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『君の不幸が消えないならば、世界をひっくり返すまで。』第17話(改訂版)

第17話「本心」

「”風車の歌”で、朝霧の呪いを解けるかもしれないってこと!?」
ぱあっ、と顔を輝かせる小緑とは対照的に、小夜の表情は暗かった。
「……ねえさま?」
小緑がそっと声をかけると、小夜は苦しげに口を開く。
「……その可能性は、大いにあるわ。それはわかっているの。
私も微力ながら霊力を持つ身として何か、感じるものがあるから……。
……でも、もしそうなら、これからあなたは、呪いを解きに朝霧のお屋敷へ行かなくちゃいけない……!!」
あやめはひゅっと息を呑んだ。……戦いの場にこんなに小さな少女が赴くことがいかに恐ろしい話であるか、想像に難くない。
そしてそれは、次郎丸の願いを無碍にすることでもある。
小緑もそのことに思い至ったようだったが、逡巡したのは一瞬だった。
「それでも、あたしは行きたい」
「小緑……!?」
周囲の女性陣がざわめいた。口々に反対の声が聞こえるが、それでも小緑の瞳の中にある決意は揺らがないようだった。
「……あたし、今朝次郎丸にいちゃんが出て行ってから、言われたことをずっと思い返してた」
少し俯きがちになりながら、小緑が言葉を振り絞る。
「家族みたいに想ってくれてるって知って、嬉しかった。
でも、それなのに、お前たちは生きて幸せになってくれって言われて、そこににいちゃんはいないんだと思ったら、すごく辛かった……っ」
その声が涙に濡れ始める。その悲しみがひしひしと伝わってきて、あやめは胸が苦しくなった。
「にいちゃんがいなきゃ、あたしはもう、幸せになんかなれないのに!!」
その叫びに、小夜の瞳がぐらりと揺れたのが見えた。
無意識なのか、胸元をぎゅっと押さえて、はくはくと息をする小夜の心が痛いほど伝わってきて、あやめは泣きたくなる。
(小夜さんだって、同じことを思ってる筈だもの……!!)
想い人が今朝突然、死と隣り合わせの場所に戦いに出ると言って。
その覚悟の大きさに、止めることもできず、かといって彼の想いを知ってしまっては、付いて行くと言うことすらできず。

それでも、泣いて縋り付きたかったはずなのだ。
私も連れて行ってと、言いたかったはずなのだ。
それを封じ込めて、ただただひたすら耐えていた小夜にとって、小緑のその叫びは、小夜自身の心の叫びそのままなのだ。

やがて、小夜は、震える声で口を開いた。
「……小緑だけをそんな危険な場所に行かせなんてしないわ。私も行きます」
「小夜様……!!」
周囲から悲鳴に近い声が聞こえる。小夜は彼らに向かって、小さく微笑んでみせた。
「小緑の言葉で、自分の心と向き合えました。
……私は、次郎丸さんに助けられたあの日からずっと、お側にいてお役に立ちたいと願って生きてきたんです。
たとえそれで死ぬとしても、それで良かった」
小緑が涙でぐしゃぐしゃな表情のまま、顔を上げる。
小夜はそんな小緑を、ぎゅうと力強く抱きしめた。
「ありがとう、小緑。……そしてごめんなさい。
私が力がないばかりに、あなたを危険に晒してしまう……」
「ねえさま……」
小緑が、小夜の背中に手を回して抱きしめ返す。
「あたしは大丈夫。むしろ嬉しいくらいなんだよ。
ずっと、ねえさまとにいちゃんの役に立ちたかったから。
ようやく、それができるんだ……!!」
「小緑……!!」
ぎゅうぎゅうと抱きしめ合いながら、二人は泣きじゃくる。

あやめも涙をこぼした。二人の覚悟は、あやめの一族の罪の一つだ。
こんな風に涙をこぼしてきた人が、この千年の間にどれだけいたのだろう。
あやめ一人ではとても償いきれない数の悲しみや苦しみが、世界にどれだけ満ちているのだろう。
でも、あやめはここにいる。千年前に何が起きたのかを、こうして目の前で見つめている。
それが、世界を変える力になるといい。
いや、そうならなければいけない。
あやめが何度目かもわからない決意を振り返ったとき、小夜の言葉が耳に届いた。
「小緑、覚えておいて。私たちは血が繋がっていなくても家族よ。
私は大切なあなたと次郎丸さんのために、命をかけるわ。
もしこれから進む道が地獄でも、私はずっとずっと、一緒にいるからね」

家族。
家族ってそういうものなのか、とあやめは思う。
(……そんなこと、考えたこともなかった)
父も祖母も、優しかった母を死に追いやった人間だ。あやめが心底嫌いな、家族だと思いたくないような人たちだ。
小夜と小緑、そして次郎丸の言う家族というのは、普通よりもだいぶ重みがあるものだとは思うけれど。
一緒にいることが幸せで、互いのために命すらかける、そんな存在を彼らは得ている。
(……いいなぁ)
あたしにも、そんな”家族”がいたらよかった。
(あたしにはもう、小夜さんたちみたいな固い絆は、誰とも結べないだろうな)
あやめは、これから世界を変えるから。
もう二度とそれを得ることなど出来はしないのだ。


日は随分と西に落ちている。
もう少しで、夕闇が迫り来る。

元貴族の姫が落ちぶれて、この近くに住んでいるという噂を聞いたのは、ちょうど去年の今頃だった。
貴族といえば、俺たち下々の民を見下している印象がまず先に出てくる。
だから、俺よりももっと冷静に物事を見るきらいがあった兄者や弟の三郎丸は、それを聞いて真っ先に嫌そうな顔をしたのだ。
ーーー生きてきた環境が違いすぎるから、話が通じる相手ではないかもしれない。
ーーー見下してた俺たちと同じ環境になったなんて……、そいつからすれば屈辱かもしれない。下手に関わると危ないよ、兄者。
そう言われはしたのだけれど。
三兄弟の中で最も向こうみずで頭が少し足りない俺は、それだけで様子を見ていていいのかと、後のことなど特に何も考えずにその女の居所へ向かった。
もし見下すようなことを言われりゃ、文句の一つでも返してやろうと意気込んで。
崩れかけたその庵の縁側に、小夜は座り込んでいた。
後から分かったことだが、家族を病で”不幸にも”喪った悲しみと栄養不足で立てもしなくなり、草が伸び放題になった庭を見ながら、自分にも迫り来る死を静かに待っていたらしい。
露のようなその儚い命を前にして、俺は気づけば小夜を抱えてその場を後にしていた。
どうして助けるんですか、とか細い声で聞いた小夜に、俺は必死に走りながら大声で返したのを覚えている。
馬鹿かお前、目の前で死にかけてる奴を放ってなんざおけるか、と。
そんなこんなで噂の姫君を連れ帰った俺を見て、兄弟たちが揃って頭を抱えていたのをよく覚えている。
それでも、一度助けたのだから、と食事を集めてくれたし、やがてすぐに二人とも小夜と打ち解けた。
むしろ謝っていたらしい。貴族というだけで警戒してすまなかった、と。
まぁそれは、小夜が誰とでも分け隔てなく接する稀有な姫君だったのが大きかったのだが。

「お頭、良かったんですか」
日が沈み、少しずつ暗くなっていく空の下、朝霧の屋敷に近い山中で、男衆のうちの一人が次郎丸にそっと声をかけてきた。
「何がだ」
「小夜様のことですよ」
もう少ししたら屋敷に火矢を放つという緊張感に、その名前の響きはあまりにも似つかわしくないな、と次郎丸は思う。
「お前、この中にあいつがいていいと思うのか」
「まさか、思いませんよ。……でも、だからってああも強引に離れてきて良かったんですか」
先日大人の仲間入りをしたばかりの、まだあどけない彼はそう言った。
「小夜様はお頭に何かあったら、幸せになんかなれませんよ」
「なるさ」
次郎丸の声は、有無を言わせぬ響きがあった。
「朝霧の当主を討ち取って呪いを解けば、あいつらが奪われた幸福はみんな帰ってくるんだからな」
「それでも……」
なおも言い募ろうとした彼を手で制し、次郎丸は言った。
「これ以上は俺と小夜の問題だ。まだまだガキのお前が入って来ていい話じゃねぇよ。
……そら、月が昇ってきた。突入の準備をして来な」
そう指示を出せば、青年は困ったように次郎丸を見て……、自分の配置へと戻っていった。

次郎丸はふ、と自嘲する。……確かに事の発端は兄の死だ。けれどその奥には、小夜や小緑を不幸により失う恐れが確かにある。そんな恐怖を抱えて生きていくより、自分の命が果てたとて何とか呪いを解ければいいと思っている。結局は身勝手なのだと、自分でも思う。
こんなにも頭目には相応しくない思考回路の次郎丸に、それでも男衆は皆付いて来てしまった。
一人ひとりに、お前たちは来なくていいと言ったけれど、存外頑固な彼らは揃って首を横に振った。

ーーー太郎丸のお頭には世話になりました。俺にも仇を討たせてください。
ーーー朝霧の呪いのせいで、身重の妻に何かあったらと思うと、恐ろしくて仕方ねぇんです。
ーーー俺たちはもう、これ以上の不幸は耐えられやしません。
ーーーどうせ不幸で死ぬくらいなら、朝霧に少しでも打撃を与えて死にたいんです。

皆、追い詰められていた。
頭の回る太郎丸も三郎丸ももういない。彼らを止める術を次郎丸は持っていない。
男衆たちの思いが、痛いほど理解できてしまうから。
ここまで彼らを追い詰めた朝霧に対して沸いた怒りも、すぅ、と迫る夕闇の中に消えてしまいそうで、次郎丸は焦る。
(今日を逃せば、間違いなく俺たちは朝霧の思うがままだ)
どうせ朝霧は俺たちが刃向かうことなどできないと踏んでいるのだろうが、どんなに奴らへの怒りを忘れさせられようとも、怒りは無限に湧き出してくる。……大切な者たちを失う恐怖も。
それらをかき集めて、一矢報いなければ、現状は永遠にこのままだ。

分かっている、けれど。

ーーー小夜様はお頭に何かあったら、幸せになんかなれませんよ。
さっきの青年の言葉が蘇る。
そうなのかもしれない。次郎丸自身がそうだからだ。
もし小夜や小緑に何かあったら、自分は幸せになれないと分かっている。
ーーー次郎丸さん、私は、あなたのことが……っ!
別れ際に聞いた小夜の叫びを思い出して、次郎丸は静かに瞳を閉じた。
(あぁ……俺はこんなにも、この世に未練たらたらだ)
それなのにあまりにも身勝手だ。
よく分かっている。兄弟にお前の弱点はそれだとずっと言われて来たのだから。
それでも、もう次郎丸は止まらない。止まり方がわからない。
兄弟の死を弔うために。
大切な存在が、少しでも幸せに生きていけるようにするために。
こうするしかないと、思ってしまっている。

両の瞳を静かに開く。
夜の帳が降りてくる。
満月が山から顔を出す。
新月であれば、闇に紛れて戦えたのに、”運が悪い”な、と次郎丸は思う。
それでも、もうこうするしかない。
この理不尽を、忘れる前に。

「放て!!」
次郎丸の声に、朝霧の屋敷全体を覆うように火矢が放たれた。

(続く)

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