「一日一禅」は頭の整理整頓

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お久し振りの投稿で失礼いたします🙇

この数ヶ月のコロナ騒ぎで色んな変化があった方も多いかと思います。

私なんですが、5/1から朝起きて「オンライン坐禅」なるものに参加し始めまして、平日仕事に行く前、休みの日を問わず朝5:30から10分ほど坐禅をするのが日課になっております。

「オンライン坐禅」とは…長野県北安曇郡池田町にある長福寺というお寺の竹村信彦住職が、毎朝5:30からInstagramとYouTubeで坐禅の様子の配信を行い、それを視聴している人が皆で坐禅を行うというものです。

この坐禅を始めて半月になるのですが、最近ちょっと自分に変化が出てきました。科学的実証がなされてないので完全に坐禅よる効能とは断言できないのですが、多分そうではないかと思うので紹介したいと思います。

今から7年ほど前…社内で管理職という立場になってからまもなく、「物忘れ」ということに悩むようになりました。

仕事に重大なミスを来すような「物忘れ」こそないものの、若い頃からは考えられないほどよく色んな事を忘れるようになってしまいました。

あまりの変化に自分でも心配になり「何か脳に障害があるのでは…」と上司に相談したところ、上司は笑いながら「立場が変わってただ単にやらなきゃいけないこと、覚えなきゃいけないことが一気に増えたせいだよ。俺もそうだったから全く気にすることはないよ。」と。

仕方ないことなのかな?と思いながらもその症状(笑)は改善されることなく。忘れることを最小限に食い止めようと「To Doリスト」を作ってはみるものの、忙しくてリストアップすることを忘れ、結局やっぱり忘れる始末。

ところが、ここ数日の事でしょうか「あっ、いけねっ忘れてた👀‼」ってことがかなり無くなってきたんです。

それがこの「坐禅」のお陰ではないかと…

坐禅をする際には住職のご指導の下、「調身」「調息」を行ってから坐禅を組み、「調心」に入るわけですが、その際に住職から「坐禅中はよく『無』にならならなけらばいけないと思っている方もいらっしゃいますがそんなことはありません。人間というのはどうしても『考え』というのが浮かんできてしまいます。坐禅の最中に『考え』が浮かんできていることに気がつくこと…それが大事です。ただ、その『考え』をそれ以上追いかけない。『考え』が浮かんできたら自分の意識を呼吸に戻す…これを坐禅の最中は繰り返してください。」という言葉がかけられます。

住職からのアドバイスの通り、ふと頭に考え事が涌き出ると呼吸に意識を集中する。しばらくするとまた何か頭に浮かぶのでまた呼吸に意識を戻す…

人間というのは普段は頭の中で色々の事が、まるで部屋の床の上に雑然、無造作に広げ積み重ねられた雑誌や本のようになっているのではないか。それが坐禅をする…ふと浮かび、他に意識を…ふと浮かび、他に意識を…を繰り返しているうちに、あたかも雑誌や本が本棚にきちんと整理されて収納されていくような心持ちになるんです。

もちろん坐禅中は「考え」を追いかけていないので、頭に浮かんだときに「考え」の解決策は何の検討もしていないし、「考え」に対する感想も何も持たない…ただ単に「こんな『考え』が浮かんだ」と瞬間的に意識しただけでどんな「考え」であったか記憶にもあまり残っていない。

「物忘れ」というのは単にやらなければいけないことを忘れていた場合、それを思い出してやり始めることに特に時間のロスはない(元々いつかはやらなければいけないことだから)のですが、何事もタイミングや優先順位があります。その忘れていたことを急ぎでやらなければいけないせいで、本来今やろうと思っていたことが後回しになる。また、突然思い出したので何の準備もできていない。もし今やろうと思っていたことに他の人が関わっていた場合はその人の予定まで狂わせてしまう。結局「物忘れ」により時間管理が崩れメチャクチャになるわけです。私は結局ここ7年間くらいはそんなメチャクチャな毎日を送っていたわけです。

それがここ1週間くらい、とにかく仕事がスムーズに進むのです。

たまたま今週はそうだったのかもしれません。これが「坐禅の効能」と実証するためにも今後も坐禅を習慣にしていってみたいわけです。


「坐禅」というとそれ自体に何かありがたい特別な神秘的な効能を期待する人も多いかもしれません。

私が思うに、「坐禅」とは「坐禅」以上でも「坐禅」以下でもない…ただの「坐禅」であるのではないか…と。

私はどこかのお寺の檀家さんではありませんし、特定のお宗旨があるわけではありません。ただ、神様・仏様を拝む、お経を唱えるといったことが信仰の中心にある、いわば「他力本願」の教えではなく、自らの行動による修身を目指す「禅」に昔から心惹かれておりまして(大学時代に少林寺拳法をやっていたことに大きな影響を受けていると思います)、特に日本曹洞宗の開祖である道元禅師の考えに傾倒し、禅師の著書である『正法眼蔵』は少しずつ読み続け(この著作はかなり難解で長編のため)、言行録である『正法眼蔵随聞記』は暇を見ては何回も読み返す、私にとって「聖典」のような本となっております。

その中で道元禅師は、坐禅をして悟りを開こうだとか何か見返りを得ようと思ってはいけない。ただひたすらに坐禅を行うことが大切である…これが禅の基本精神「只管打坐」…と仰っています。

この投稿を読まれて「なんかオンライン坐禅って面白そうだな~」と思われた方…住職はこのnoteを通じても色々とお話をされております。住職の名前で検索していただくと辿り着くかと思いますのでそちらの投稿も参考になさってください。

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