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20歳になる

1月3日に成人式を終えた。しかし私の誕生日は1月8日なので、まだ少しだけ19歳である。
もうすぐ私は20歳になる。恐ろしいほど長く感じた10代がおわってしまう。
19歳はどんな年だっただろう。まだ子どもでいられただろうか。
大人になることがこわい。「18歳から成人だよ」と言われたあの日から、漠然とした怖さが背中につきまとっている。
大人ってなんなんだろう。私は、過去の私が尊敬できるような私になれるのだろうか。10代の私が侮蔑の目を向けていた大人と同じ顔になってしまったら、どうしよう。
こどもからおとなになる、というのは生まれ変わりにも近い恐怖がある。まるで違う生き物になって、私が正しいと思っていたことも、美しく思えたものも、そういった価値観がまるきり変わってしまうんじゃないかという不安。

知らないことを知るのは好きだ。この歳になって、興味のある分野の本を読んだり、調べたりすることが楽しくなった。最近は倫理学の本を読んだ。難しかったけど、知らない言葉を調べながら少しずつ読み解いていくのは国語の授業を思い出して楽しかった。あの時は「意味調べ」の時間なんていらないと思っていたけど、今になってあの時間の重要性がわかる。
だけど時には、知りたくなかったものを知る瞬間があったり、憧れは大したこと無かったりするものだ。
小さい頃は、おとなに嫌悪感なんかなかったし、むしろ大人になりたがっていたように思える。おとなはなんでも知っていて、かっこいいと思っていたから。だけどそれは違って、大人も知らないことはまだたくさんあるし、みんな取り繕ってばかりで全然かっこよくなんかないのだ。かくいう私も、見栄をはることばかり覚えてしまって、いまの私は、無邪気さを無くした無知なこどもなのである。

当たり前だが、私には少年だった時期がない。しかし私はそれを昔からコンプレックスに感じている。 
昔は当たり前に少女だった。可愛いスカートもおままごとも好きだった。だがいつからか私は男の子に憧れを持ち、可愛い服を嫌がり、膨らむ胸を嫌がり、髪は常に短くしていた。性同一性障害のようなものではなく、ただ「少年っぽく」いたかったのだ。メイクもするし、友だちは女の子の方が多いし、制服はおとなしくスカートを履いていた。成人式も、母親の希望通りの振袖を着た。本当はすこし、嫌だったけど。
「少年」という存在が自分の中に欲しかった。しかし自分が男の子の真似をすればするほど、自分の中の「女」の部分が露呈して苦しくなる。兄がいる影響もあったかもしれない。私は昔からお兄ちゃん子で、兄に憧れを持っていたから、兄になれないことが悲しかったのだ。

私がこれから「女性」に近づくこと。それが何よりも恐ろしい。年相応でいたくないと思う。少年の心を常に持っていたいと願っている。
好奇心を忘れず、本物の自然や動物たちに触れる。芸術に触れる。つまらない大人というのは、きっとこういうことを忘れてしまった人たちなのだ。
わたしはつまらなくなんてならない。大好きな絵と、音楽と、美しい自然を愛して、焦らずゆっくり、素敵な大人になりたいと思う。

汚れること が大人なんじゃなくて
優しくなることが大人だろ

oh boy/Tohji

感性が鈍くなっていく
本当はそれが何より怖い
1人で食べる昼食よりも
月曜の朝よりも

恋文は下駄箱の中/バズマザーズ

Mary Lou,
夢のような甘い口づけを大人は知らない
僕だけのMary Lou

Mary Lou/毛皮のマリーズ

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