見出し画像

自分の思い出や思想と振り返る「二人組の少女たち」

このnoteはコミュの感想ではなく自分語りです

私はシャニマスの中で
「ヒカリと夜の音楽、またはクロノスタシス」
が一番大切なコミュです、できるなら死ぬまで忘れたくない
そんな自分による自分のためのnoteです。

自分から見た「イルミネの3人」と「二人組の少女たち」

このコミュは主にイルミネの3人と二人組の少女たちの関係性の話である。
イルミネの仲の良さは「理想の形」に思える。
これが永遠に続けばどれだけ嬉しいだろうか。
対して二人組の少女は「現実で多く起こりうる、または必ず訪れる終わりのうちの一つ」だと思う。
「現実で多く起こりうる」というのは様々だがコミュ内から例を挙げると、''やりたい事や気持ちの変化''によって現在の関係性が終わり、別々の道を歩み始めること。
「必ず訪れる」というのは自分の考えで、''寿命がある以上は訪れる、死による終わり''である。

ここでは寿命の規模で語っていないのは分かっているが、つい考えてしまった

「二人組の少女たち」の関係性の変化

オープニング「はじまり、それからまどろみ」
第1話「あしたが、まだ永遠だったころ」
では少女たちの仲睦まじい様子が見られる。
一緒に握手会に行ったり、イヤホンを分け合って曲を聴いたり、プロデューサーもあのように強い絆で結ばれてほしいと結成して間もないイルミネに対して思うほどであった。
自分にも小学校の頃そんな友達がいた。引っ越しを機に会わなくなってしまったけれど

第2話「おとなは、預言者の顔をする」
では、少女たちに''ほんの小さな変化''があったが、隣の家である事やチェインやツイスタでいつでも話せることなど、他の環境が変わらないことから大丈夫と話している。

自分がスマホを持ち初めてSNSに触れた時、これで繋がりが断たれることが無くなるだろうと信じていた。
ただのクラスメイトの転校すら「この人との関わりはここで終わりなんだ」と悲しくなっていたので、それが無くなると思い嬉しくなった。
現に昔と比べて繋がりが断たれる事は少なくなったが、繋がっていても連絡を取らなくなった友人も確かにいる。
読みながらそんなことを考えていた。

自分も他の繋がりが保たれていれば、今の関係が続くと思っていた

第3話「となりに、地球の裏側」では、少女の思いとは反対に関係の変化が進む。
友達はハイタッチ会に来なくなり、やがてチェインには既読が付くことも無くなった。
対象的に灯織はチェインで連絡をとっている様子が見られる。
それに加えプロデューサーが「今はいつでも繋がるツールがあるんだから」と言及するのがより一層理想と現実の差を感じさせる。
第4話「だいすき、本当に大好きだったよ」では、第2話の''ほんの小さな変化''がダブルスの解消だったことが明らかになる。
冒頭ではディレクターが関係性についてこう話している

少女は友達と喧嘩をしたわけでもないのに、まるで悪い方向に進んでしまったかのような現実を受け入れづらかったのではないか、それならいっそ喧嘩別れの方が楽とさえ思える。
そう考えていた時、
「ずっと仲良しと思っていたのに無くなってしまった関係」と
「永遠に生きていてほしいのに死んでしまう存在」は似ているのではないか、と思った。

第5話「じかんよ、おまえは」では、趣味や関係性の移り変わりが時間の流れによって起きているように見える。
まるで時間を共有していないのは別々の世界にいて干渉も共感もできない、そんな気がしてしまう。
SNSはその世界を一つに繋げてくれるものだと思っていたが、SNSそのものは変わっていく様子を観測できるだけだった。それでも何も分からないよりずっと良いとは思うけど

最近はイルミネを追いかけなくなった町の人と、めぐるを「昔の友達」と呼ぶ女子高生

この女子高生の会話をプロデューサーが気に掛けるシーンがある。
しかし後に見守ることもプロデューサーの仕事なのだろうかと言っている。

自分はこの「大事なものが変わっていくこと」に出会いや別れ、死別も含まれると考えた。だから「それでも大丈夫だ」というより「それでも大丈夫でいられる理由を作ったり考えたりする」という捉え方をした。

そしてオープニングのシーンに切り替わり、真乃が「ずっとずっと・・・」に続いて
「当たり前でいられますように」と言っている

第6話「きのうが、永遠になった」ではイルミネの3人はちゃんと現実を分かっていて、「ずっと」がないことも、「絶対」が難しいことも分かっていて言わないだけなのだとプロデューサーは言う。(余談だが、この後に出てくるイルミネの表現とほんの少し異なる)

時が流れた後と思われる少女がオーディオプレイヤーを見つけ、再生するとイルミネの曲が流れ、友達と仲が良かった日々のことを思い出す。

''もういいけど''という筈がない
だって親友だと思っていた人と疎遠になってしまう喪失感は本当に大きい。
自分は引っ越しを機に疎遠になったことが今でも寂しいけれど携帯がなかったり他の要因で諦めがつく、死別だって人は生き返らないのだから会いたくても諦めるしかない。
この少女の場合は変わってしまった友達が目に見える分もっと辛い部分もあるのではないのか。
それを「もういい」と片付けるのは自分には無理だ。

と頭に血が上ってしまったが「もういい」は「もうどうでもいい」ではないとすぐ思い直した。
この「もういい」は「もう大丈夫」という意味だと思う、そう信じたい。
イルミネと友達が作ってくれた''思い出''があるから大丈夫という意味だと解釈した。

これは死別にも言えるのではないだろうか。
大好きで大切な人に二度と会えなくなってしまったら本当に寂しいけれど「その人との思い出と感謝」があれば前を向けるのではないか、と

エンディング「響き渡れ、どこまでも」では
言葉は約束でも誓いでもなくて、願いや祈りとしてイルミネに託されているのだと
そしてイルミネ自身もまた、
これまで関わってくれた全てにの人がこの宇宙に絶対いるように
誰かが生きた時間と一緒に歌が生き続けるように
願い、祈る
「輝きをみんなに届けよう、イルミネーションスターズ!」
と締めくくられた。


自分はこれを読んでなお、前を向ききれなかった。
「永遠は無い、絶対に人は死ぬ」という考えと恐怖が消えなかった。
人との死別と同じくらい、自分が死ぬことも怖いからだ。

でも、このコミュのおかげで少しだけ在り方を変えることはできたよ。
今更これを書いているのは先日おばあちゃんが亡くなったからだ。
悲しくて、怖くて、自分を気にする自分に自己嫌悪もあって、でもたくさん思い出があって感謝もしてる。

生まれた日から、絶対に終わりが来ること、悲しいよね。
だからせめて、それまでの思い出たちに感謝して終わりたいな
自分に自信が持てなくても、本当に無力だったとしても生きていきたい、前を向けなくても歩くよ。
「終わりへの恐怖を完全に消えないけれど、思い出とそれを繋いでくれた存在にも感謝することで少しだけマシになる」ことに気付かせてくれたことが、このコミュを読んだ一番の意味だと思うよ。多分

きっとこれからも人と関わるとき、終わりを意識すると思う。
あまり大げさだと次会う時に恥ずかしいから、
でもいつか来る終わりが今日ではないようにと祈りも込めたいから、
別れ際に「またね」ということにするね。

ありがとう、今までの全て
それが終わるときに精一杯の感謝を伝えられるよう、自分は生きていきます。

だいぶ支離滅裂な文章になっちゃったけど、なんとなくは伝わると思う。
前向きになれない私がくじけたとき、これを読んでまた歩き出せますように。

終わり




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?