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買う権利を、譲ろうと思ったけど、やーめた!

*この話はフィクションです。

なんで、抽選で当たったのに、朝早く並ばないといけないのよ……。

スマホのアラームを消しながら、思う。
画面に映っている4:30が霞んで見える。
隣では、息子の達也が、軽くいびきをかいている。
あわよくば、夫の大樹に、並んでもらおうと思っていたけど、仕事で帰りが遅くなったようで、布団に入った気配を感じたのが1:00だったから、さすがに頼めなかった。
布団に入ったまま、列に並ぶとか、並ばないとかの会話をしたのを、ぼんやりとだけ覚えている。

仕方ないな、達也と約束したし……。

今日は、幼稚園児や小学生に大人気のテレビアニメのゲームの発売日だった。
発売前から、ネット上では、予約の状態にも関わらず、値段が跳ね上がり、明らかに、需要と供給のバランスが崩れていた。

「ひらがなとカタカナが全部書けるようになったら、ゲーム機買ってあげる」
周りの子が小学校入学を前に、既に、簡単な漢字が書けるようになっていると聞いて焦った私は、モノで釣ってはいけないと思いながらも、やけくそ気味に、達也と約束したのだった。
全くやる気がなかったのに、よっぽど、ゲーム機が欲しかったのだろう、2ヶ月と経たないうちに、達也はひらがなとカタカナを全部覚えて書けるようになった。
親として、嬉しく誇らしいのと同時に、参ったなと思った。気軽に約束したものの、達也の欲しいゲーム機がこんなに人気とは知らなかったのだ。
しかし、約束は、約束だ。今日は、並ばないわけにはいかない。

達也と大樹が起きないように、私は、ゆっくりと布団を出て、洗面所に向かった。
顔を洗うと、ついこの前まで、ぬるかったはずなのに、水道の水が冷たく感じた。

これは、上着を着て行かないと冷えそうだな。

まだ、薄暗い、日の出前の街を、自転車で走った。
面倒くさい気持ちと、ゲームを手にした時の達也の笑顔を天秤にかけ、ようやく気持ちを盛り立てていた。
ショッピングセンターへの坂道の麓に、あちこちから、自転車の明かりが集まってきた。

親は、みんな頑張ってるな、よし。

立ち漕ぎで坂を上り切ると、はあはあと、自分の息が大袈裟に聞こえてきた。
吐く息が白い。

ほぼ同時にショッピングセンターに着いた数人が、平静を装いながらも、確実に、行動を早めて誰よりも早く並ぼうとしているのがわかった。

なんだって、抽選で当たったのに、朝早く並ばないといけないのだろうか。
起き抜けに思ったことを、また、思った。
ゲーム機の抽選があると知って、反射的に応募した後、それが「ゲーム機が当たる権利」でも「確実に買える権利」でもなく、「買うために並ぶ権利」だと知った。
“入荷数が、はっきりしないため、並んでいただいても、必ずしもご購入いただけるとは限りません”と、注意書きに、小さく書いてあった。

ママ友に聞いたところ、落選者もいたらしかった。
落選して、子どもに大泣きされたという話を聞いたら、そんな中途半端な当選でも喜ばないと、罰が当たる気がした。

それにしても、どうせ抽選するなら、「確実に買える権利」まで絞り込めばいいのに……。
そう思いながら、どうにか列の最後尾に並んだ。
私の前に、出来上がった、長蛇の列と、手のひらのスマホの画面の当せん画面を交互に見つめながら、「買えるかもしれない権利」だけでももらえただけ感謝しないといけないと思い直した。

私とほぼ同時にその列に辿り着いた、私の前に並ぶ3人家族に、なんとなく、嫌な空気を感じた。
早朝にもかかわらず、行列があったから、なんの列かわからず、偶然並んだという気配を感じたからだった。

「何の列?」
達也と同じ年くらいだろうか? 幼稚園の年長くらいの女の子が、ママと思われる上下トレーナーの前歯のない女性を見上げながら聞いていた。
「なんだろうね? なんかみんな持ってるね」
「すみませーん」
うっすらと酒の臭いがして、パパだろうか? キャップを被っている男性が、その家族の前に並んでいる男性に声を掛けた。
少し、迷惑そうに、その男性は振り返った。さっき、自転車置き場で、私以上に行動がすばやかった男性だった。
「あのーこれって何の列ですか?」
やっぱり、知らないで並んだんだ! 飲んだ帰りなのかはわからないけれど、午前5時前から、訳もなく、街をふらついている家族がいることに驚きながらも、やっぱり、とりあえず並んだのだ! という予想が当たったことは、少しだけ嬉しかった。
「ゲーム機を買うための列ですよ」
「え? ゲーム機? 何の?」
はーっとため息をひとつつきながらも、家族の前に並んでいた男性は、いい人なのだろう、なんのゲームで、それを買うためには、抽選で当たった「並ぶための権利」がないといけないことをスマホの画面を見せながら、丁寧に説明してあげていた。
「マジか!」
お礼も言わずに、キャップの男が、酒臭い息を吐きながら、落胆していた。

残念でしたね。そういうことで、あなたたちは、並んでいても買えませんよ!

心の中で、そうつぶやきながら、私が、列を詰める気満々でいると
「いーよ。いーよ」
歯抜けの女が、キャップの男の耳元で、囁いていた。

いや、よくないでしょ!
私が、また、声にならない声で、つぶやいていたら、家族の前に並んでいた男性も怪訝そうにふたりを見ていた。
すると、歯抜け女が
「あ! 思い出した! それ、応募して抽選で当たったんだった! だけど、スマホ、忘れちゃったんだわ!」
と、わざとらしくセリフのように言い出した。
明らかに、前の男性向けのフェイクに見えた。
ますます怪訝そうに見る男性に向かって
「お兄さんのおかげで、思い出せたわ。ありがとう」
と、歯抜け女は、笑ってみせた。
そして、キャップ男に
「スマホ、忘れたことにしちゃえば大丈夫! これで通そう!」
って囁いた。
「だな」

いやーダメだろ!
ふたりは、酔っているのか、前の男性ばかり気にして、私の存在を完全に無視していた。なめられているようで腹立たしかったから、軽く咳払いしてみたけれど、全く気にしてないようで、余計に、嫌な気持ちになった。

それからの2時間が苦痛だった。
目の前の家族が、不正をしようとしている。
私は、それを、言うべきだろうか? 誰に? 係の人だろうか? いつ? 今? それとも、順番が来た時?
頭の中を、クエスチョンマークがぐるぐる回った。
順番が来た時、さすがに、係の人は、不正を見破るだろうな。いや、だけど、もし見逃したら?
潤沢に、ゲーム機があるのなら、それはそれでいい気もするし、それでも、許しちゃいけない行為だという気もするし……。
そんなことを考えていたら、持ってきた本の活字がまったく頭の中に入って行かなかった。
この情報を共有しているはずの、家族の前の男性は、自分の後ろの順番の人のことだからか、もう割り切ったようで、いっさい後ろを振り返るはことなかった。
あの家族は、酒の臭いを相変わらず漂わせながら、敷物もないのに、地べたに寝転がり、鞄を枕にいびきを立てて寝ていた。
その姿を見ていることも腹立たしかった。

眠気と、モヤモヤした気持ちのせいで、私にとって、実に不愉快な時間だった。

時計が7時少し前になると、座っていた人も敷物を畳みだし、俄かに、行列に動きがあった。
あの家族たちも、変化に気づいたらしく、まずは、歯抜け女が起きて、キャップ男と女の子を起こした。
寝たままだったら、列が動いたら、抜かしてしまおうと思っていた私の中の意地悪な心が悔しがった。

「おはようございます。これから、整理券を配りますので、お手元にスマホの当せん画面、もしくは、プリントした紙をお持ちください」
ハンドマイクを使って、行列に沿って、そろそろと後ろに進んできた、係らしき人は、見るからに気弱そうな若い男性だった。
この人に、あの家族を裁けるだろうか? 不安がよぎった。
「ねえ、お兄さん、ゲーム機って何台あるの?」
私より、10人くらい前の男性が、係の人に聞いていた。
「はい。200台です。あ、違ったかな? 120台かもしれません」
「あのさ、正確に教えてくれなきゃ、困るんだよ。これだけさ、人が並んでるでしょ? はっきりしてよ」
イライラが、声に乗って、その場に、一瞬、緊張が走った。
確かに、そうだ。
120台と200台じゃ、全然違う。
「すみません」
係の人は、小走りに、先頭に向かって戻り始めて、建物の入り口の中に吸い込まれるようにいなくなった。
実際、私は何番目だろう? あんなに時間があったのに、前の家族に気を取られて、自分が何番目に並んだのか、数えるのを忘れていたことを悔いた。

あ、それに、スマホを準備しないと!
ガサゴソと鞄の中からスマホを取り出すと
「おはよー! おつかれー!」
と、大樹からLINEが入っていた。
ああ、疲れました……。
そう思いながら、それを打つのもなんだかなと思い、とりあえず、LINEを画面から消して、もう一度、当せん画面を表示させたときに、ハッとした。
スマホの電池が、後、5%だったのだ!
あ、そうか! 充電し忘れたんだった!
もっと早くから気がついて、電源を切っておけばよかった!
あと、5%で、順番までもつだろうか?
とりあえず、急いで電源を落とした。

係の人が小走りで戻ってきて、さっき質問した男性に小さな声で
「……台です」
と、伝えていた。
「あ、そう」
え? どっち? 120台? 200台? それは、ハンドマイクで言おうよ!
イライラした。
「あ、そう」って引き下がったってことは、多めの200台かな?
そんな予測をしながらも、スマホの5%の方が気になった。
もしも、スマホの電池が切れてしまったら、前の家族のことを責められない。
スマホ忘れと、スマホの電池切れ。言い張った場合、真実を知らない人にとっては同じようなことだ。
ああ、電池よ、もってくれ。
とりあえず、今は、5%あるけれど、スマホの起動にもおそらく電池が必要なはずだ、ここは慎重にしないと……。

ようやく、前の方から、スマホや紙を確認して、整理券が配られ始めた。
私の5人前辺りに係の人が来た時に、スマホを起動し始めたら、ちょうどいいだろうか?
そう思って、そのタイミングで、電源を入れた。

あの家族の前の男性まではスムーズだった。
電池は4%に減ったけれど、間に合うはずだった。
それなのに、
「あの、スマホを忘れちゃったんですよ」
歯抜け女が言った。
ああ、そうだった!
この家族は、時間がかかりそうな案件だった!
スマホの電池の少なさに動揺し、そのことをすっかり忘れてしまっていた自分を責めた。
「画面を見せていただかないと、ダメなんです」
「本当なんですよ」
「いえ、決まりなんで」
気弱そうに見えて、意外に、頑張っている。
「そう言わずに! お兄さん!」
歯抜け女も譲らない。
ああ、もう、2%になってしまった。
「おい! いい加減にしろよ。たくさん人が待ってるだろ!」
私の後ろの年配の男性がそう言ってくれた。あ、1%。
「そういうワケなんで、すみません」
係の人は、渡りに船といった感じで、私のところに来た。
「あ、はい、これ」
そう言って、私が画面を見せようとした瞬間、スマホは真っ黒になった。
「あ」
係の人は、小さく言った。
おそらく、係の人も、画面が消えそうになったところは、見ていたはずだった。
普通だったら、許される状況だったはずだけど、まだ、さっきの家族が恨めしそうに、係の人を見ていたので、杓子定規になるしかなかったのだろう。申し訳なさそうに
「あの……やはり、スマホの画面が確認できないと……すみませんが」
と言ったのだ。
「え、そんな……」
泣きそうな私と、申し訳なさそうな係の人。
その時、突然、私の脳裏に、笑顔の達也と紙を持った大樹が思い浮かんだ。
「あ。ちょっと待ってください」
鞄の外ポケットを探すと、メールをプリントアウトした紙が出て来た。
大樹が寝しなに、
「もしものために、一応、持って行きな」
と用意してくれたんだった。思い出せてよかった。
「すみません。これでもいいですよね?」
「はい、これなら大丈夫です」
ホッとしたのか、係の人も、笑顔でそう言って、整理券を渡してくれた。
129番だった。
ゲーム機と、それに使える、メダルが5個買える整理券だった。
ただ、恨めしそうな、家族の視線だけは、手元に感じて、悪いことしているわけでもないのに、なんだか、居心地が悪かった。

整理券をもらって、人が散り散りになった。
壁際を見ると、あの家族がいた。
女の子が泣いていた。
「どうして、あのおばちゃんが大丈夫で、ママはダメだったの?」
トラブルの内容がわからなかった女の子が、歯抜け女に聞いていた。
「なんでだろうね?」
そうか、自分たちが不正を働いたことは隠していたいんだな。
私は、自分が、整理券を手にしたことで少し、寛容になっていることに気がついた。人に同情するのは、あまりよくないとは思いながら、私は、明らかに、あの家族に同情していた。
行列に並んだままの心境なら、非を認めない親に対して、怒りを感じていたはずだけれど、その時、私は、メダルを1個なら譲ってもいいかもしれないとさえ思っていた。
ゲーム機がなかったら、あまり面白くないかもしれないけれど、メダルだけでも、あったら少しはあの女の子の気持ちが落ち着くかもしれないと思ったからだった。
私は、その家族に近づいて言って、話しかけようと思った。
しかし、次のキャップ男の言葉を聞いて、状況は変わった。
「ママは可愛いから整理券もらえなかったけど、あのおばちゃんは、そうじゃないから、可哀そうだから、整理券もらえたんだよ」
なんだ、それ! 嘘つくなよ!
可愛いとか、可愛くないとか関係ないけどさ! いや、関係ある!
私の、メダルを1個譲る気なんか、一気にどっかに消え失せた。
「買う権利を、譲ろうと思ったけど、やーめた!」
小さく、そうつぶやいて、くるっと後ろを振り向くと、その家族を背に、私は歩き出した。



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