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教員免許更新制 単純な廃止ではありません(2021/11/20)

昨日、教員免許更新制が次年度で廃止される方針とのニュースが流れました。

「教員免許更新制」来年度中に廃止したい考え示す 末松文科相 

NHKニュース

しかし、「現行制度は廃止」されるとしても「発展的解消」なんです。単純な廃止ではありません。具体的にどう「発展」されるのかは今後でしょうが、パブコメ募集していた原案は酷いものでした。

パブコメ募集をしていた原案 → これ
ちなみに怒りがわいてくる「委員からの主なご意見」も → これ

さて、私のTwitterをご覧くださっている方はご存じかと思いますが、市民労働基準監督官さん(@LSinspector)の考えに強く共感し、「#教師からのバトン」プロジェクト第2弾・第3弾に参加させていただきました。

私が文科省のパブコメに送った意見(27通送信しました)の総括版を、ちょっと長いですがここに掲載します。上の原案と併せてお読みいただけると、より詳細が分かるかと思います。

私は公立高校の教師であるが、この原案全体を通して、文部科学省は、今現場で必死に働いている教師のことを全く信じていない、と感じた。教師は自ら今必要とされている研修を受けるかどうか信用できないから、マイナンバーと紐づけてまで管理する。教師には管理職との対話だけでは研修しないような輩もいるから、「職務命令」や「職務命令違反による懲戒処分の対象」という言葉で脅す。この案を読んだ率直な感想は、どこまで教師をバカにすれば気が済むのか、というものだ。そもそもそんな信じられないような人間なら、それを採用したのは教育委員会であり、文科省が指導すべきは教育委員会である。
このような言い方をされてまで自発的な研修を受けたいとは全く思えない。自腹で受けるのであれば選択権は教師自身にあり、受ける内容について管理職からアドバイスをもらう必要すらない。

この案のベースになっている「令和の日本型学校教育」には、“「正解主義」や「同調圧力」への偏りからの脱却”というフレーズがある。しかしこの案中で教員が受けるとされている研修は、p.14以降の内容を読むと「任命権者(服務監督権者・学校管理職)が適切な研修を奨励」「学校管理職のリーダーシップの下で」「服務監督権者又は学校管理職等の職務命令に基づき研修を受講させる」といった言葉が散見され、徹底的に管理された研修を受講する内容になっている。p.12にある「主体的に学び続ける教師の姿」は、この案の施行により、学校現場から完全に失われる。 p.14「教師の学びは・・・体系的・計画的に行われることが必要である。」とあるが、教育現場での課題は日に日に移り変わるものであり、必要な研修が事前に計画を立てて行えるものばかりではなく、そうではないことの方が多い。また異動に伴い、直面する教育課題が大きく変化することが必ず起こる。p.11~12にあるように主体的に学び続ける教師像を追求するのであれば、「体系的・計画的」ではなく、個々の教師のその時その時の判断に任せて、それぞれが必要と思われる内容を研修するべきである。 p.16「一人一人の教師が判断することは容易ではない」とあるが、これまでも教師は自らの判断で様々な研修を受けてきており、研修の概要が分かれば個々人で判断可能である。教師の人格を否定した差別とも言える文言である。 p.17「学びの成果が可視化され、個人の学ぶ意欲を喚起できていること」では、学びの成果を可視化することで、管理職等に自分の能力をアピールできると読み取れる。しかし、教師の学びの成果を還元すべき対象は「児童・生徒」であって、管理職ではない。管理職へのアピールが目的の可視化ならば、学ぶ意欲は減退させられる。それは現状の学校現場の仕組みでは、管理職に「この先生はこの領域で知識技能を有している」と受け取られると、業務分担が増えるからである。「教師の学ぶ意欲を喚起する部分は大きい」とはとても考えられない。

 p.17「特定の事項に秀でた教師」とあるが、具体的にどのような教師を想定しているのか理解できない。公教育はどの学校でも同じ水準で教育を受けられることが基本であるが、教師は一定期間で異動する。特定の事項に秀でた教師が増えると、彼らの異動に伴い、学校の水準が大きく変化する事態が毎年起こることになる。教師がスペシャリストたるべきものは「教科指導力」であって、それ以外の例えば「カウンセリング力」「生徒指導力」「ICT力」「会計能力」「部活動指導力」等は教師以外のリソースに頼り、教師の業務を精選すべきなのが令和時代である。万が一にもp.17「特定の事項」がそれらの能力のいずれかを指しているのであれば、まずは教師という仕事の業務の範疇を明確にすべきである。

 p.23に「予測困難な時代」とあるが、その少し下に「時代の変化に応じて教師が身に付けるべき資質能力の視点について明確に規定する」とある。予測困難なのであれば、時代の変化に応じた規定は不可能である。明らかな矛盾である。

 p.24下段「教師の成長に責任を有する学校管理職」とあるが、教師は自ら学ぶ存在ではないのか。これでは、「我が子の成長に責任を有する保護者」と同じで、非常に教師をバカにしている一文である。教師は管理職の監視の下に研修を受けるのみで、自発的な学びや成長を求められているとは到底思えない。
同じく「教師の成長に責任を有する学校管理職」とは、具体的に教師の成長の何に責任を有しているのか不明確である。おそらく、教師の成長=教師が適切な研修を受けること、と定義されると思われる。教師が研修を受けることに管理職が責任を取るのであれば、それは自発的な学びではなく業務であり、当然勤務時間の範囲内で行なうこととなる。「責任」という言葉を使うことは、これらの研修が業務であると定義することと同義だということを分かった上で使っていると信じたい。

 p.24「収益構造」とあるが、民間業者を儲けさせるために我々教師は研修を受けるのか。「関係者の負担をメリットと見合ったものとする」ともあるが、このように管理された義務的な研修には1円たりとも自腹は切りたくない。どれほど内容の深い研修であっても、望まずに1円でも自腹を切らされた時点で、そこにはデメリットしかない。自主的に行われている無料や安価な研修会はいくらでもあるが、「収益構造」に留意して進めるともあるので、そういった研修はこの構造の研修に組み込まれないことが見て取れる。残業代も支払われない働き方をしている教師から搾取するのは言語道断である。

 p.31「これまで教員免許更新制が制度的に担保してきたもの」とあるが、これは具体的に何か。私も現職教員で更新をおこなった経験があるが、教員免許更新制の導入によって、単純に受講しなくてはいけない業務に等しいものが増えただけで、他の業務が削減されたわけでもなく、かえって受講に行く教師のために他の教師の業務が割を食うようなことばかりであった。講義の内容も、最新の教育事情とありながら、かなり前の講義内容をそのまま流用したものであったし、ICT関係も知っている内容ばかりで、特に有益なものではなかった。受講の合否判定も、問題教師をあぶりだすような内容のものではなく、受講したという証拠を残すためだけのもので、全く意味を感じなかった。であれば、これが「制度的に担保してきたもの」は、ただ10年に一度時間をお金をかけて無駄な研修を受けさせられた、ということに他ならない。まずは、これまでの教員免許更新制を廃止し、その問題点を洗い出してからでないと、新しい研修制度の導入は到底受け入れられない。

 p.32「個人が保有する免許の効力を・・・組織的なものとする」とあるが、教員免許は個人が所有しているものであり、その個人の免許を更新していたのがこれまでの免許更新制であったが、それを組織的なものとするのであれば、一体これらの研修は誰のためにやるのか? 個人のためでないのであれば、一切の費用は組織(任命権者)が持つべきである。そうでないのであれば、あくまで個人のものであり組織的に利用されるのは間違っている。

 p.32~33の内容を読む限り、教員免許更新制が現場に与えた負の側面は多大である。教員免許更新制は発展的解消ではなく、まずは廃止。p.33にある「必要な教師数の確保」が最低限保証されてから次の議論に移るべきである。欠員のまま当たり前に新年度が始まっている学校が多数ある現状を理解しているとは到底思えない。例えば教員定数を改善して全教師が週1回研修日(授業の入らない日)を設けられ、その日をこれらの研修に充てる、というような具体的な運用方法と併せて提案されない限り、到底受け入れられない案である。 これまでの更新制も同様、業務上必要な免許を維持するために突然義務的に講習を受けさせられることになり、しかも自腹を切り、さらには勤務時間にも含まれない。こういった研修を今後もさらなる管理下で義務付けるようなこの原案は、教師をバカにし、教師から搾取し、その尊厳を貶めようとしている。令和の教師像とは、黙って上に従う自主性の無い人間のことを指すのだろうか。

長々とした文面をここまで読んでいただきありがとうございます。
正直、この原案を読んで怒りがわかない教員はいないと思います。
更新制廃止に喜んでいてはいけません。とんでもない発展的研修が待ってます。
そして、先週パブコメ集計結果が公表されました。

審議まとめ(案)に関する意見募集の結果について

・・・私の意見、届いてるんですかね??
働き方改革や、管理的なシステムに言及している意見は取り上げられていますが、私が根本的に感じた「この案の全てが教師をバカにしている(人権侵害にも等しい)」という意見はガン無視ですね。

どちらかというと賛成している意見は、教師発信のものではないだろうというものも見受けられます。(教師の方なら読んでいただければそのニュアンスは分かるでしょう。)
私は理由を明記した上で「ここが反対だ」と送信しましたが、賛成意見は理由も明記されず「賛成です」みたいなものも複数含まれています。
パブコメなので、もちろんどなたがどんな内容を送信しても良いのですが、意見の根拠となる理由もない内容は、こういったまとめに載せるべきではありません。
(きっと、そうでもしないと賛成意見がなかったのでしょうが(笑))

この結果だけを見ると、賛否両論って感じにまとめ上げられていますが、実のところ賛成意見と反対意見の比率はどの程度であったのかを知りたいです。

あと、仮にこの制度が導入されたら、管理職の業務量半端ないことになりますよ。今は免許の更新時期をデータベース化して確認すればいいですが、研修の内容まで精選して指導助言しないといけない。
正直、今の勤務校の管理職は相当要領悪いし、事務仕事苦手そうなので、まぁ崩壊するでしょうね。
研修専門の教頭でも一人おかないといけないくらいだと思います。

色々考えて、文科省への怒りが再燃してしまいました…。