『君の不幸が消えないならば、世界をひっくり返すまで。』第11話
第11話「連鎖」
はっ、と目を覚ましたと同時に、あやめの目に飛び込んできたのは、夥しい数の古文書だった。
古びた本の匂い、薄暗い室内。
朧達のいた過去の世界に呼ばれる前にいた倉に、あやめは座り込んでいたのだった。
「え……!?」
あやめは慌てて周りを見回した。間違いない。自分の家の倉だ。
(元の世界に、戻ってきちゃった……!?)
勾玉が光ったのは、あやめの願いに反応したからではなく、あやめを元の世界へ戻すためだったのだろうか?
そう考えながら立ち上がった瞬間、どさり、と音を立てて何かが落ちた。
「あ……!!」
ごろごろと転がり、その中身を見せていくのは、この世界にあやめの意識があった時点で読んでいた、朝霧家の巻物だった。
(やばい……!!)
あやめはさっと青ざめた。あやめにとっては嫌なものだが、それでも千年の歴史がある書物なのだ。破けでもしたら大きな損失になる。
それに……、とあやめは思う。
(朝霧家が元々どんな呪いをかけていたのか、それを破ろうとした東一族に何をしたのかは、きっと書いてあるはず)
慌てて巻物をそっと拾い、損傷がないか確認しようとして……、ふと、目に飛び込んできた文字に、あやめは固まった。
『朧』
「えっ……」
咄嗟に目が、前後の文字を追って、文章を読み解いていく。
『陰陽師見習いとして我ら一族に仕えていた青年・朧、朝霧に牙を向いた大罪人達の頭・次郎丸を逃した罪で斬首』
斬首。
目の前が真っ暗になったような気がした。
先ほどまでいた世界で、朧が話していたことを思い出す。
ーーー”とある事件”が一区切りするたびに、勾玉が光り、俺はまた同じ顛末を繰り返し見ることになるんです。
(まさか……)
その一区切りが、”朧が殺されること”だとしたら。
ぞっと、悪寒が駆け巡っていく。
それなら、辻褄が合ってしまう。
(だとしたら、朧さんは……何十回も何百回も、数え切れないくらい殺されてきたの……!?)
想像するだけで恐ろしいのに……、殺される本人はどんな気持ちだっただろう。
ーーー俺はこの身体を自らの意思で動かせるようになった今も、事件の結末を変えることができず、ひたすらに時を繰り返している。
あの声に、表情に、どれだけの恐怖と絶望が隠れていたのだろう。
(あたしが、変えなきゃ……!!何としても!!)
そうでなければ、これからも朧は繰り返してしまう。
現実世界で不幸な茅早と、現実では意識不明、呼ばれた先の世界では殺され続ける朧。
あまりにも酷すぎる、とあやめは思った。どれだけ朝霧が罪深いか、まざまざと思い知らされた。
けれど、何故かあの世界にあやめも呼ばれたから。
先程までは、何回繰り返してでも世界を変えてみせる、と思っていたけれど。
(これ以上、朧さんを苦しませるわけにはいかない……なるべく早く終わらせなきゃ!!)
あやめが朝霧家の人間だと知らないからとはいえ、あんなにも優しく接してくれた朧の力になりたかった。
そこで、はたと気づく。
(待って……朧さんって、あの世界に生きている人の体に魂が入り込めた、みたいな事を言ってたけど……)
その、入り込めた身体も朧だった、ということか。
そう言えば美鈴も、美鈴が仕えていたあの感じの悪い姫君も、彼を”朧”と呼んでいた。
あやめはもう一度、巻物に書かれた文字に目を落とす。
(敵方のはずの東一族の始祖を逃がしている事からして……、ここに書いてある『朧』は朧さんな気がする)
同姓同名の人物がいるとも考えにくいし、何より自分の百発百中の勘がそう感じている。
(朧さん……、噯にも出さなかった……)
殺されながら、何度も繰り返していることを。
彼は一人で背負うつもりで、あの世界を生きているのだ。……そこまで考えて、あやめはハッとした。
(このこと、美鈴さんは知らないんじゃ……!?)
話を聞くに、時を繰り返しているのは朧だけ。
つまり朧が語らなければ、美鈴は彼がどうなるかを知らないということになる。
美鈴は朧のことを信頼して……、いや、きっとそれ以上の感情を抱いているように見えるのに。
美鈴も朝霧の屋敷に仕えている人間として、朧が殺される所を見たのではないだろうか。……大切な人が目の前で死ぬ、そんな恐ろしい瞬間を。
あやめは震える手で、巻物の続きを広げた。美鈴がどうなったのか、きっと書いてあると思ったから。
果たしてその過去は、あまりにも淡々と綴られていた。
『罪人・朧の斬首後、我が孫・冴子に仕えていた女房の一人・美鈴が出奔、二日後に遺体が発見される。川に身を投げたかと思われる』
あまりの衝撃に、あやめの頭は真っ白になった。
(美鈴さん……!)
魂の存在として現れたあやめを不審がることなく、優しい微笑みで安心させてくれて、朧の元へと案内してくれた人。
そんな彼女には酷すぎる最期だ。
(朧さんは、このことを知らないんだ……!!)
知っていれば、美鈴と関わること自体を避けている筈だ。
美鈴が傷つかないように、美鈴が朧が死んだとて、哀れんだりしなくて済むように。
心優しい朧なら、きっとそうする筈なのに、そうしていないということは、彼自身がこの結末を知らないということになる。
(酷すぎる……!みんな、あまりにも不幸だ……!!)
茅早も朧も、そして美鈴も。
あやめに温かい言葉をかけてくれた、あやめが大切にしたい人達は皆、これ以上ないと思えるほど不幸すぎる。
これほどまでの事実を、果たして自分は、覆すことができるのだろうか?
一瞬、不安が首をもたげて……、あやめはそれを打ち消すために、自分の両頬を両手でぱしりと叩いた。
(やるしかない。だって……あたしにしかできない!)
何をやっても運がいい自分なら。
茅早の不幸を回避できた自分なら、きっとできる。
今はそう思うしかない。下を向いている暇はない。
(とにかく、全ての源の呪いについて知らなくちゃ)
あやめは再び、巻物に視線を落とした。
何を変えればいいのか分かった状態でまた過去に飛べば、他の出来事に時間を割かれずに済むからだ。
(……もしかして、これを知るために、あたしは元の世界へ帰ってきた……?)
そんな可能性が、頭に芽生える。
確かに、東一族が何を考えていたかを知るのは重要だ。
でも、呪いの大元を知ることだって、同じくらい大切だ。朧も美鈴も知らないのだから。
(東の始祖は、どのくらい干渉できたんだろう)
古文書を読み慣れているあやめにとってもやや読みにくい、癖のある文字を辿って数分、その文言は現れた。
『我々は、穢れし者達が清らかに生まれ変わることを願い、その務めを一日でも早く果たせるようにと、あの風車を生み出した。穢れし者達に幸運など与えたところで、叶わぬ夢を見て我らに近づこうとするとも限らないためである。故に彼らの幸運とやらを風車に集め、封印したのである』
す、と背筋が冷たくなった。やけに冷静な頭が呟いた。
ーーーなんて屑なんだ、と。
まず、考え方がおかしい。平安時代ならば罪穢れといった概念があるのは理解しているけれど、これはあまりにも酷い。
自分達は清らかで、市井の者達が穢れている、と平然と書いているこの書き手が恐ろしかった。
それでも、続きを読んでいく。
『封印には代償もある。
森羅万象の流れに逆らうためには、別の流れを生み出して陰陽の均衡を保たねばならない。だが、清らかな我々に代償などあってはならない。
穢れた者達はいくら穢れたところで同じであろう。故に善行を積ませるためにも、我々の穢れを引き受けてもらうことにした』
『清らかな我々の繁栄のために生きれば、来世は少しは清らかに生まれ変われるだろうと配慮してやったというのに、奴らは忌々しくも反発しようとした。そこで屋敷中に風車を置き、その穢れた思念が流れていくようにと祈りを込めたのである』
読み進めれば読み進めるほど、怒りが湧いてくる。……同時に、吐き気がする。
この書き手に。術をかけることを許容した全ての人達に。
この文献を読んできた筈で、それでもなお、術による幸運を自分のものとして使ってきた、朝霧の一族に。
祖母に、父に、それから……、その血を受け継ぐ、あやめ自身に。
ここに刃物があったら、自分を切りつけて、この身体に流れる忌々しい、それこそ穢れている血の全てを出してしまいたくなるほど、苦しくてたまらない。
(でも、逃げちゃ駄目だ)
そんなことをしたって自分が死ぬだけで、何の解決にもならない。朝霧はこれからも間違った道を歩んでいく。そして、誰も助からない。
(この術に、東の始祖は何をしたんだろう)
そして、何の呪詛をかけられたのだろう。
答えは、その続きに書かれていた。
『全てが狂ったのはあの夜からだった。
火矢が放たれ、屋敷中が火の海と化したあの日。穢れた者達を屋敷に侵入させぬよう、警備の者達が戦い、我らが逃げ惑う中、あの娘は隙を突いて、我らの神域である、風車の置かれた隠し部屋に潜り込んだ』
『娘の名は小夜。穢れたゆえに没落した元貴族の生き残り。憎きその娘は風車を回し、我らから幸運を奪ったのである』
(”風車を回す”……!!)
それが、呪いを解くことになるのか。
探していた答えが、ようやく見つかった。
心臓がばくばくと音を立てるのを聞きながら、あやめはごくりと固唾を呑んだ。
(続く)
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