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考える時間 ~整体師がやって来たこと⑤~

「外出自粛してたら太った」とかよく聞きますが、それは外出を自粛していたからではなく、食べ過ぎたので太ったんです。
「外出自粛をしていると運動不足になる」とかよく聞きますが、外出を自粛してても家の中で動いていれば運動不足にはなりません。
『外出自粛』は悪者じゃないですよ。色々考える時間ですよ。

散歩は気分転換

歩数計をつけて1万歩歩くことを目標にしている人も多いですが、身体の重心の取り方によって膝を壊すので私はあまりお勧めしません。
私のところに沢山来たんですよ。歩かなきゃ歩かなきゃって必死で歩いて膝を壊してきた人。踵をガツガツついて歩く人は腰を痛めました。
だから「昨日は1万歩歩いたんです!」とか嬉しそうにいわれると、悲しくなる。それはやる必要ないよ、膝を痛めるよ、と言っても止めてくれない。
行政からも散歩を勧められますが、それは距離を歩こうというものではなく、気分転換をしに外に出てください、というものです。
でもこれは引きこもっている人向けに言われている。
仕事などなどで当たり前のように外に出る人は、散歩で気分転換にならない。通勤だって散歩なんだから。

散歩は気分転換:距離とは無関係

気分転換で発散される

外に出て、人と話して、汗を流して運動不足解消!というのは、発散だと思う。スポーツまでいくと発散以外の要素も含まれてくるのでスポーツまでいかない散歩がもてはやされてる気がする。
楽しかった、気持ち良かったという気持ちになると、身体の中がうまく回るんです。神経の問題で。
外の空気を吸って、家の中以外の映像が目に映る。これが刺激になる。過剰な刺激ではなく、小さな刺激が神経には大事で、だから気分が変わる。
でもね、歩かなきゃ歩かなきゃと言って歩いて1万歩になって嬉しいのは満足感や達成感だけで、関節には負担だということもあるんですよ。関節だけでなく、筋肉疲労も生まれる。その疲労を取らないで放置している人が沢山いる。
整体師としては「今日は1万歩歩いた」と自慢したり、そのことを褒め称えたりしないで欲しいと思っています。
散歩で外に出ると知り合いに会える、と思う人は人と会ってしゃべって発散していたということ。歩くことが目的ではなく。

発散しないと鬱屈するからね。
でも発散は毎日じゃなくても良いと思いますよ。
散歩に出かけて、外出自粛なのに沢山人が出ている事に腹を立てて帰ってくるなら何の発散にもなっていない、散歩に出た意味がない、です。

気分転換で発散される:微発散でいい、ストレスになるならやらない方が良い

発散は家の中でもできる

肺活量を上げたいとか、筋肉を付けたいとかは発散とはまた別の話です。
目的が違うので発散したいだけなら気持ちが動けばいいんですよ。
怒りという形で発散したい人は多くいるけど、twitterなどで上手く吐き出せばいいと思う。読むかどうかは読み手が決めるので。怒りに触れたくない人は読まないから。私は読まない。だからそこで吐き出しても良いと思う。
動いて発散したいなら、片付けや掃除を。
泣いて発散したいなら、映画や本を。
笑って発散したいなら、お笑いを。
喋って発散したいなら、電話を。
私の夫は寝て発散するタイプみたいよ。
それで発散できたのか、と驚きましたが。

発散は家でもできる:なにで発散させたいのかを自覚する

私は営業自粛で家に居るけど結構忙しいです

暇を持て余しちゃうと外に出たくなるんだけど、私が今外に出たいなと思うのは週に1度くらいです。
もちろん、小さくても庭があって外の空気を吸えることはでかいと思う。
庭がなかったとしても窓を開けて、外の空気を吸いますけど。
そのまえに、時間が無くて外に出ていられない。
自宅の階段の修繕を自分でやりたいのだけど、まだ手が付けられないし。
家に居るのに筋肉痛とかなっています。筋トレもせずに。
忙しいからと言って収入になっているかというと、そんなことはないのですが、色んな事が身に着いた1ヶ月だったなと思っています。

これをコツコツやって、老眼がちょっと改善したんですよね。

3日に1回くらいは映画も観ています。毎日やりたいくらい。
先日『it/イット ”それ”が見えたら、終わり』を観たのですが、ホラーだとは思うけど、スタンドバイミーのような、グーニーズのような、子供が嫌な物に対して立ち向かっていくさまとか、私にとって観てよかった映画となりました。

『it/イット THE END』も観たいな~。
テレビでやっているのを録画して色々溜めています。キリがないほどあって観切れない。でも観たいと思っている。

遊んでいるように見えたとしても、生きているだけです。
生きるとは感情とうまく付き合う事。うまく付き合うと身体もうまいこと行きます。うまく、とは、上手くと書くのでしょうが、上手に使っていくんです。

今まで散歩を日課にしてきた人は、ここにきてみんなが散歩し始めて、ゴミゴミしてきて、さらには密になるのを避けなきゃいけなくて、知り合いに会っても会話もできず、3日に1度にしなきゃとか思って、自分のペースが乱れて、腹が立っていると思う。
ペースが乱れるって、私も嫌うところです。せっかく良い調子できてたのに、って。
でもね、やっぱり切り替えるときなんだと思う。
仕切り直しですよ。私もずいぶん変えました(≧▽≦)
週に6日仕事に出ていたのに、毎日家に居るんですからね。
でもこれにも慣れちゃった。
先日中学時代の友人と何十年かぶりに電話で話をしてたのですが、それも9時ごろから、そんなことコロナ前にはできなかったな、と思ってこっちのほうが良いなと思ったり。
「今日はなにするの?」と聞かれたけど、家に居るからと言って特別な日でもなくなっていたので、掃除かな?と答えましたがそれはもう日常だったので「これをします!」って宣言するものもなくて、あらためて今の状況が普通になっていると感じました。

そこに来るまでには考える時間が必要で、私は2月ごろから考えていたので、今もう普通になっちゃった。
考えると切り替わるから、気分転換ばかりしてないで、ちょっと止まると良いと思う。

 人間はひとくきの葦にすぎない。自然のなかで最も弱いものである。だが、それは考える葦である。彼をおしつぶすために、宇宙全体が武装するには及ばない。蒸気や一滴の水でも彼を殺すのに十分である。だが、たとい宇宙が彼をおしつぶしても、人間は彼を殺すものより尊いだろう。なぜなら、彼は自分が死ねることと、宇宙の自分に対する優勢とを知っているからである。宇宙は何も知らない。
 だから、われわれの尊厳のすべては、考えることのなかにある。われわれはそこから立ち上がらなければならないのであって、われわれが満たすことのできない空間や時間からではない。だから、よく考えることを努めよう。ここに道徳の原理がある。
— パスカル、『パンセ』、前田陽一、由木康訳、中公文庫、1973年、225頁。(Wikipediaより)

人間は考える葦である、私はそう思っています。


すごく喜びます(≧▽≦)きゃっ