【日記】身近な環境から変えていきたくて
2021年、夏。
諸事情があり、ここ2、3日暑い中近くの役所に足を運んだ。
案内されるがまま管轄のブースで番号札を引いて、早く呼ばれないかなと椅子に座って待っていた。
なんか英語が聞こえてくる。
聞こえてくる方向を横目で見ると、
インドのあたりから来たであろう、日本語が話せない男性が役所の男性に対し英語で話している。
大体彼が何を求めているのかは伝わっているものの、役所の男性は英語が話せないため
その男性が次どうしたらいいのかが伝わっていない。
全然会話が成立しておらず、役所には英語を話せる人が一人もいなかった。
役所の男性は大声で、「日本語喋れないなら日本人連れてこいよ!」と嘆いた。
その言葉を耳にした瞬間、アメリカにいたときの自分と重なった。
渡米して1ヶ月後に挑んだDMVでの運転免許取得申請、
幾度となく繰り返した引越しの意思疎通、
中古車の売買、故障の対応、
日常での口約束も、お金が動くような大きな契約も、全部第二言語である英語で対応した。
アメリカに住んでいる日本人からすれば、それは当たり前のことであり、
それができないと生きてはいけない。
私の場合は全部その土地の言葉で話すことができたけど、
きっと十分じゃなかったはずだし、この役所の男性のように私にわからないように嘆かれていたのかもしれない。
そういう言葉が壁になった経験が頭の中によぎったので、
思わず英語で「助けは必要ですか」とその男性に英語で聞いた。
日本国籍を取得する申請を出そうとし、書類が必要だったようだ。
結局、通訳して事が解決したので、その場は収まった。
「あの人には幸せになってほしい」
役所を出てから、ずっとこの出来事が頭から離れなかった。
異国で生きていくのはやはり簡単なことではなくて、こういう経験がその国での生活に活きてくるのは間違いなかった。それは私が身をもって言えることだった。
ただできる限り、ここにくる外国の方には日本でのそういう、冷たくて時に痛みを加えるような悪の側面を体験して欲しくない。
こういった経験は嫌でも通る道だろうから、なんとも言えないけれど、
「日本語がわからない=相手を罵倒して良い」じゃないわけで。
誰か英語ができる人が職員でいれば、何も問題がないはずだ。
本人を目の前にして、本人がわからない言語で、理解できないように悪口を言う。
英語力も人間力もゼロだ。なんて恥ずかしいんだろう。
もっと日本の公務員、学校、学生の言語リテラシーの底上げができていればきっと、
その場にいた誰もが、あの嫌な雰囲気を感じなくて良かったんだ。
私はもっと仕事を頑張ることにした。
結果、あの場にいた役所の職員は「ありがとうございます」「本当に助かりました」とお礼をしてくれた。
私はそんなものが欲しくて、あの男性の通訳をしたわけではない。
ある種の日本の英語教育・言語リテラシーの低さに呆れて、閉口してしまっただけなんだ。
どこかに「怒り」すら感じている。
だからこそ、私は少しでも多くの人に多くの言語を学んで欲しい。
言語を学ぶことは、ただそれだけじゃなく、文化や人となりを理解することにつながるから。
目の前にいる人に、相手を傷つけることなく常識を持って接することができる道具だから。
こういう思想を広げていくために、今日も英語を教えていく。
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