生きる
生きる
生きるって何だろう?最近そんなことばかり考えってしまってしょうがない。考え出すときりがない。自分の中での自分なりの結論も未だに出ない。死に向かって淡々と歩んでいくことか?これに何の意味があるんだ?何故生命というものがあるのだ?別になくったっていいじゃないか?もし神様かなんかがいたら真っ先にそれを聞きたい。もしいたらの話なのだが・・・。この際人間でもいい。なんなら亀とかハトとか何でもいい。教えてくれないだろうか?こんなことを言いながらも、それで私が納得できる答えが返ってくるとは思っていないのだが。
小学校6年生ぐらの時だっただろうか、確かそうだ。その頃、一週間ぐらいだったろうか、ある事について思い出すたびに答えを探していた。学校の帰り道一人で歩いていた。自分家(団地)の前の駐輪場あたりまで来た時だったはずだ。ある時僕は、はっとその自分なりの答えに気づくことができた。僕は立ち止まった。その瞬間からしばらくの間、体中をそれまで体験したことのなかったほどの鳥肌が僕の中を覆った。あの感覚は今でも忘れない。学校で悪ガキ達が小学生とは思えないことをしているのを、見たり聞いたりするのとは比べ物にならないくらいの自分の中での発見だった。私にとってそのことは、言葉では表現しにくい・・・というよりは、しきれないと言った方が正しいだろうか。そんなことなのだが、そのことについて頑張って言い表してみようと思う。
考えていたことというのは、「自分っていったいなんだろう?」という様な感じの抽象的な疑問だったと思う。はっと思った瞬間ある映像が、僕の頭の中を過った。まずは宇宙の映像。真っ暗な中に星だけがたくさん広がっている。その映像の中心には地球がある。だんだんと地球に向かって一直線にアップになっていく。最終的に自分という人間だけが映る。そのあとは、教室の映像だ。自分が教室にいる。周りに他の生徒たちがいる。少し薄暗く、窓から外の光景は見えない。ただ外からライトで照らされているかのように光っているだけだ。生徒たちは別に自分を避けているかんじではないのだが、少し離れているような感じがする。きっとそれはその瞬間の自分の内面を表していたのだろう。とにかく僕は一人なんだという衝動にかられる。
自分との対比ということが頭を過ったはずだ、そのあとすぐに自分という人間がとてもちっぽけに感じ始めた。地球の中だけでも(今でもそうだが)とてつもなく広い。それなのにあの時の僕は、さらに広い宇宙の中で僕という存在を想像してしまった。今ここに自分という人間が生きているという奇妙さ、不思議さ、奇跡度。この代わりはどれだけどこを探しても絶対にいないし、僕は僕であってあなたではないということ。
その時初めて、この宇宙を含めての世界の中での自分という存在のちっぽけさを実感した。確かその時ついでに、自分がこの世界からいなくなったらどうなるのだろうということも考えたはずだ。結論としては、物凄くちっぽけだった。主観的に自分が幽霊になったつもりで自分が死んだ後の世界を見回してみると結構違いがあるようにも思えたが、客観的に人工衛星から眺めてみたらはっきり言って何もかわらなかった。毎日死んでいく人はいるし、僕はその中のただの一人にすぎなかった。
大学生になってからは、受験勉強から解放されて思い出したようにややこしいことを考え出した。大学に行くことに何の意味があるんだろう?別に行かなくったっていいじゃないか?親にやめようかとまで言った。友達というのはどういう意味があるんだ?こんなことを言うと「自分にとっての友達というものの役割」という様な、ただ単に自分だけにとってプラスかマイナスかという単純な使い捨てのもののように人を扱う冷たいやつのように思われるかも知れないが、「全ての人間には意味がある」とか引きこもりとか自殺志願者とかに言ってる人とテレビとかで見たことはないだろうか?その言葉から推測すると、友達にも意味があるように僕は思えるし、実際大きなものを感じる。
自分は何のために生きているのだろう
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