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横浜の政策は、やるなぁ、と思ったし、やる気になった

MAHOさんよりお写真をお借りしました。

「#給付金をきっかけに」というコンテストがあるという。
まさに今日、給付金のお陰で走り回っていたところだった。
私は個人事業主として整体院を経営している。
横浜で有数なオシャレ商店街、に並列する弱小商店街で。
もう13年もそこで営業しているがこんなことは初めてだった。
『緊急事態宣言』『休業要請』
2月から中華街の惨状を隣で見て来た。対岸の火事ではない。
感染症の怖さは、人を触る仕事をしていればよくわかる。
これはまずい、と肌で感じていた。緊急事態宣言はむしろ当然だと思えた。
それでもお店を営業する身として、2ヶ月の休業は死活問題だった。

「持続化給付金」という救世主が現れた、と聞いた。
あれは4月の半ばだったと思う。
まだ緊急事態宣言が発表されて1週間くらいだったので、商店街仲間も、私も、春休みが来た、くらいの気分でいた。お店をやっていれば、こんなに長い連休など取れない人がほとんどだ。ちょっと浮かれているくらいだった。
給付なんて災害にあった人みたいだ、なんて思っていたけど、実際はあっていた。営業自粛をしていれば売り上げはない。売り上げが無ければ給料はない。売り上げはないのに経費の支払いはある。給料はなくてもご飯は食べる。
わかっていたつもりでいたけど、実際にお財布の中身が減っていき、通帳の数字も減っていき、増える当てがないと気が付くと、いつまで?と頭をよぎる。
『持続化給付金』
個人事業であっても100万円の給付。
嘘みたいな話だった。働いていないのに100万円もくれるの?
個人事業は誰も守ってくれないものだと思っていた。
どんな嵐が来ようと、ガタガタ震えながら過ぎ去るのを待つだけだと思っていた。
それなのに?助けてくれるの?
商店街の会でFBのグループを作って連絡網代わりにしてきた。
そこに載せた。
「持続化給付金と神奈川県の家賃補助は絶対に申請しよう。みんな、死なないで」
死なないで、とは肉体的な物だけではなく、お店、というのも含まれる。
申請はG.W中だった。
申請はしてもいつ支払われるのかわからない。
G.Wが終わった時に、緊急事態宣言延長の発表があった。
予想はしていたけれど、耐久レース感が強くなった。
1ヶ月、営業を止めて、家賃を支払った。
1ヶ月後、また同じことになる。
G.Wは稼ぎ時なのに、まるで稼げない。こんなに働かないG.Wは初めてだった。被災者感が強くなってくる。信じられない思いだった。
飲食店はなんとかテイクアウトに切り替えた。
テレビでもしきりに飲食店の応援している。
苦しいのは飲食だけじゃない、と不満の声が聞こえるようになった。
同じ街で働いてきたのに、そのお店のせいじゃないのに、不穏な空気が流れて来る。
それでも経済産業省は迅速だった。
持続化給付金はネット申請後、10日ほどで振り込まれた。
危ないところだったと思う。
お金が無いと犯罪は起きる。だから、休業と給付はセットだと叫ばれる。
それでも身近なところで起きなければ、こんなに実感しなかったと思う。
不安が疑心暗鬼を生む。
誰もそんな気持ち持ちたくない。
それをやっつけてくれたのは「持続化給付金」だった。

これであちこち正気を取り戻すのだけど、ホッとしたのもつかの間、これでいつまで耐えるんだ、と計算を始めなくてはいけなかった。
1ヶ月で100万円ではない。2ヶ月で100万円でもない。6月に入った今、3ヶ月で100万円なんだろうと思う。これは経費と給料を入れて、だ。
そして4ヶ月で100万円なんだろう、という気がしている。
どうしたって仕事の仕方を変えて行かなくてはならない。
午前中は店を閉めてアルバイトを始めた人もいる。
オンラインの講座を始めてみた人もいる。
私もこれまで書いてきた小説をnoteで売ってみたりした。
それはそれで、実店舗の衛生対策も始めなくてはならない。
イオン発生機を玄関とトイレに設置した。
アルコール消毒ジェルを購入した。
カーペットを剥がしフローリングにして水拭きしやすくした。
ひとり施術を終えたらベッドも床もアルコールで拭き上げる。
シーツも枕カバーもタオルも1回ごとに総取り換えをする。
とても洗濯が間に合わない。
1日に看れる人数は最小になる。
何処までが現実的なのか、やり切れるのか。
トライすれば出費は増える。
持続化給付金は、いつ底をつくだろうか。でもやらなければ明日はない。

『商店街における新型コロナウイルス対策』という文字を横浜市のHPでみかけた。
商店街における?
個人ではなく?
それは2つあった。
『商店街の衛生対策』『一時金の交付』
衛生対策として消毒液等の購入費用を横浜市で負担するという。
申請しない手はなかった。500mlのジェルで1,000円はするのだから。
会員数により補助額は変わるのだけど、私の居る会は30万円まで申請可能だったのだけど、昨今消毒液のお取り置きはやってくれないので、購入後申請をしなくてはいけなかった。
本当に弱小商店街なので、貯金はほとんどない。
ましてやいつ交付されるかわからないので、スッカラカンに使ってしまう訳にもいかない。
任意団体だから、申請が通らないかも、と会長は申請を渋っている。

「持続化給付金が給付されたので、私が立て替えます」
鼻息を強く吐いて、私は言っていた。
助けは来ないと思っていた時に、助けが来ると、それが大きなものでなくても、一筋の光のように思うのではないかと思った。
ちょっと頑張れる、を繰り返して年が越せるところまで行けるんじゃないかと思った。
衛生対策の申請の後に、一時金の交付の申請もある。これは一店舗に対して10万円の交付だった。商店街で一括して申請をするので、個店の申請は必要ない。これは本当に多くのお店の、とくに瀕死状態のお店の、助けになるものだった。どうしてもここにたどり着きたかった。
衛生対策を通らずに一時金の交付はあり得ない。
提出書類の量が違う。最初から一時金にかけるほど、事務仕事に慣れているわけじゃない。
10万円くらいの立て替えは、やってやる、後で返してね!の勢いだった。
ほんとにただの、勢いだった。
なのに会長は、通りの消毒も見積もって20万円くらいまでお願いしたい、と言い出した。
うちの店の持続が危うくなるだろ!と文句は言ったが、でも1/3しか申告しないで足りなくなっては元も子もないし、と思い直し20万円立て替えることにした。
こんな給付金の使い方をする奴がいるだろうか、なんて思いながら。

そして無事、本日会員の皆さんにハンドジェルを4本ずつ配ることができ、領収書をつけた申告書を提出できた。
一時金の交付の申請資料もほぼそろった。

給付金をきっかけに、ずいぶん事務仕事をしたと思う。
会員店を一軒ずつ回って、みんなの状況もわかった。
コロナ中にしては、個別に多くの人に会った。
そして日本の、神奈川の、横浜の、行政を学んだと思う。
私は、日本が、神奈川が、横浜が、好きだと思った。
あなたを助けたい、という思いが見えたからだ。
そして、私も、誰かを助けたい、と動くことになったからだ。

#給付金をきっかけに



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