テスト勉強のこと,受験合格についての唯一の方法

教員としては,通常はこの手の教育心理学は学んでるし,教授法も確立されている。しかし現実には,高学歴高職歴者も含めて「できてない」人が多いと思う。そう言う人はインプット能力はあるけれど,それを咀嚼してアウトプットする能力は低いのかなと思う。

実は見た目(髪色や身長)だけでなく,能力面,性格面もどうやら遺伝性があるらしいと言うことが現在では分かってきた。見た目だけでなく,性格やつく職業は親子や兄妹でにていくのは,たまたまではないと言うことだ。だから「努力次第でなんとかなる」と言うのは言い過ぎかもしれない。

ただバレーボール部(やサッカー部など)の強豪公立中学の顧問の先生などは,移動しても移動先をすぐ強豪校にしてしまう。そして元いた学校はその先生がいなくなった途端に弱くなる,なんてこともよくあるわけで,環境面の重要性だってあるのだ。環境面を作るのは先生だけではなくさまざまな要員なわけだが,「自分にとって初めての先生は自分(つまり誰もが先生)」と言う価値観も含めて,先生としての良い教授について考えてみたい。

そしてここでは愚直に「いい点数を取るには」「受験で合格するには」と言うことについて考えてみたい。

結論になってしまうけれど,大事なのは経験・慣れである。終わり。

え?と言う感じだと思うが,それだけである。つまり教師が児童生徒学生(自分自身を含む)に対して出来ることは「経験を与えること」である。

例えば,大卒の人はよく知ってると思うが,大学の授業では教授は大概,授業も教科書もテストも使い回ししかしてない。だから,良い点数を取るのに,実は賢いかどうかはあまり意味がない。先輩や仲間からそのような情報,過去問を譲り受けたかどうかである。それなら教授は(差がつかないように)事前にそれらの情報を公開すればいいのだがしない。その是非については一旦置いておくとして,テスト当日まで「経験・慣れ」を持てるかどうかが大事なので,もちろん賢さや要領も関係するけど,単にそれだけなのだ。  過去問に限ったことではないが,「当日までの慣れと経験がその人の点数を決める」のだ。「授業を毎回ちゃんと聞いてるかどうか」というのはあまり関係ない(授業とテストの相関が少ない場合は特にそうなる。相関が強い場合は,授業を聞いてれば自然とテストは取れるけれど全ての先生がそうなわけではない)。

小学校や中学校で「普通にしてるけどやたら点数が高い子」がいたはずだ。そう言う子は,大概が塾通いをしてたと思う。それは単にその問題やテストへの「経験や慣れがあるから」なのである。

これはテストだけではないけれど,実際は出来るとか得意と考えてても,(その子も気づかないだけで)周りが上手に慣れを作ってるだけであることが多い。

しかし,割と個人でも先生でもその当たり前のことに気づいてない人が多い。これは単純なことだ。勉強法やテストで受かる方法は,別に「方法が分からない」のではない。「方法を分かっているけど出来ていない」のが問題である。

だから,この「慣れ,経験」さえ作れば,大抵の子供は出来ないことは,出来てしまう。

「素晴らしい授業」「素晴らしい教科書,参考書」があれば何とかなってると思う人もいる。しかし,そんなものあり得ないわけだ。

学力を上げる,点数を上げる有効な方法は,目的自体について,どれだけ具体化して準備(慣れと経験)を作るか,だけである。

まるで塾みたいな言い分だが,事実そうだ。もちろん教師の役割は教務もだしそれ以外にも大きくある。けれど「教師が全て」「教師が何でも決める」と言うのは思い上がりもいいところだ。

そして,教授(おしえる)というのは実はあまり意味がない。なぜならそれだけでは「慣れと経験」が作れないからだ。だから勉強というのは実は「くりかえしの作業」に近い。

だから作業効率が良くないとか,作業回数が少ない授業をするような教師や学校は優秀でないことが多い。結果が良い場合も「単にその地域の子供が優秀なだけ」「塾など他のところで準備できてるから」なだけで,その学校が果たしている役割は少ないといえる。これは最近,パッとしない伝統校に多いと思う。

テストが全てなどと言うつもりはない。しかし「テストでいい点を取るにはどうすればいいですか?」という答えは「慣れと経験を作ること」なのである。単に「テストに出るだろう範囲を,くりかえし作業して暗記して解くことを行う」だけである。実は小学校1,2年生などは素直で,多くはそういうやり方をしている(全てに有効なわけではない)。

しかし高校生,大学生になると,教師も子供も,変に賢がるというか,そういう作業を嫌がるようになる。しかしそれでは点数は取れない。

仮に取れたとしても,それはかなり非効率な取り方をしてるのだろうと推測できる。

だから旨味も面白味もない話になるが,点数を取ることを重視するなら,慣れと経験を作ることだ。それは目的に対して,真っ直ぐに作業することに他ならない。一部の親や教師,子供はあまのじゃくに例外的事象を言い出して,作業を嫌う。けれどそれでは合格とか高得点はあり得ない。

テスト=作業

である。

実は私は,教務が巧くてそれが結果にも現れてるのだけれど,それはやってることが単純で作業量が多いからだ。

そして,見ていると授業が下手な先生ほど,やたらと考え過ぎ,詰め込み過ぎだと感じる。(頭の中では)上手くいくのだが,考え過ぎ,詰め込み過ぎなので自分でもちゃんと理解してないし(理解してるつもり),当然相手に伝わらない。というかインプットが多すぎるので,アウトプットが追いついてない。まるで軽自動車にフェラーリのエンジンを積んでいるようにバランスが悪いのだ。

結果的に,それでは作業量が圧倒的に少なくなる(こういう先生は,子どもは全くできてない状態なのに,あとは家で自分でやっといてね,みたいな逃げ方をする)。確かに作業はそんなに先生も子供も楽しくはない。

しかし大事なものだ。もし受験やテストについて悩んでる人がいるなら,今すぐに作業量を増やす(慣れと経験を作る)ことを薦めたい。この作業はあくまでも出る(と思われる)問題だけを解くことを薦める。「できない,わからない」のは理解の浅さではなく,作業量の少なさ(慣れと経験のなさ)が殆どである。

大学教授や教育者は,100マス計算の隂山英男先生のような作業重視のやり方を批判しがちだ(先生の仕事は作業の監督官というのはなんだかつまらないし,それでお金をもらってるとバツが悪いからだろう。効果なんかないんだけど,凄い知識をひけらかして,凄い授業をする人,と思われたい人が多いのだと思う)。その批判はなんだか的を得ているようにも感じる。もっともである。


けれど,実際にどちらの教え子の方がテストが得意なの?といえば,殆どの場合で隂山式の先生だろう。

そしてどっちの先生に習いたいか?と言えばやはり隂山英男先生タイプじゃないかなと感じる(前者が,作業量はないけど楽しい授業,テスト対策はあまりないけど中身のある授業ならまだ良いのだけれど,単にまどろっこしくて分かりにくいとか,結局テストの時に点数が取れないと怒ったり,こっちの責任してくるとか,そういう酷い先生も多いからだ)。


このようにこの目的のためには,賢いかどうかというのは関係ない。テストや受験で成果を出すには,「慣れと経験を増やすだけ」なのである。

良かったら試してもらいたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?