今日の日めくり 3月11日
今日の一言は、
「得難きは時、会い難きは友」
えがたきはとき、あいがたきはとも
【意味 】
よい機会をつかむのは難しく、よい友に出会うのは難しい。
【由来】
世阿弥 作 謡曲「西行桜」(さいぎょうざくら)
老桜の精のことば
「惜しむべし惜しむべし。得がたきは時、逢いがたきは友」
words 目にしたコトバの記録より
「西行桜」あらすじ
浮世を嫌い山に住んでいる西行という人がいます。
毎年、都からはるばる、この山の桜を見に来る人々がいます。
西行は「こんな山陰まで来られた志は実に風雅ですが、花だけを友とする世捨て人には、少々心外です」と言って、一首の歌を詠みました。
花見にと群れつつ人の来るのみぞ
あたら桜の科にはありける
(花見に大勢の人が来ることだけが、惜しむべき桜の欠点だ。)
その夜のこと、西行の夢に老桜の精が現れます。
老桜の精「あなたは浮世を嫌って山に住んでいるのに、人々が集まるのが煩わしいというのは、人の心次第。無心の草木に罪はありません」
西行「まことに道理です。さてはあなたは花の精ですか」
老桜の精「物言わぬ草木ですが、罪が無い訳をお話しするため現れました」
2人は都の花の名所の話をして、真の友と思える時間を過ごしました。
やがて、時報の鼓や鐘の響きが、夜明けが近いことを告げます。
老桜の精は西行と会えたことを喜び、時の過ぎ去るのを惜しみ、静かに舞い言いました。
「得難きは時、逢い難きは友。春宵一刻値千金、花に清香、月に影」
よい機会をつかむのは難しく、よい友に出会うのは難しい。
この春の夜の一時は千金に値する、花は香り高く、月は穏やかに光っている。
*「影」は光の意味だそうです。
世阿弥(ぜあみ)
室町時代初期の申楽師。
父の観阿弥(觀阿彌陀佛)とともに申楽(猿楽とも。現在の能また歌舞伎の祖形ともいう)を大成し、多くの書を残す。
幼名は鬼夜叉(おにやしゃ)
昔の人の幼名って、すごい名前ですね。
オマケで調べた幼名について。
幼名(ようめい、ようみょう)
主に平安時代から江戸時代にかけて、武士や貴族の子が生まれてから幼児である期間につけられる名前のこと。
一般的には、成人にあたる「元服(げんぷく)」まで、この幼名が使われました。
次に元服すると、「諱(いみな)」が与えられます。
諱は、実名、本名のことです。
ここでの諱とは「忌み名」という意味合いをもっており、生前に実名を口に出すこと、人前で明かすことは禁忌とされていました。
つまり通常は、本名ではありませんが仮の下の名前として「通称」を使っていたようです。
明治維新で戸籍制度が発足すると、出生時の名を改めることが困難となり、幼名の文化がなくなりました。
西行桜、なんだかちょっと切ない話です。
真の友と会えたと思ったら、たった一晩の夢とは。
よい機会をつかむのは難しく、よい友に出会うのは難しい。
よい機会は、自分で引き寄せるもの、運命的なものもあるのかな、と感じます。
一緒にいて楽しいことはもちろんのことですが、よい友は、自分の行動や考え方が間違えていたら、教えてくれる人ですね。
老桜の精が「草木に罪はない」と西行を諭したように。
よい機会が訪れ、よい友に出会えたならば、そのチャンスを逃さずに、交流を続けていきたいです。
この春の夜の一時は千金に値する、花は香り高く、月は穏やかに光っている。
友だちではなく、運命の恋人と出会ったかのような情景ですね。
現代的に言ったら、キャンプファイヤーを囲んで、踊ったり、しっとりと語り明かす夜、な感じでしょうか?
*
思い出に残る林間学校、修学旅行、卒業旅行の夜ってみなさんはありますか?
私は修学旅行運がなくて、先輩、後輩の学年はキレイなホテルだったり、飛行機に乗ったりするのに、中学も高校も、なぜか自分の学年は新幹線とバス。昔ながらの大部屋でした。
でも、振り返れば、大部屋伝統の枕投げをできたし、普段は地味目な女子が集まり、ケバケバしい化粧をしてみたり、今でも思い出せる楽しい夜でした。
その時の友だちは県外に行ってしまったり、進路がまるっきり違うので、交流がなくなってしまいましたが💦
他にも、独身のときは、夜中に目的もなくドライブしながら、何時間も友人と語り合ったものです。
西行桜の老桜の精と西行の出会いも、忘れられないものだったんだろうな。
同じ景色も、誰と見るかで印象が違いますね。
今日の二十八宿は「角(かく)」です。
最近、記事を書くのに精一杯でコメントにお返事してなくて、自分の中でものすごくモヤモヤしています🙇♀️
記事読みたいし、コメント返したいけど、ことわざの意味が日により調べるのが大変で。
そして眠い。
今日は昼間に記事を書いたので、夜にみなさまのコメントにお返事したいです!
東日本大震災の記事はまた別に書きたいと思います。
亡くなられた方々に、心からの哀悼の誠を捧げます。
家族を亡くしたわけではない私でも、大切な人の死との向き合い方、これからをどう生きるかを見つめさせられる出来事でした。
明日が当たり前に来ると思わず、大切に一日を過ごしたいです。
みなさまの変わらぬ平和が続きますように🍀