小説 かいだん屋#1

#1
 雨が降っていた。
しとしとと降る雨は、激しく降る雨より、静寂を連れてくる。体に纏わり着くような雨を嫌うように俺たちは都内にあるさびれた廃墟に潜入した。
数年間は放置されていたのだろう。埃の溜まった事務机やファイルが入りっぱなしになっている棚。その全てにカビや埃がびっしりとついている。空気が悪い。いかにも【溜まる】場所だ。
「鵜野月、ぼーっとしてんじゃねぇぞ。」
この男の名前は海舟という。何にも興味を示さず、時に中二病の匂いをまとう変な奴だ。こいつと出会ったのはいつだったか・・・気が付けば、もう何年一緒に動いているのか。
「わかってるよ。」
海舟が張り切っているのがわかる。こいつの言葉の端々には嫌味や、人を小ばかにしたようなニュアンスが出ていてあんまり好きじゃない。
しかし、そんな事を言っている自分自身も、どこか緊張と言うのか、やる気が出ているのも否めない。
「鵜野月。この卒業試験が終われば俺たちも晴れて一人前だ。」
「珍しく張り切ってるじゃないか。海舟には珍しい。」
少しからかう感じで、海舟に返す。すると海舟は
「当たり前だ。これでやっと自由だ。」
海舟は懐に忍ばせていた剣をぬらりと抜く。この業界では珍しい剣使いだ。刀を使うものは数人見たことがある。が、この剣は珍しい。両刃作りで柄の方には何かしらの細工が仕込んである。仏具のようにも見える装飾だ。
「鵜野月・・」
「ああ・・始まるね。」
さっきまで静まり返っていた廃ビル内に無数のうめき声が聞こえる。
「なんか数すごくねぇか?」
「気を入れとけ。結構厳しい試験になりそうだ。」
 なんでこいつは上からなんだ。同門の同期だろう。少しだけ、イラっとする感情を抑え、気の集中に入る。
「来るぞ!!」
海舟が叫ぶか叫ばないか、いや、それが合図になっているとすら感じる間で奴ら【異形】は壁という壁、出入り口全てを埋め尽くし、こちらに向かってくる。
「怨!」
左手の印に気を集め、その手で絶え間なく襲ってくる【異形】を沈めていく。海舟は海舟でその奇妙な剣を振り上げ、奴らの首元を狙う。切られた【異形】は声にならない断末魔を出しながら塵へとなっていった。
「鵜野月こいつら・・・」
【異形】とは人の怨念や憎悪が死してもなお現世に残り形を成したもの。鬼の根源とも呼ばれるものである。死してなお、この世に残り、形を成し、人を不幸に導く。低級な幽霊といった感じか・・・。見た目は黒い影に白い仮面に似た顔、低姿勢でウネウネと動く、常に憑りつく先でも探しているのだろうか。気持ち悪い。俺たちはそれらを倒すことを生業としている・・・いや、「していこうとしている。」と言った方が正しいのかもしれない。まぁ、今日が『無事に』終わればの話だが・・。
「海舟!気をつけろ!こいつら・・」
倒す倒す倒す倒す。海舟が何体【塵】にしようが、俺が何体【天】に返そうが奴らは途切れない。そして、奴らと交わる度、奴らに触れる度、血生臭い匂いが鼻を衝く。
「人間を喰っていやがる!」
海舟が刀に張り付いた【異形】を蹴り飛ばしながら吠える。
「海舟、こりゃおかしくないか?」
「・・・ああ、師匠も人が悪いなぁ。」
そんなレベルの話ではない。卒業試験に死ぬかもしれない現場を与えるか?ん?近くに師匠がいて、危なくなったら助けてくれるのか?いや、そんな安全な業界じゃない。今までだって師匠のお供について何件か回った。そのどの現場よりも危険だ。こいつらは人の念だ。それ自体は対処のやり方さえ知っていればさして難しいものでもない。それを俺たちは学んできた。この世にあってこの世ではない者の扱い方を俺達は学んできた。しかし今、目の前にいる奴らはこの世の者ではないのにこの世の者を喰っている。
「鵜野月・・こいつらは・・いつになったら尽きるんだ?」
やばい、海舟の息が上がっている。
「・・・さぁね・・俺に聞かれても・・・わからないさっ!!」
答えざまに何十体目になるかわからない【異形】を天に還す。腕がしびれてくる。術の使い過ぎは体がしびれ動きが遅くなる。やばい・・。
「鵜野月ぃぃぃ」
海舟の声に反応をしようとするが自分の思っている速度で動けない。【異形】の鋭い爪が目線に入る。(こんな所で終わるのか・・・。)(これが卒業試験だと?ふざけるな)様々な思いが一瞬頭の中を駆け巡った。
「くっ・・・」
 もういい・・、もとより一人の身これで終わりだ・・・。
その時だった。ヒーローは遅れて登場するとはよく言ったものだ。頭の中に甲高い金属音にも似たような音が走る。一瞬の頭痛。ああ、やっぱり試験だったのか・・・その音を聞いて少し安心した自分がいた。甘いな・・自分の事をそう思った。
「だははははははは!よかったよかったぁ!」
相変わらず下品な笑い声だ。微かなうめき声だけが聞こえ、影のような【異形】たちの動きが止まっている。
「・・・・・勘弁してくださいよぉぉ」
思わず口から出てしまった。何が勘弁だ・・これくらい二人係ならやらなくてどうする。少し悔しい。海舟を見ると同じような顔をしている。独り立ちはまた先の話になりそうだ。
「いやぁぁよかったよかった!お前たちだからそうそう簡単に死なないだろうがいやぁ~うん!生きててよかったぁ!」
 なんだろうか・・少し師匠の歯切れが悪い気がする。
「いやぁさぁ~ここの住所さぁ~教えたときにさぁ~酔ってたじゃない?」
「あんたはいつも酔ってるでしょう」
海舟の返答に嬉しかったのか師匠はまた汚く笑う。
「だはははははは!まぁ、あれだよね、よくあるやつ!退魔師一人前になるための師匠レッスン卒業試験会場と、全国お祓い屋連盟からの禁忌のビル増えましたよって言うお知らせ・・・」
「・・・嘘だろ・・・・」
こいつが何を今から言うのかわかる気がする。
「鵜野月!正解!そう、同じ時期にFAXで来ててさぁ!あるよね!そういうの!」
海舟が震えている。
「間違えたのですか・・・」
「だははははははごめぇんね!」
「ドウリャァァァァ」
さっきまであんなに疲れていたはずなのに、海舟はその剣を師匠に全力で振り下ろしていた。それをひらりとかわし、
「そんな怒んなくてもいいじゃぁぁぁん!助けに来たでしょ!君たちまだ生きてるじゃん!」
「だから、常日頃から酒の量へらせ、部屋は片付けろ!って言ってるだろう!!」
どっちが師匠か分からなくなる。でもこのやり取りは好きだ。
「ごめんなさいぃ!でも、海舟!師匠を切りつけちゃダメだぞ。」
さっきまでの緊張やピンチが嘘のようだ。いつもの日常。これがもう少し続くのも悪くはないか・・また、卒業試験に向けてがんばらなくては・・
「さて!破壊屋の称号を海舟里見、かいだん屋の称号を鵜野月清流!これにて、卒業試験は終了そして、合格だ!これからも精進していくように!」
「・・・・は?」
 この師匠の考える事は良く分からない。・・・・・いや、凄く単純だ・・クソッ・・
「てめぇ!ホラふいてんじゃねぇぞ!そんなんで許されるとおもって・・・」
海舟をそっと制する師匠の姿がとても印象的だった。
「鵜野月、海舟を頼んだよ。」
「なにいってやが・・・」
海舟が吼えかけた時、微かに術で止められていた【異形】が動き出していることに気づいた。
「チィッ」
構えなおす海舟。師匠は俺を見ている。「海舟を頼む」か・・また、厄介なものを頼まれた。
「さぁ、行け!お前たちぃ!」
「そんなんで行けるか!三人でやりゃぁなんとか・・・」
「残念!ここはお祓い屋協会が定めた禁忌のビルの一つ。お前たちレベル、いや、俺レベルでも束になってもかなわねぇ!」
「じゃぁどうすんだよ!とんでもねぇ間違いしてくれたなぁ!」
「海舟よ。そう怒るな。お前たちにはもう、教えることはなんもねぇ。後はてめぇで頑張れや。最後に師匠らしいことさせろこの馬鹿野郎!」
師匠の言葉が言い終わるかどうか、すさまじい力が辺りを制した。まるで重力が何倍にもなったような・・・激しいめまいと頭痛、歩くことすらままならない。
「おんばささどしんえんそわか」
師匠が唱えたそれは俺と海舟をその重力から解き放った。
「いけ、馬鹿弟子ども。お前たちまで殺したんじゃぁ俺ゃ成仏できねぇからな」
体が勝手に動いていた。嫌がる海舟を担ぎ、無理やりその場を離れた。
「振り向かずひた走れ!鵜野月!!」
ほんの少し・・ほんの少し・・部屋から出る寸前に振り向いてしまった。
無数の【異形】が食らい付くように師匠を覆っていた。その後ろに一際まがまがしく、立つ者が居た。赤い仮面、着物・・・そこから伸びる異様に白い手・・・

そう・・あれは・・・鬼だ。

ビルの中を走り回り、出口を探す、階段を何段も何段も下った。暴れる海舟を気にする暇もなかった。俺は知らぬ間に叫んでいた。ほんの一瞬だ。ほんの一瞬しか見ることができなかった。それでも、その絵は鮮明に焼き付いた。伸びた腕はどこに差し込まれるのだろうか、差し込まれた腕は何を引きちぎったのだろうか・・・考えたくない想像を押し殺す、それによって押し出されるように俺の口からは叫び声があがっていた。

「ふざけんなぁ!!!何しやがんだてめぇは!」


海舟が俺を殴り、そう叫んだ。気が付けばビルの外で倒れこんでいた。
「何逃げてんだよ!なんで・・・なんで・・・師匠を見捨てたんだぁぁ!」
息が切れているのかもわからない・・・海舟に殴られた顔だけが少しひり付く・・感覚が戻らないまま俺は海舟に言った。
「俺たちじゃぁ・・・どうすることもできなかった・・行こう・・海舟」
「・・・ふざけんな・・・ふざけんなぁぁぁぁぁ!」
海舟は叫んでいる。出てきた扉を掴みながら、それを必死に開けようとあがいている。扉は開かない。師匠の術なのか、あるいはご馳走を手に入れた中の者の仕業なのか・・・。
「俺たちは・・・何もできなかった・・・・」
「・・・・でもよぉ・・・師匠を見捨てる事‥ねぇじゃねぇえかぁ・・」
こんな顔するのか・・・初めて見る顔だった。
「手伝え鵜野月ぃ!俺一人じゃ・・・俺一人じゃぁ・・・ちくしょぉぉぉぉ。」
多分・・俺もそんな顔をしているのだろう。張り付くような雨がただ降っていた。音にならない雨音と声にならない嗚咽だけが、この場所を支配していた。


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