ると父がぶら下がっていた。
夕焼けを全身に浴び、真っ赤に見えた。時折吹く風に父が揺れる・・いや、父だったモノが揺れていた。私はしばらくそれを眺めていた。西日が妙にまぶしくて逆光になり、シルエットになった父をしばらく眺めていた。
蝉の声が妙にクリアに聞こえる。
日が完全に落ちた頃、バイトから兄が戻ってくる。のんきな声が聞こえる。
「ただいまぁ~ああ~おなかすいたぁ。麗香ぁ?今日ご飯なにぃ~?」
とぼけた兄の声が私の意識を現実へと戻す・・・だけど、変わらず動くことはできなかった。あれだけ耳に張り付いていた蝉の声も・・いつの間にか消えていた。
「あれ?麗香ぁ?・・・あれ?まだ帰って来てないの・・・」
兄は居間の明かりをつけ、茫然と立ち尽くしている私に驚いた。
「わぁぁぁぁ!びっくりしたぁぁ!なんだよ。居るなら明かり位・・・」
兄も父を見る。
「・・・・・・・・・・」
なんだ。兄も同じじゃないか・・・私は少し安心した。
私達はしばらくの間、父であったモノをただただ見ているだけだった。
「ああ・・そうだ・・・警察に連絡しなくちゃ・・・」
どれくらい時間が過ぎたか分からない。兄はポツンとそう呟いて電話を掛けた。
それからの記憶はあまりない。警察にも何か答えたような気がするし、いろんな人に励まされたような気もする。ヒソヒソと話す近所のおばさんとおじさんが妙に不快だった記憶だけがあった。
記憶は飛び・・この古くてボロボロの家に奇麗な白黒幕と真新しい棺桶と白い布で覆われた祭壇、それに合わせるように無理やりに神妙な顔をした人達がおかしかったのは覚えている。そして、私と兄は別々に暮らすことになった。それ以来、私は兄と会っていない。会おうと思えばいつでも会えただろう。ただ、なんとなく、会う気になれなかった。
・・・多分、兄もそうだと思う。あれから十年・・噂では記者になったとか・・私は普通に就職をした。何も変わらない、皆と一緒。普通に学校を出て、普通に働いている。
なんの不自由もない普通の暮らし。ただ・・最近見ていた夢だけは少しおかしい。
「どうしたの?麗香暗くない??」
同じ服屋で働く同僚の理子が服をたたみながら私に視線を移す。
「えっそう?別に何にもないよ。」
私は平静を装う。
「うそだねぇ!周りが気づかなくてもこの私はだませないよ!」
騙す気もないんだけど・・理子はいつでも理子だなぁと思う。見た目は一見チャラいしギャル系だけど、誰よりも気遣いで、優しい人だと思う。
「あ?アレはじまった?あたしもさぁ毎回辛い方なんだけどねぇ。」
ただ、少しづれているなとも思うし・・話し出したら止まらない。
「この前さぁ、アレの時って変な夢見ない?あたしこの前さ、死ぬ程おなか痛くてぇ、部屋で横になってたら寝ちゃってぇ。そしたらなんか気が付いたらぁ喪服のマッチョの黒人に囲まれてんのぉ!超ビビったし、そしたらなんかぁ、太鼓なりだして、そいつらがリンボーダンス始めたんだぁ。おなか痛いしマジ無理めだったんだけぉ、あたしさぁ、負けず嫌いじゃん?やったよね!したらさぁ、超おなか痛くて目覚めたの!」
・・そしてたまに何を話しているかが、分からないことも多い。理子はまた、自分のペースで何かに気づきバックヤードに何かを取りに行った。暫くして戻ってくると、手に痛み止めの薬の箱を持っている。
「マジごめん!空だった。買ってなかったぁ。マジ反省してる。」
そもそも私は生理ではない。その事を伝えるのにはもう少しまとう。どうせ聞いてくれはしないだろうし。
「もう、理子っておっチョコちょいなんだからぁ。」
同僚の真也が在庫チェックの表に書き込みながら痛み止めをくれた。
「なんであんたが持ってんの?超ウケるんですけど!」
真也は少し・・・と言うか大分おねぇが入っている。本人は否定も肯定もしないけど、物腰は柔らかくて、上司っていう感じはしない頼れるお姉さん・・・いや、お兄さん?みたいな人だ。
「私頭痛持ちだからね。今日とかも気圧おかしかったでしょ?つらいんだよねぇ。」
二人共ありがとう・・すれ違いのやさしさで、いたたまれなくなってます。
「ごめん・・私・・アレじゃないです・・・」
少し間が開いた後、二人は笑った。
「ちょっと理子ぉ!また早とちりじゃん。」
理子も笑いながら
「ごめんごめん。超勘違いしてたぁ。あたし、あの時くらいしかそんな顔しないからさぁ。」
二人はわちゃわちゃと話しながら業務に戻っていった。
 居心地のいい職場。それに馴染むように努めている。理子も信也も大好きだ。でも、何か心の中に境界線のようなモノが私の中に存在している。それがなんとなく後ろめたく感じてしまう。
 その日の業務を終えての帰り道に理子が駆け寄って来てくれた。
「マジどうしたの?今日ってか最近、気になってたんだよね?吐き出すだけ吐き出した方がよくない?マジでため込むと毒。あたし絶対ため込まない性格じゃん?メンタル超健康よ?」
だろうなと思う。でも、この性格にいったい何度助けられたか分からない。
「私達にも話せない?」
真也が缶コーヒーを手渡しながら近くの公園のベンチを指さした。そこに移動しながら理子が喋りだす。
「麗香はさ、あたしみたいにベラベラ喋らないしさ、なんでも一人で何とかしようってすんじゃん?たまに見てられないんだよね?」
理子の言葉が妙に重く感じた。
「仕事もそう。この前だって、理不尽なクレーマー一人でずっと相手して。私はあなたの上司。たまには頼りなさいよ。」
 静かなトーンで話す。信也は決して人の事を恫喝したり、力で何とかしようとしない。寄り添って、その人が本当に理解するまで隣にいる。たまに面倒臭いけど、たまに心が安らぐような感覚を与えてくれる。
「凄い・・変な話なんだけど・・」
境界線が少し亡くなったような感覚。ずっと抱えていたものはそんなに簡単に無くなりはしないけれど、少しづつ・・少しづつでも・・普通に相談できるようになっていきたい。
「なに?マッチョ喪服のリンボーより上行く感じ??」
真也が理子の頭をはたく。ちょっと面白かった。
「私さ、中学の時にお父さん自殺しちゃって・・・五つ離れた兄と別々に暮らす事になったの・・。兄は親戚の家に養子になって、私はそのままの苗字で別の親戚の家で暮らした。」
「超ヘビーな人生送ってんねぇ。マジ頑張って来てんじゃん。」
「でね、お世話になってるおばさんの家の人も優しくて、私を高校にも大学にも行かせてくれた。自分の子供達と何にも変わらず、育ててくれたの。」
「マジ良かったじゃん。」
「その家の子供達とも?」
真也は重くなりすぎないように、自分の爪を気にしてる【振り】をしている。
「うん。お兄ちゃんもお姉ちゃんも普通以上に仲良くしてくれた。」
その優しさが・・逆に私の中に境界線を生んだようにも思える。どこまで行っても他人のような・・そんな他人が家にずっと居る事で、この家族の普通の生活を壊してしまったんじゃないのか・・。
「超つらかったねぇ。」
別に抱きしめられたいわけじゃなかったけど、理子は私を抱きしめてくれた。・・悪くないなって・・思った。
「そんな生活も慣れてさ、こうやって普通に暮らしてる・・でも、たまに思い出すみたいで・・」
「本当の家族の事?」
真也の顔は涙で崩れていた。良い人すぎるでしょ。ちょっと引きながらそんな真也が面白くて、ちょっと愛おしいかった。
「ちょっと!泣きすぎじゃない?ブスなオカマが超バケモンみたいな顔になってるよ。」
「それ言い過ぎ!私だってね、普通に聞いて、大人な対応したかったわよ!でもダメ!私こういう話ダメ見たい!」
一通り二人のやり取りを見ているとなんか気も晴れてくる。どうやら二人の話は終わったらしく無言でこっちを見ている。
「あ・・なんかね・・夢・・に出て来るんだよね。」
「夢?」
「あたしもさぁ・・・」
理子が話し出そうとしたのを信也が鋭い視線で制す。理子はそれに気づきお口にチャックのジェスチャーをする。
「よし。続けて?」
「最近なんだけど・・今の姿で、食卓にお兄ちゃんと私・・そして、あの頃のお父さん。お兄ちゃんは・・おかずに醤油真っ黒になるまでかけてて・・・変だなって・・思うんだけど、なんかそのまま・・・みたいな。」
「あるよね、でも夢って大体そんな感じじゃない?」
「・・そうなんだけどさ・・・最初は家族団欒な感じなんだけど・・・だんだん・・お父さんが変わっていくの・・・」
「えっやだぁ!怖い話?私怖いの苦手なの!」
「信也超うるせぇ。黙れし!で?どんな風に変わっていくの?」
「顔がね・・・鬼みたいな形相になってね・・爪もなんかすごい伸びててね・・その爪でお兄ちゃんを殺そうとするの・・・」
「嫌あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
真也の叫び声が死詰まり帰った夜の公園に響き渡る。正直その声の方が怖かった。
「超ビビんだけどぉぉぉぉ信也超マジでいい加減にして!麗香もビビってんじゃん!」
「ごめんなさいごめんんさい。」
「私はそれをただ見てるだけ・・それで目が覚めるの。その夢がね・・変にリアルでさ・・だって、お兄ちゃんとはあれ以来あってないし・・今どうなってるかなんて・・」
「麗香!携帯出して!」
私が戸惑いながらモタモタと携帯を出すと理子はそれを奪った。
「こういうのはね!麗香のお兄さんもね見てる可能性あるんだよ!あたしね、この前、テレビで見たかんね。」
そんな不確かな理由を何故そこまで自信満々に言えるのか・・それより、そんな理由で長年連絡とってなかった兄と連絡を取るのが・・何か気まずい。
「・・えっちょっと・・そんな・・迷惑だよ・・だって・・」
「あたしの勘はたまに当たるから!」
説得力がない・・・
「お兄ちゃんなんで登録してるの?あ、お兄ちゃんだあった。」
私の携帯をすごい勢いで弄りだす。ちょっと嫌だった。
「ちょっと理子。携帯還しなさい。人のご家庭の事情にズカズカ入らないの。」
理子は少し不貞腐れた顔をして、私に携帯を返してくれた。
「掛けてみようかな・・・・」
「えっ?」
真也が大分驚いている。理子は「それが良いと思う!」と私の携帯を再度奪い、兄に電話を掛けた。
「ちょっと早いって!」
私が焦った時には理子はもう携帯を耳に当てていた。
「もしもし、麗香のお兄さん?麗香が話したいって言ってんだけど?代わるね?」
今のやり取り・・いる?ちょっと強引が過ぎるけど、それも理子らしくておかしかった。
「もしもし・・・その・・・お久しぶり・・です。」
電話の中の声はあの頃の兄の声だった。兄も驚いていたが・・・私達は十年ぶりに会うことになった。何故か、理子と信也も同席すると言う事が決まり・・久しぶりの再会はちょっと複雑な感じになった。


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