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【子どもへの「怒り」との上手なつきあい方】

子どもの言動に、ついイライラして声を荒げる。

怒りを爆発させてしまったあと、言いすぎたな、やりすぎたなと、反省する。

自分は親として、至らないな、ちっちゃいなあ、と自分を責める。

多くのお父さん、お母さんたちが日常の中で少なからず、そんなことを感じる瞬間があるのではないでしょうか。

先月3歳の誕生日を迎えた我が家の息子は、自己主張したいまっさかり。

こちらの事情からしたら、おいおい・・・と感じたり、マジで勘弁してよ・・・と言いたくなったり、やれやれ・・・とため息をつきたくなるような言動が日々あります。

いつもは布団に入る時間がとっくに過ぎていても、もっと遊びたいーー!と言い張ったり。こちらが朝バタバタと急いでいる時に限って、歯、磨かないー!お着替えしないー!と言ったり。おもちゃ屋さんで、あれもこれも買いたい!と地団駄を踏み泣きわめいたり。

そんな中、堪忍袋の緖が切れて、私が声を荒げることもしばしば。

できる限り、彼の気持ちや意思を受けとめていたい。彼には彼の世界観や、価値観があることを理解していたい。大人の事情を押しつけず、人として対等でありたい。

そう願うがゆえに、それができていないと自分で気づいている時、ああ、やっちゃったなあ、と思うことが、私自身これまでありました。

だけど最近は、怒りを感じながらも、それを自分の気持ちがよりクリアな状態で表現できている感覚があります。

それは、息子との関係性の中で、
「二人の根っこに何があるのか」を共有できている感覚があるからです。

私と彼の日常には、「大好き、ぎゅー!」という儀式があります。

朝起きたとき、夜寝る前、うれしいとき、しばらく私が不在にするとき、なんとなく息子が寂しくなったとき、ただ、ぎゅーをしたいなあ!と感じたとき。

どちらからともなく、「大好きぎゅー、しよう!」と提案して、ハグしあいます。

私は「ママは湧介のことが大好きだよ!」と伝えます。
息子は、「ゆーすけはママのことが大好きだよ!」と言います。

ハグするほどに幸せホルモンが分泌される、と聞いたことがありますが、確かに実感として、あったかい気持ちになったり、穏やかな気持ちになります。

ある日、私が怒りを爆発させたあとの息子の泣きかたが、とても悲しそうな感じがありました。

おそらく、自分もやり過ぎたことが彼なりにわかっていて、ママを困らせちゃったな、怒らせちゃったな、自分は悪いことしちゃったかな、とも思っていて、ママはもう、そんな自分に愛想をつかしたのかな、と悲しくなったのだと思います。

それを感じて、

「ママはね、怒るときもあるけど、怒ってても、いつも湧介のことが大好きなんだよ」

と伝えました。

そしたら、心底安心した様子で、とても穏やかな表情になりました。

それ以降、彼の自己主張っぷりは変わらず、私も変わらずブチ切れるときもあり。

これまでと違うのは、息子から

「ママは、優しいときもあるし、怒るときもあるよねー。」
「ゆーすけもそうだよねー。ママのこと、もう大好きじゃない!って言うときもあるよねー。」

と淡々と言ってくることがあることです。

そんな彼から伝わってくるのは、

「ママの怒りもママの一部で、自分の怒りも自分の一部だ」
ということをニュートラルに受け取っているスタンス。

そして、

「怒っていてもぶつかっていても、お互いに大好きな存在なんだ」
という安心感と信頼感。

「怒り」は、本来、いいも悪いもなく、人として感じる感情のひとつ。

それをどう表現するかによって自分にも相手にも影響があるので、そのことに自覚的であることはとても大事ですが、怒りを感じることを自分に許さないことは、自分の一部を否定することでもあり、それってとてもしんどいんじゃないか、と私は思います。

「ありのままの自分を大切にしてほしい」
「自己肯定感を持ってほしい」

これは、私たち多くの大人が子どもたちに願っていること。

子どもたちが健やかに自分自身を育み表現してゆくためには、

親子関係において、「大人が自分の一部を否定しないこと」が、「子どもたちが自分の一部を否定しないこと」、その先に、まるごとの自分を受けとめ表現することにつながります。

そして、大人も子どもも、

自分の中から湧き上がってくるどんな感情も表現できるための器や関係性を、日常の中で耕し続ける

ことが大切だと思うのです。


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