見出し画像

~凶器! 狂乱のヒールたち~ vol.4

リングに叫び、拳を突き上げたあの日。今もこの胸に燃えさかる熱き炎のファイターたちをイラストとエッセイで綴るプロレス讃歌!


~凶器! 狂乱のヒールたち~ vol.4

全国のプロレスファンの皆様こんばんは。『週刊アイアンクロー』編集長のチャーシュー・タケです。今週は“アラビアの怪人”ザ・シークです。

イラスト 志賀コージ

●邪道上等! 火を噴く怪人はどこまでも邪悪! ~今の時代なら炎上しています~

インターネット、SNSなんて存在しない昭和の時代。プロレスファンにとって、プロレス専門誌で読む「まだ見ぬ強豪」の来日を心待ちにした日々がありました。私にとって、マスカラスと共に70年代を代表するそれが、ザ・シークでした。火を噴く、やたらと試合時間が短い、といった情報から一体全体どんなファイトをするのだろうと興味津々の中、ついに昭和47年(1972)、日本プロレスに初来日。田園コロシアムでの坂口征二とのUN選手権(60分3本勝負)に2-1で勝利。試合時間は合計5分、やはり短かった!
ザ・シークの唯一の“まともな得意技”と言えるのが、キャメルクラッチです(笑)。うつぶせに倒れた相手の背中に乗って顎を両手で掴みながら後ろに締め上げる荒技です。しかし、この技はあくまでもオマケのようなもので、彼の代名詞である「火炎殺法」がいつ飛び出すのかを固唾を飲みながらテレビを凝視したものです。あのリング上での激闘の中で、どのようにして幾つもの“小道具”を忍ばせて、口に含み、火を起こし、炎を噴き付けるのか。まさに究極の反側技でした。
多くの外人レスラーがサーキットする国や地域によって、ヒールとベビーフェイスとを使い分けることがよくありますが、ザ・シークに限ってはその極悪スタイルを生涯貫いたのです。古希を目前とする歳まで流血のデスマッチを繰り広げるなど、その荒くれぶりは驚くばかりでした。全日本プロレスのリングにおいて、あのブッチャーを従えてのファンク兄弟との血の抗争劇は今も語り草です。2003年没。怪しーくて、荒々しーくて、憎らしーくて、だけど、懐かしーくも想い出深い最凶のレスラーでした。

◼️『プロレスダイアリー甦える鉄の爪』は隔週木曜日に更新します。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集