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私の人生の目的は、結果ではなく、「自分で選択していく」というプロセスを味わうことなのかもしれない

私の使命はなんだろう?

ずっと気になっていた。
ずっと迷っていた。
ずっとわからなかった。

そんな私が、もしかしたら、こういうことだったのかもしれないと昨日思えたことを、今日は書きたいと思う。

スピリチュアルな内容でもあるので、もし、そういうの苦手という人はスルーをお願いします!

さて。

「一旗揚げたい」
気がついたらそんな言葉を密かに言っていた私が、「一旗揚げる」という意味が「事業を起こす」という意味だと知ったのはつい最近のことだった。

一旗揚げる……ではないな。
意味を知ると、別に事業を起こしたいわけではないなと思った。
だけど、何かこの人生で成し遂げたい。それなのに、何もできていない。

もう数年経てば50歳だというのに、「これをしました!」「これをやっています!」と言えるわかりやすい成果が何もないことに焦りも感じていた。

とは言え、本当に何もしていないのか? というとそういうわけではない。
短大を卒業後、銀行に就職し10年以上勤めたし、いくつかの資格も取って、子宝にも恵まれて子育てもしている。
特別、裕福ではないけれど、生活に困っているわけではなく、家族の仲も良く、幸せも感じている。

ありがたい。
そう、ありがたい状況なのだ。
だけど、なぜか、焦りがある。
何か成し遂げなければならない。
だけど、それが何なのかわからない。
誰か正解を教えて欲しい。
そんな気持ちなのであった。

この半年間、私は知り合いのヒプノセラピストの方に、縁あってマンツーマンでセッションをお願いした。
目標は「自分軸になること」と「どんな自分も愛せるようになる」というものだった……と思う。
明確な目的をすでに忘れてしまっているけれど、直感で、今、自己探求をするべき時なのではないか? 自己探求をしたい! そんな思いでスタートした。

ヒプノセラピーというと、私にとって印象があったのは「前世療法」だった。
だからぜひそれは半年の中でやってみたい! と思っていたのだけれど、セラピストの彼女と会うといつも、その時感じている思いや、日常のモヤモヤなどから話し始めてしまい、肝心のヒプノセラピーの時間は、当初思っているよりも少なかった。
それは、予想とは違っていたけれど、おそらく、その雑談とも言える私の話は、自分を知るために必要な時間だったのだと思う。
現に、私の話をじっとセラピストの彼女に聞いてもらう時間は、とても楽しくあっという間だったし、話している最中にたくさん気づきがあり、とても癒された。
もちろん、そういった話ばかりではなく、「胎児退行セラピー」で母のお腹の中や中間生(生まれる前の雲の上のイメージ)に戻ったり、幼い自分に会ったり、最後のセッションでは、前世の自分とも会えることができた。

で、その前世の自分と会えたことから、昨日、とてもすごい気づきがもらえたのだ。

前世の自分はなんと、飛脚だった!
私がイメージしたのは30歳くらいの健脚な男性だった。
飛脚と言ったけれど、もしかすると、下級武士かもしれない。
とにかく信書を届ける人だった感じだ。
彼は、とても、真面目で誠実で堅実な人だった印象だった。
大きな波風がある人生ではなく、一家の大黒柱として大往生していた。
自分が、自分の決められた使命を全うし満足して亡くなっていた感じだった。

私はある意味とても羨ましかった。
何が羨ましかったかというと、しっかりと自分の使命を理解し、それを全うしていたこと。そして人生に満足していたことがとても羨ましかったのだ。

けれども、彼と話したら、「もし自由にやることを決めることができていたらどんな人生だったのだろう? とも思う」と言っていたのだ。
別に、不満はないけれど、もしも選べたら、どうだったのか? ということだけが気になっているということだったのだ。

もしかすると、それが、今の私の課題なのかもしれない。
なんかそんな気がしたのだ。

私は、マニュアルがある作業や、試験勉強がとても好きだし、得意でもある。
しかし、答えのない作業や状況にめっぽう弱い。
「ゼロをイチにする」こともすごく苦手だ。

だけど、もし、それが今世の課題だったとしたら?
魂のレベルアップのための課題だったとしたら?

そう考えると合点が行く。

私の人生の前半、30代前半まではいわゆる「正解」のある問題に取り組むことが多かった。
唯一、答えのないもので、自分の勘で決めたのは結婚相手だった。
今の旦那だ。
今現在、それはとても良い選択だと思っている。

しかし、その結婚相手でさえ、旦那と出会う前は「誰か、この人なら間違いないという人を連れてくるか、あるいは、決めてくれないかな?」という考えが脳をかすめたことは一度や二度ではなかった。

運よく、旦那と出会えて、結婚できたのだけど、やはり、自分で自由に考えることは苦手だった。

30代前半までは、学校の勉強や銀行のマニュアルなどに沿って目の前のタスクをこなしていればよかったので、ある意味楽だった。

しかし、旦那と結婚し、息子が生まれ、大きな壁にぶつかった。
子育てという壁である。
子育てに正解はないのだと知った時の衝撃はとても大きかった。
育児書通りに育てればいいのだと勘違いしていたのだ。

不安だったけれど、どうにか乗り越え、今、曲がりなりにも子育てを続けている。
正解なのかどうか? 迷うことも、息子が11歳になろうとしている今もたくさんあるけれど、それでも、目の前の我が子のことを考えて行動してきて、少しずつ自分の選択が信じられるようになってきた気もする。

それでも、やはり、多くの中の選択肢から選ぶことは苦手だ。
苦手なくせに、選択肢を狭めることも怖いのだ。
いつまでも、どれでも選べるようにしておきたい気持ちがあって、50歳を目前にして、未だにモラトリアムな心情だ。

だけど、もういい加減、決めなければならないと思っている。
ただ、一つに絞らなくてもいいのかな? って思ってもいる。

幸か不幸か、慎重なくせに、とても好奇心が旺盛なところが私にはあって、野心もあったりする。
面倒くさいやつなのだ。

昨日の前世療法の「恐れを超えて自由選択をする生き方」というミッション、という気づきの他に、もう一つ、大切な気づきをこの半年間でいただいた。

それは「さまざま感情を味わうために生まれたきたのだ」というメッセージをもらったことだ。

ということは……私は、何か大きなことを成し遂げなければならないと思っていたのだけれど、そうではなくて、この今の迷いこそが人生の目的というかその過程なのではないのか? ということかもしれないのだ。

自由選択をするということは責任もあることでもあり、また、唯一の正解はないのだ、ということなのだ。
だから、選んだ道を「選んでよかった」と思えるようにする。
つまり、どんな道を選んでもそれを自分なりに良い方向に捉えればいい!
さらに、その平坦ではないかもしれない道を進む中で、さまざまな感情を味わう、その過程こそが、醍醐味なのかもしれない。

私の人生の目的は、結果ではなく、「自分で選択していく」というプロセスを味わうことなのかもしれない!

なんだか、狐につままれたような気さえする。
なーんだ、そんなことか、とも言える。
だけど、私にとっては大きな気づきだった。

何かミッションが欲しかった。
それはもしかすると、その方が楽だったからだ。
だけど、それがないのかもしれないとしたら、腹をくくって決めるしかない。

決めるということ、選ぶということが怖いのは、今までやったことがないからなのかもしれない。
だから、だからこそ、恐れやモヤモヤや不安やいろんな感情が湧くけれど、それをも味わい、願わくば、楽しみ、選択して行こう!
もし、違った、と気づいたら、その時はその時で、悠々と変えてしまえばいいのかもしれない。

そんなことを、この半年間かけて知ることができたんだなって思うと、なんか笑えてくるし、これこそ、探していた青い鳥がやっと見つかった気もするけれど、もう少し気楽に今を楽しみながら生きてみたいと、今、思っている。

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