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金正則 -意見陳述書-

 今回、提訴した西村元延氏は私の高校(福岡県立修猷館高校)の同窓生、50年近く付き合いは続 いていましたので、以下、以前の普段通りの、敬称なしとさせていただきます。

 私の被害については、訴状にある通りです。
「在日の金くん」という記号は、「出自で特定個人をしばる」、「在日と口にすれば優位に立てる」とい う差別の基本構造を持っています。西村の投稿は、その構造に醜悪な「属性差別表現」が加わったヘ イトスピーチです。
 SNS のヘイトスピーチ、刃(やいば)をもった差別の凶器が、「在日の金くんへ」と私を狙い、そして 同窓生というよく見知った人間から襲ってきました。

 西村の投稿には「在日の金君たち、君たち親の世代のことだよね。日本にこられて日本に生まれ て本当によかったね」など、親世代に言及したもの、「在日の金くん。母国の実際が分かったね。残念 ですね。子孫はどうなる?」など子どもの世代に言及したものがあります。彼の投稿には自分の差 別意識が自分の母親、叔母から教えられたと言っているものがあります。
 
 私の父(99歳)は戦前の1935年、10歳の時に家族で日本に来ました。炭鉱労働で、塵肺になり、 片方の肺ともう片方の1/4が壊死しています。たくさんの友達が亡くなったと言っていました。
 母(93歳)は同じような時期、1937年6歳の時にやはり一家で渡日。学校は出ておらず字が読 めません。日本の小学校で激しい差別(いじめ)に遭ったからです。同じ理由で識字能力をもたない 在日は大勢います。
 植民地下の苛烈な時代を生き抜いた、あるいは亡くなった親世代のことをからかい嘲笑する、次 の子どもたちの世代に呪いのように襲いかかる。日本人であることを誇りに思う西村が、美徳を破 って他人の親のことをあげつらえるのは、朝鮮人を同じ人間と見ていないことの現れです。私は、 身近な同窓生から自分や自分の肉親が同じ人間として見られていなかったこと、そのことに、深い 怒りと悲しみ、そして胸を引き裂かれるような痛みを感じました。

 私は、幼い冒険心で「『差別』という言葉があるから『差別』があるのかもしれない」と思い立ち、そ れから50年間、「差別」と言う言葉を口にしませんでした。わざわざ寝た子を起こすことはないとも 思ったのでしょう。きっと良くなると未来に希望を持っていたのでしょう。
 あからさまに差別を扇動し、危害を煽るヘイトスピーチの登場で私の長い試みは失敗に終わりました。家には「金」の表札がかかっています。私は私自身と家族を守らなければなりません。

 私は高校まで名乗っていた日本名「林」を、東京の大学から「金」と言う民族名に変えました。就職、 仕事、結婚、家探し、選挙権などさまざまな障害がありましたが、最近まで国籍も変えず、自分にと ってのあるがままを選択して来ました。
 同窓生は、人生を通じて付き合いの続く関係です。特に高校までの同窓生は、名前を民族名に変 えたことを共有し、共に歩んでいると思っていました。その中から生まれた差別主義者。民族名を名 乗り、社会をまわりの一人からでも変えようと思った私のこれまでの人生、さまざまな思い出は、こ の同窓生ヘイトによって汚され、毀損されました。名誉の毀損だけではなく、人生に対する毀損です。

 西村の SNS での民族差別投稿について、6年前の2018年、福岡帰省時に会って直接話をしま した。それでも止まらないので、2019年に高校同窓生のメーリングリストに公開メールを送りまし た。自分として出来る最後の手段と考えていました。残念ながら私の告発は届きませんでした。 そ して2020年2月から私を直接的に名指す「在日の金くん」ヘイト投稿が始まり、現在まで続いてい ます。このことは、被差別当事者が声を上げると、さらに攻撃は激しくなることを結果的に表してい ます。本提訴後も西村の「在日の金くん」ヘイト投稿は止んでいません。
 西村の提訴後の投稿に「在日反日朝鮮人」という投稿があります。「反日」は人を判別し、「国」から 排除しようとする言葉です。そこに「在日」「朝鮮人」という属性を結び付けています。

 私は宮崎県延岡市土々呂町で生まれました。
 子どもの頃、自分の家の眼前にある「椿山」、椿の花が咲く季節には、山全体が赤く見えました。 私にとって「赤い」という言葉の中心には故郷のこの山の色があります。近くの小川にはたくさんの 水中花がせせらぎの音とともに揺れていました。すでに水中花の咲く風景は失われましたが、今で もその小川は私の心の中に流れています。田んぼの「肥たご」の臭い、線路のつくし。突然怒って追 いかけてくる近所のこわいおじさん、子どもを抱っこするのが好きなお姉さん、ろう学校の人、時々 やってくる野良犬、相撲取りのまわしの様にエプロン重ねたエプロンおばさん。
 私はそのころまだ「外国人」ではありませんでした。世界を眺めはじめ、認識し始めた一人の「子ど も」「人間」だったのです。
 「国を愛するか?」の問いに、私は、「私の心のなかにある『故郷』は誰にも譲れない」と答えます。 「故郷」は、このような汚れた問いの答えに使うのもいやなくらい大切なものです。
 もしも私がこの国の「反日」として、排除、攻撃されるような事態が起きたとしても、「故郷」は決し て失われないものとして私の中にあります。西村の発言は「故郷」から私を排除し、故郷の人々と私 とを分断しようとするものに他なりません。私から故郷を奪おうとする発言に、私は怒りと恐怖を 感じます。

自分でできることは尽くしました。後はこの裁判に託すほかはありません。 

以上です。

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