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#086 『少数派』 娘に贈る99の言葉

今思い返すと、いつも少数派のエリアにいた。
どちらかというと、『人と同じ』より『人と違う』を好んでいた。

共感してくれる人がゼロは嫌だけど、少人数で良かった。

人に好かれる時も『少数』だった。

よく例えに出すのだけど、
モテている友達が100人中80人に好かれるとしたら、私は100人中3人くらいの人に好かれる人間だった。

多くの人に好かれる友人と、少ない人数に好かれる私。
これだけ聞くと自分は友人より劣っていると思いがちだが私は違った。

80人にモテても選べるのは一人。
それなら、多くの人に好かれて断らなくちゃいけないの大変そうだな。
しかも、80人もいれば、そんなに本気じゃない人も混ざるだろう。
80人に好かれて本物か?どうか?とか、相手を見定めなければいけないって大変じゃん!なんて思っていた。

私の場合、3人。
しかも、私の容姿を見ても私を好きになってくれる人は本気じゃないと好きにならないはず。
つまり、中身も見てくれる人しか近寄ってこない。
この時点で、相手がしっかり人の内側を見る人だと認定できる。

私が万人受けする容姿だったり性格であれば、多くの人に好かれるかもしれないが、その人たちの中には外見だけで判断してる好きが浅い人も混ざる。

多くの人に好かれるということは、相手がちゃんと自分を見てくれる人かを一人一人見ていかなければいけないけれど、そもそも少人数の場合、一人一人をしっかり見定めてもモテる人ほどは時間がかからない。効率的だと思っている。

多くの人にモテる人(大きな影響力)はおのずと一人一人に関わる時間が少なくなるのは当然なこと。

少人数の場合(小さな影響力)は少ないぶん、多くの時間が使えるわけだ。

多くの人にモテるというのは、どうしても関係性を浅くそして広く関わる必要があるから、一人一人に時間がさけないぶん、外見や肩書きなどのイメージを重視しなくてはいけないだろう。

反対に少数派は、どうしても関係性を深く密に関わることになるから、外見などのイメージよりも、いかに中身が詰まった面白みのある人かが問われる。時間をかけてじっくりと関係性を深めていくから、表面だけではないコア(核心)な部分も見せあうことになる。

結局、私は少数派を好み、密な関わりを好む人に好かれるのだから、多数派に憧れるのをとっくにやめていたのだと気づいた。

少数派の人生をこれからも生きるつもりだから、多くの人に好かれる外見のイメージ作りに力を入れるより、さらに中身が詰まった面白人間になるために時間を使いたいと思った。

多くの人に支持されたい人は、世間の流行に敏感になったほうがいい。
SNSでもアルゴリズムとかを常にチェックしておく必要があるだろう。

でも、少ない人数でもいいから熱烈に支持されたいならば、世間の流行は追わない方がいいかもしれない。

もちろん、多くの人に支持されつつも熱狂ファンがいる人もいるけれど、その人たちは二刀流で頑張っている相当タフな人だから、ある程度の犠牲も払っているように感じる。

多数派になろうと生きるか?
少数派で生きると決めるか?
そもそもどっちだっていいじゃんって思うか?

結局は自分で決めたらいいってことだと思うんだけど、私のように少数派で生きると決めた人は、目先のことで一喜一憂するのはやめようって言いたい。(偉そうに言ってごめん)

少数派は知ってもらうまでに時間がかかってあたりまえ。
もともと見てもらえるチャンスが多数派の人より少ないのだから、地道に知ってもらう努力が必要になるよ。

挫けそうになることも多いから、まずは自分を味方にしてみてね。

自分の思いを自分自身が共感できたなら、あなたは一人ではない。
自分という共感者を作ることが少数派として生きる第一歩なのだ。


2024.1.3
ばたち

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