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感じ方日記

「情報の共有」…数年前からよく耳にする言葉。近頃は「共有」を「シェア」なんて言ってみたりして、SNSでも「シェアさせてください」なんてコメントして投稿をそのままリンクしてあるのを見かけます。

私の中では「情報の共有」だけで終わってしまうのは勿体ないのではないか?…というか、そこで終わってしまうと真の価値が見出だせないのではないか?と思っているのです。

「情報の共有」の次のステップ…「情報の感じ方の共有」「情報への反応の共有」…つまりは「その情報を聞いて何を思ったか、皆の話を聞いてみよう」ということ。

「情報」というのはある1つの事実(中にはまだ起こっていない想定の話もあれば、噂の話もあることはあるのだが)で、それについて我々がどのように思って、どのように反応して、どのように行動するか?…こちらの方が大切なんじゃないかなって思うんです。

しかし、感じ方は人それぞれ…価値観や経験、立場によって全く違う。その違いを知るってことが大事なんじゃないかなと。

ただ、気を付けなければいけないのが、その違う意見の中から「唯一無二の正解」を導き出そうとしたり、自分の意見の優位性を主張して相手の考えをねじ伏せる…なんてことをしてはいけないということです。

学校のテストの問題のように答えが一つしかないものもありますが、世の中の問題の多分99.9%は正解が一つではないと思うんです。色んな人の色んな意見から今の状況から見て「better」な答えをまず選択する。でも、色んな変化を見ながら変幻自在に「better」を変えていかなきゃならない場面も登場する。

ボクが人間の叡智の最高峰、行動の源泉だと思っている「創造力」「想像力」の醸成には絶対「情報の感じ方の共有」が必要だと思っています。

もうひとつ…他人の「情報の感じ方」に自分がどう感じたか?

他の人の意見に自分が触れたときに感じたことはすぐにSNSとかで披露したくなりますが、ちょっと気を付けなければいけないことがあります。

親しい人達にしか公開しない設定にしてあれば問題ないのですが、誰でも閲覧できる状態ですと発言内容に配慮する必要があります。

親しい人達は貴方の過去の経験や価値観をある程度理解しているので、仮に言葉足らずでも推して知るべし…見た人が考えの真意を自ら補足してくれます。

しかし、一見さんは目の前の言葉だけに反応してきますので、私自身のバックボーンは何も考慮せずにコメントをしてくるのです。

昔、私が長野県のことについての投稿に返信コメントをしたところ、その元の投稿者のファンの首都圏の方が「私は長野県が好きでよく行きます。信州の良いところは…」と延々と続き、終いには「移住したいくらい好きなので信州のことは私に何でも聞いてください」的な論調だったんです。とても「あの~…私…生まれも育ちも長野県で…貴方は『移住したい』レベルでしょうが、私は『定住してる』んですけど…」とは言えないくらいの上から目線(笑)

それが原因で「炎上」とか今問題になっている「誹謗中傷」まで発展してしまうケースもなきにしもあらずなんですが…人の意見に対する自分の意見というのは後から見返すと結構面白かったり、時を経て見返すと感じ方が変わっていたりして自分を振り返る中々良い材料になったりします。

そこでタイトルにもある「感じ方日記」をつけたらどうか…というか、つけていきたいなぁという自己目標。

私はFacebookのコメント付シェアやTwitterのコメント付リツイートで、他の人の考え方に触れたときの自分の感じた思いを記録することがあります。

この時に相手のコメント欄に書き込みをしないのは、私のことを知らない人達が私のそこの文章だけ見てさらに反応してくるのがウザったいからです。

シェアやリツイートにしておくと私と繋がっている人が見る可能性の方が高くなりますので自分の本意が伝わるような気がします。

私の場合は自分と関わりのない人にまで自分の意見を伝えたいとは思いませんし、見ず知らずの人が私の意見に感銘を受けるとも思っていません。

Facebookのコメント付シェアなら自分しか見られないよう非公開にしてしまうという手もあります。

ただ、公開しておくと自分が引用した投稿をしたご本人が反応をしてくれてさらに感じ方が膨らんでいったり、新しい気づきを提供してくれる時があります。そういった部分は自分だけの記録とするよりもちょっと公開した方が先の学びも生まれてくるのかなぁ。

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