1990年11月24日のプロ野球(職業野球新聞)

職業野球新聞

1990.11.24/ドラフト会議において注目を集めていた亜大小池秀郎投手が最多タイとなる8球団に指名され、抽選によりロッテが交渉権を獲得した。また前年ダイエーに1位指名されるも入団を拒否した元木大介内野手は意中の巨人が単独指名。前年に高卒扱い社会人プロ入り規定に抵触し、西武入団取消になった小島弘務投手は中日が指名。

色々と見るべきポイントがある1990年のドラフト会議ですが、ここでは小島弘務投手の「高卒扱い社会人プロ入り規定」について少々解説をしようと思います。

小島投手は平安高校(現、龍谷大学附属平安高校)は高校卒業後に駒沢大学に進学しますが、野球部内の雰囲気・先輩からの説教を忌避して1年の夏で大学を中退します。

アルバイト生活を経て社会人野球住友金属に入社し、プレーが評価されて1989年に西武がドラフト外で獲得を決めます。

ところが、小島投手は大学中退者ではあるものの、半年間しか駒沢大学に所属していなかった為に「住友金属」「日本野球連盟」共に「高卒扱い」で登録されており、「高卒の社会人野球選手は3年間プロ入りできない」という野球協定に違反してしまうことが発覚。

登録を確認していなかったことへのペナルティーとして西武に対して「小島投手を新人・社会人野球からの移籍扱いで獲得することが禁止」された上で制裁金50万円が課される事態に発展してしまいました(※)。

1990年、小池秀郎投手の外れ1位という形で中日に指名されて入団しました。

※実際に小島投手が大学中退者として登録されていれば、「2年間で指名・プロ入りできた」のですが、登録がなかったということでこういう結果になってしまいました。西武の管理部長だった根本陸夫氏は、指名できなくなってしまった小島投手を自宅に3ヶ月間住まわせ、個人的に野球の技術指導を行っています。


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