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Vol.2 野球と自分のこれまで

どうもこんにちは、CORONAです。昨日に引き続きの投稿になります。昨日は自己紹介をさせていただきました。読んで頂けた方ありがとうございます。

▽前回の投稿はこちら▽

皆さん、野球とはいつどんな形で出会いましたか? 今日は、『野球と自分のこれまで』というタイトルで、今までの野球ファンとしての人生を振り返っていきたいと思います👏⚾

それでは本編スタート!!

野球との出会い【幼少期~中学生】

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野球とのホントの最初の出会いは、2001年。当時3歳。

2001年といえば、イチローが海を渡った年。幼かったCORONAもイチローのユースTシャツを親に着せられていた。
ある日、父親が付けていたテレビがたまたまロッテ戦を映していた。僕の目に飛び込んできたのは、サブロー。まだ背番号は2だった。
「へーんな名前。イチローみたいだね。」なんて話を父親と話した気がする。
父親の隣に座って試合を見ていたら、ある1人のバッターがヒットを打ってマリーンズが得点した。ヒットを打ったのは、先日引退した福浦和也

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以降ずっと福浦のファンだ。かと言ってロッテファンかというとそうではない。いや、子供の頃はそうだったが、今は違う。
子供の頃は色々なチームを応援した。ロッテ、父親が好きな阪神、祖父が好きな西武、石井琢朗をきっかけにセ・リーグで一番好きになった横浜

中学生の頃にはロッテ横浜DeNAに絞られていた。ただあの頃の横浜DeNAは、暗黒期から抜け出し切れなかった時代で弱かった。一方のロッテは均せば3位争いをしていることが多くて、ロッテのほうが見ている時間が長かったと思う。

興味は横浜DeNAへ【高校生】

高校生になってスマホを買い与えられた。Twitter等のSNSを始めて、はじめはロッテの関連のツイートをよく見ていたのだが、CORONAの周囲のロッテファンはとても攻撃的で尚且つ精神論で野球を語る人間が多かった。
「ライトスタンドで声を出す人が減ったから負けるんだ」という趣旨のツイートが多くて、いわゆるにわかファンを見つけては攻撃している彼らを見て、ただただ気分が悪かった。だからロッテファンをやめた。大好きな福浦和也と李大恩と根元俊一は注目して見続けたが、興味は完全に横浜DeNAに移った。
ただ、やっぱり元々にわかがいびられるロッテファンだったため、ベイスターズファンになるに際して、太洋時代まで遡ってベイスターズのありとあらゆることを勉強した。ベイスターズファンの友達が出来てもちゃんと語り合えるように。

そのようにして次第に横浜DeNAに引きづられて行った。モスコーソが来日してダルそうに投球練習をしてる時、ハマスタでは彼の登場曲『Plakito』が流れていた。あれをきっかけにレゲトンという音楽ジャンルにハマった。

続けてすぐにグリエルが来日した。WBCで何度も見ていたあのグリエル。彼がやりたいようにやって躍動する姿に惹かれた。
彼が翌年来日しなかったのはショックだったが、その後すぐにCORONAを惹き付けたのは『ヤスアキジャンプ』 彼のツーシームはもちろん凄かったが、それよりも登場シーンにハマってしまった。自分の高校の応援歌に取り入れてしまったほどだ。

ベイスターズからさらにMLBへ【大学生(現在)】

大学生になった2017年、ベイスターズファンが集まるサークル「早大信星会」に入会した。先輩は優しい方ばかりで今でもよく一緒に遊んでもらっている。ベイスターズも19年ぶりに日本シリーズに進出してとても楽しい1年だった。

早稲田大学は11月の頭に早稲田祭を敢行する。そのため早稲田祭の前後1週間くらいは大学が休みになる。早大信星会は早稲田祭で何か出し物をするサークルではないので、CORONAは夜は日本シリーズを見て、朝はMLBのワールドシリーズを見ていた。ベイスターズにいたグリエルがメジャーの舞台で暴れる姿をちょっと覗いてみたくなったのだ。
第7戦でヒューストン・アストロズが勝利し、ワールドチャンピオンが確定したので、チャンネルはそのままに前日の余りの炒飯をかきこんだ。

すると、、、

画面の向こう側で、

カルロス・コレアがフィアンセのダニエラ・ロドリゲスにプロポーズを敢行しているではないか!!!

か、かっこいい!かっこよすぎるぞ、カルロス・コレア!!

これを見てすぐさまアストロズ、そしてカルロス・コレアのファンになった。

早大信星会以外のサークルに入っていたら、もしかしたら早稲田祭をがっつり楽しんで、MLBとは出会わなかったかもしれない。

また、少し話は飛ぶが、その年はベイスターズで特にCORONAが期待している若手・乙坂智がメキシコウィンターリーグ(LMP)のYaquis de Obregonに武者修行に行った。

更に、高校時代自分が軟式野球部で心がけていた、ゴロを叩きつけるというバッティング。それをキューバから突如来日したロエル・サントスが走り打ちという形で何度も披露してくれた。そのサントスは半年でチームを去りキューバに帰ってしまったため、2017年の冬はキューバ国内リーグも何度か観戦した。

海外の野球も面白いじゃないか!

こうしてCORONAの興味は完全に海を越えた。

年が明けて2018年。MLBのシーズン開幕早大信星会の先輩にMLB café TOKYOでアルバイトをしていた先輩がいたこともあり、何度か通った。そこでMLBが好きな友達も何名かできた。まだMLBファン1年目だった自分にはわからないことが多く、移籍市場の話等は彼らの存在があって理解できたことだ。

ある程度MLBについて理解した今年はオフの移籍市場やスプリングトレーニングからコンスタントに追いかけている。アストロズ、今日はナショナルズに負けちゃったけど、明日は勝ってくれるよね?

おわり


ついつい長文になってしまいましたが、これが「野球と自分のこれまで」です。楽しんでいただけたでしょうか。

次回は、部活で6年間プレーした軟式野球について書こうと思っています。

最後まで読んで頂きありがとうございます。それでは、次回もお楽しみに!CORONAでした。

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