視えるか感じるのか良く分からない者に僕らは動かされている#1

#1 かわり・まじわり
 そこに居たから悪いのだ。私は悪くはない。そこに居たあなたが悪い。私は悪くはない。その場に居なければあなたと出会わなければ私は何もすることはなかった。あなたはただ、道を歩き、私も道を歩く。たまに交差することが起きようとも、それは大した交わりではなかったはず・・。あなたは私に触れてしまった。あなたは私を認識してしまった。それと同じように私もあなたを感じてしまった。ただそれだけの事。ただそれだけの世界はゆがんでいた。まっすぐに居ようとすればするほど、他の人にはその世界はゆがんで見えてしまう。私は大きな声で叫ぶ。
「大丈夫だから」
その声は、相手に届くこともなく宙に消えるという表現では大きすぎるくらい、手前に落ちて消えた。ワァンワァンと鳴り響くこの耳鳴りのような音は、大きくもなく小さくもなく、ただただ鳴り続けている。私の存在する世界は実に不安定で覚束ないモノの塊である。何を知ろうが、逆に何も分からぬままでも、その世界には何の変化も与えるものはない。
「誰か聞いていますか?」
と投げかけたところで、その言葉は手前でポトリと落ちてしまう。ずっと先に居るあなたにはもちろん届く訳もなく、その言葉は土に吸収され、その姿を消す。土に吸収されたからと言って、それらのモノは、毒にも栄養にもなりはしない。地に落ちる雨が、その色を変えるような変化もない。私の放たれた言葉は、虚空をさまようこともなく、誰に聞かれるわけでもなく、その全ては、何の形もなさぬまま消えてしまうのである。
誰でもいい。私の言葉を聞いてくれ。私の存在を知ってくれ。その願いも虚しく消えていく。
すれ違ったあなたには責任がある。私の認識をしたあなたには責任がある。このドロドロと淀んだ私の中にあるものをあなたは受け取らなければならない。あなたは私を見てしまったあなたは私を知ってしまった。ただただ立ち尽くしているだけの私を・・・あなたは感じてしまったのだ。幾度となく繰り返される行為はもはや自らでは止める事は出来ない。あなたを巻き添える事には少々の改悛の情を抱かなくもない。だが、それは仕方のない事。私がここに居る事と同義。私はここに居る。あなたはたまたま出会ってしまったのだ。


 本を閉じ、机に置くとすかさず宮本が話しかける。
「神谷君はこれをどう思う?」
神谷はまじめな顔をしながら頭を巡らす。正直な話どうとも思わない。むしろ意味が分からない。出社をした瞬間にこの本を渡され、理由も言わずに今すぐ読めと。
こういう状態に入った宮本に説明を求めても、それが叶った事はない。

神谷が勤めているのはマイナーオカルト雑誌の編集部である。新宿四谷にあるオフィス街の中、バブル期に乱立したコンクリート打ちっぱなしの古びた雑居ビルが並んでいる。その中の一段と錆びれたビルがある。一階には、最近インドカレーのお店が入り、二階は怪しげなマッサージ店が入っている。その中の三階から五階に入っているのがマイナーオカルト誌も取り扱う、E・ENDオフィスと言う小さな出版会社だ。オフィスと呼ぶにはお粗末な空間。狭い範囲に机が四つ向き合わせで固まっている。座れば後ろはすぐ壁だ。少し離れた所にこの場所の長、編集長の机がそれらを見渡せる位置に置かれている。席に着き、PCを開き、取材の元になるような場所を探したり、読者からのメールをチェックする。めぼしいものはない。その作業をひと段落終えた所で、先程の本を持った宮本が現れた。顔中髭で覆われていて、愛想と言う言葉を軒並み払拭したような男だ。宮本は鋭い視線でその本を神谷に渡した。
神谷は、何とか平常心を保ちつつ、その本を手に取り読み始めた。暫く読んでいると、宮本が少しイライラした様子で、
「何やってるんだ。そこじゃない。」
と不機嫌な顔を全開で吐き捨てるように言った。
「えっ・・そんな殺生な‥‥・」
思わず出た言葉を奇麗にスルーし、神谷から再度本を奪い、ページを開き渡した。
この宮本と言う男は、よく言えば天才肌なのだろうが、悪く言えば変人だ。この編集部に所属して大分長い間オカルト誌の記者をやっているらしい。神谷は三年前にこの編集部に入り、変人宮本とバディーを組まされている。編集長曰く、馬が合っているらしい。神谷は特に苦痛にも感じないが、たまにこの横暴なマイペースにため息が出る事がある。

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